24
「ペランが保護した猫、ふわふわですっごく可愛かった~!」
夜、アナベルはペランの家に様子を見にいってきたらしい。私と同じベッドに転がって、彼女はにこにこ笑顔を浮かべた。
ベッドサイドライト――これも魔宝石で動く。一般家庭では基本的に普通のオイルランプを使うことが多い――の微かな明かりの中でも、アナベルの笑顔は眩しいくらいだった。
「怪我してたって聞いたけど、全然痛そうにしてなかったよ。いっぱい走り回って、ふふ、ペランが困ってた」
「あはは、走り回れるくらい元気になったんだね。よかった」
途方に暮れるペランが目に浮かんで、アナベルと一緒にくすくすと笑う。
「王女様の猫かもしれないんだよね? 早く飼い主さんのところに帰れたらいいなぁ」
「ね、本当に。明日フェリシアンさんに確認してみて、何もご存知なかったらどうしようかな……」
「…………フェリシアンさん?」
「うん? ああ、お客様だよ。前にエメラルドの採取しに、ドラゴンの巣に行った話はしたよね。そのときから常連になってくださって」
ベルナデット様以外の名前をアナベルの前で出してしまうのは初めてだった。
いけない、気が緩んでるな……。フェリシアンさんとの関係性からすると、私がベル相手に何を話したって気にしないとは思う。それでも彼はお客様なのだ。
――いや、関係性も何もない、んだけど。友人になりたがってくださっているだけで。
……あとは私の心次第で友人と呼んでしまっても支障はないとも言えるけれど、まだ、少し。やっぱり抵抗が……!
「……お客様なのに『さん』って呼ぶなんて、お姉ちゃんにしては親しげな呼び方だね?」
「採取のときに、成り行きみたいな感じで……。恐れ多いんだけどね。でももう、今更変えられなくて」
「ふーん……」
アナベルは笑顔から一転、何やら拗ねたような表情を見せた。「ベル?」と名前を呼べば、だって、と唇を尖らせる。
「エミーに友達ができるのは嬉しいけど、わたしが知らない間にできてたっていうのはなんだか寂しいの! エメラルドの話を聞いたの、もう数か月は前だよ」
拗ねたよう、ではなく、拗ねていた。こういうときにあえて愛称呼びをしてくるのがまた、可愛いというか、愛おしいというか……。
つい口角が上がりそうになるのを我慢しながら、とりあえず彼女の言葉を否定する。
「えっとね、ベル、フェリシアンさんとはまだ友達じゃないよ」
「まだ、って言う時点で、もうお姉ちゃんの心は決まってるようなものでしょ?」
「えっ、いや……そんなことは……」
「あるんです。お姉ちゃんよりわたしのほうが、お姉ちゃんのこと知ってるんだから」
「う、うーん、それはそうかも……」
「そうだよ。わたしはめんどくさい妹だから、明日の朝まで拗ねちゃうよ。めんどくさくてもわたしのことが大好きなエミーは、わたしの機嫌を直すために何をしてくれる?」
アナベルはうきうきと私の瞳を覗きこんできた。もう拗ねモードは終わったらしい。いや、終わったわけじゃなくて、それを利用するモードに移行したと言うべきか。
私に好かれている自信満々で、大変可愛い。愛してきた甲斐もあるというものだった。
きっと私が何をしてもご機嫌になってくれるのだろうけど、だからといって適当には答えない。
「そうだなぁ。今夜はこのまま、同じベッドで一緒に寝ない?」
「ふふふっ、いいね、最高!」
無事一瞬でご機嫌になったアナベルが、隣の自分のベッドから枕を取ってくる。すぐさま戻ってきて、ぼふん、と再度私のベッドに倒れ込んだ。
「せっかくだし、まだまだおしゃべりしよ!」
「明日もお互い仕事なんだから、ほどほどにしようね?」
「わかってるわかってる!」
このテンションの高さは、絶対なかなか寝てくれないやつだなぁ。まあ私があくび一つでも零せば、即おしゃべりをやめてくれるんだろうけど。
ライトの明かりをさらに絞って、薄暗い中、横向きになってアナベルと顔を突き合わせる。シングルベッドなので、女性二人と言えど当然狭い。
「フェリシアンさんってどういう人? お客様としてじゃなくて、友達としての話ならちょっとはできるよね?」
もうフェリシアンさんの話は聞きたくないのかと思っていたのに、意外にもアナベルが出した話題はそれだった。
フェリシアンさんがどういう人か。
友達という言葉は一旦否定せずに、難しいお題にうーんと唸って、ぽつぽつと答える。
「伯爵なのに、全然身分とか気にしない人だよ。私の仕事ぶりも褒めてくださって……尊敬できるし、信頼できるから、友人になりたいって言ってくださって」
「へぇ!」
「なんか……穏やかで優しい人なんだけど、結構強引なところもあるんだよね。悪い意味じゃなくて。そういうところは妹さんも似てるかな」
「なるほど、妹。だから仲よくなれたんだね」
「……納得が早いね?」
「お姉ちゃんの性質をよくわかってるって言って」
ふふん、とアナベルはドヤ顔をした。
「お姉ちゃんは、フェリシアンさんと一緒に話してて楽しい? あ、でも、まだ個人的な話をあんまりしてないからこそ、友達だって自信が持てないのか」
「……あ、そこも原因か。言われて気づいた……ほんとに、私のことをよくおわかりで……」
「でしょ?」
普段の会話は、主に宝石に関することだ。セレスティーヌ様のお話を聞いたり、私がアナベルの話をしたりはするけど、お互いの個人的な話はあまりしていない。
アナベルに指摘されて、そこも引っかかっていたんだな、と自覚する。
「お姉ちゃん、仕事中に全然関係ない話とか、自分からは絶対できないもんね」
「だって仕事中だよ?」
「うん、だから、それでも友達になりたいって思ってるのはすごいことだなって。そのフェリシアンさんって人の距離の詰め方が上手なのかなぁ」
「……私も友達になりたいって、思ってる……のかな……?」
確かにいい人だし、人間として尊敬できる人だとは私だって思っている。
だけど、ベルナデット様のように魔宝石を愛する仲間というわけでもないし……シスコン仲間というわけでもないのはわかった。いや、セレスティーヌ様への愛が本物なのはひしひしと感じるけれど。
とにかく、共通点があまりないのだ。別に、友達になるために必ずしも共通点が必要というわけじゃないのはわかってる。
だけど、こんなに身分差があって、なのに共通点はなくて。
それでも友達になりたいなんて、思っていいものなんだろうか。
戸惑う私に、アナベルが優しく目を細めた。
「お姉ちゃんって、ほんとに宝石一筋だもんね。あとは家族がいればもう、世界が完結してるって感じ」
「私のことそんなふうに思ってたの? まあ確かに……否定はできない、けど」
「だからね」
そこでアナベルは、大事な内緒話をするように声を潜めた。
「――エミーの世界が広がったら、嬉しいなって思うよ」
「……ベル」
じん、と感動して、それ以上の言葉が継げなくなる。
感動と同時に、自分が情けなくもなった。五つも年下、精神年齢で言えばもっと年下の妹に、こんなことを言わせてしまうなんて。年上なら、姉なら、世界はこんなに広いんだよって教えてあげなきゃいけない立場なのに。
「……ありがとう、ベル」
「どういたしまして!」
にっこりと笑ったアナベルは、「ところで」と話を切り替えた。
「フェリシアンさんって、かっこいい?」
「……ベル? それはどういう意図の質問?」
「だって、お姉ちゃんの周りに男なんて、今までペランしかいなかったから……。わたし、お姉ちゃんがどんな人が好みかも聞いたことないんだよ」
また少し、声音に拗ねたような色が混じった。
あー、と思わず苦笑いしてしまう。今まで訊かれてこなかったから油断してたけど、ベルも恋バナに興味あるんだ? いや、まあ、そりゃあそうだよね。私の話だったらなおさら気になるだろう。
「好みとか、そういうのはないかな。そもそも恋愛に興味がないの。父さんや母さんに結婚しなさいって言われない限り、結婚もするつもりはないよ」
ずっと昔に心に決めていたことではあったけど、口にするのは少し緊張した。恋愛結婚をできる人間は現代日本より少ないとは言え、恋愛に興味がない人間が少ないわけではないのだ。
アナベルなら私の考えを否定することはないし、きっと深堀してくることもない。そう確信できていなければ、曖昧な答えでごまかしていたかもしれない。
アナベルはちょっと目を丸くして、ぱちぱちと瞬きをした。
「……そうなんだ。ごめんね、話振られるのも嫌だった?」
「ううん、大丈夫。気にしないで」
予想どおりの答えにほっとして、アナベルの頭を撫でる。
「好みとかは答えられないけど、フェリシアンさんがかっこいいかどうかは答えられるよ。あの方は……かっこいいってよりは、美しい人かな。宝石みたいな人なの」
初対面のときの衝撃を、いまだにありありと思い出せる。
比較するのも失礼な話だが、ベルナデット様にお会いしたときには『宝石みたい』だなんて感じなかった。ベルナデット様の美しさは、こう表すのもおかしいかもしれないけれど、ちゃんと人間としての美しさだと思う。
でもフェリシアンさんは……ほんとに宝石みたいなんだよね。二人の美しさにどんな違いがあるのか、はっきりと説明はできないんだけど。
「――そ、そんなの……」
アナベルは目を見開いてわなないた。
「お姉ちゃんの最上級の褒め言葉じゃん!!」
「わっ、びっくりした……いや、私がびっくりさせちゃったのか? ご、ごめん?」
「びっくり……は、してないけど……」
隣の部屋ではもう両親が寝ているかもしれない、と思い当たったのか、アナベルはすぐに声量を抑えた。
「でも、そっか、うぅん……そっかぁ。そんなに美しい人なんだね。お姉ちゃんがそこまで言う人、わたしも会ってみたいな」
「機会はあると思うよ」
アナベルはもうそろそろ、会計士の資格試験を受ける。一年と数か月の間、家庭教師の先生に授業をしていただいたり、自分で復習したり、こつこつと勉強をしていた成果がそこで出るのだ。
そこで資格を取れたら、今の刺繍の仕事を辞めて、会計士としてアステリズムに就職してくれる予定だった。店先に出てもらうことはあまりないだろうけど、店にいてくれさえすれば会う機会はある。
「……勉強、気を抜かずに頑張ります」
「うん、頑張って。無理はしちゃだめだからね」
「今日みたいに、ちゃんと息抜きする日作ってるから大丈夫だよ」
そう言って、アナベルは甘えるように身を寄せてきた。
その頭をまた撫でてから、「そろそろ寝ようか」と明かりを消す。おやすみ、と交わし合って、私たちは目をつぶった。
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