23

 幸いにも宿屋にいたターニャを、ペランの家へ連れていく。

 ノックをして名乗れば、猫はちゃんと見つかっていたらしく「入っていいぞ」と返事があった。

 中に入ると、ペランだけでなくユリス様もいた。心配してなのか、残っていてくださったらしい。私たちを……というよりターニャを見て、ユリス様は驚いたように目を見開く。


「ターニャさん……!? な、なんでここに」

「ターニャは回復魔法を使えるので、お役に立てるかと思いまして。……ターニャ、こちらはユリス様。前にシェノンパールを採りにいった日、店にいらっしゃった方だよ」


 ターニャがあからさまに誰? という顔をしていたので、こそっと説明する。

 とはいえこの距離では小声でも聞こえてしまう。覚えられていなかったことにユリス様はショックを受けた顔をしたが、すぐに気を切り替えたのか、真剣な面持ちでペランに視線を向けた。現状説明は発端のペランがすべき、という判断だろう。

 ペランはテーブルの上に丸まって置かれていた毛布をそうっとめくった。


「この子だよ。大人しい子だけど、びっくりさせないようにな」


 ぴょこん、と毛布に抑えつけられていた耳が飛び出る。澄んだアイスブルーの瞳が、警戒するようにじいっと私たちを見つめた。

 真っ白だったであろう毛は、ところどころ薄汚れていた。

 首輪には確かに、緑色のキャッツアイが揺れるようにつけられている。光の筋の明るさがこれ以上なくくっきりしていて、一目で最高品質とわかる石だった。

 仮に第三王女様の猫じゃなかったとしても、こんなに愛されてる猫ちゃん、何か起こる前に保護できてよかったな……。


「怪我してるのは右脚。ターニャさんって動物も治せます?」

「見せて。もともと、回復魔法は得意なわけじゃない」


 だから期待しないで、ということだろう。

 回復魔法と大げさに呼称されているが、身体の治癒力を促進するだけの魔法だ。

 無理やり促進する分、身体への負担は普通に治療するよりも大きくなるため、応急処置的に使われる魔法だった。それでいて水属性と光属性の魔力を同時に使わなければならず、素質やセンスの問題があるうえ、難易度自体高い。

 そういうわけで、回復魔法を使える人間は少なかった。ターニャは女の身で傭兵として生計を立てるため、かなりの努力をして習得したと聞いている。


 ターニャが毛布をさらにめくって、猫の脚の怪我を確認する。すでに血は止まっているようだが、白いからこそ赤い血が目立って、思わず目をつぶってしまった。

 猫は特に暴れてもいないようで、ちょっとの間沈黙が流れる。

 つぶった瞼の外で、ぼんやりと淡い光を感じた。


「……ん。いい子だったね」


 やわらかい声が聞こえて、そっと目を開ける。血の汚れは残っているが、怪我自体は治っているように見えた。

 ターニャが指先で猫の首元を撫でると、猫は気持ちよさそうに目を細めた。ターニャは満足げにうなずいて、ペランを振り返る。


「後で清潔な布で、ぬるま湯使って脚だけ拭いてあげて」

「はぁぁ……ありがとう、ターニャさん……。よかったなぁ、おまえ。でも汚れてるし、風呂入らせたほうがいいんじゃないですか?」

「すぐ乾かせるならいいけど。そうじゃなかったら、身体が冷える」

「あー、そっか。ありがとうございます、助かります」


 ひと安心したようにため息をついて、ペランはおそるおそる猫の頭を撫でた。それすら大人しく享受しているので、本当に人馴れしているというか、いい子というか……。

 私も撫でたくなってそわっとしたが、私がやったことといえばターニャを呼んできたことだけだ。撫でる資格はないと思うので我慢……! 


「ありがとう、ターニャ。急に呼んじゃってごめんね」

「大丈夫。……と、友達、だから」


 少し照れくさそうに微笑むターニャ。

 か、可愛いな~! 胸がきゅんとしてしまった。

 とはいえ、言っておかなければいけないことがあるから、悶えている場合じゃない。


「そう言ってもらえるのは嬉しいし、私もターニャが困ってるときにはいつだって力になりたいって思ってるよ。だけど、友達だからって頼りきるのはよくないし、技術を貸してもらったわけだから、ちゃんと今日の分の治療費は払うからね。絶対受け取ってよ?」


 念を押すように言うと、ターニャは黙り込んだ。けれど私がじーっと見続けると、観念したようにこくりとうなずく。よし!


 ……そういえば、ユリス様が静かだな。

 ふと気になって目を向けると、ユリス様はどうやらターニャに見惚れて固まっていたようだ。いつからだろう。

 彼は私の視線に気づいてはっと我に返り、わざとらしく咳払いをした。


「ターニャさん、俺からも感謝を。ありがとう」

「うん」

「……そ、そういえば店長さん」


 視線をさまよわせたユリス様は、結局それ以上の会話を諦めたのか、私に話を向けた。初対面のときに女慣れしているような発言をしておきながら、本命に対しては奥手らしい。

 一瞬サニエ卿を思い出してしまったけど、さすがに一緒にするのは失礼か。ユリス様は少なくとも、言葉すらまともに出ない、なんてことはないし……。


「はい、何でしょうか?」

「ちょっと耳に挟んだんだけど、アチェールビ伯爵ってよくアステリズムに来てるんだよね? 彼なら殿下と仲いいし、この猫が殿下の猫かどうかすぐにわかるかも。相談してみたら?」

「……フェリシアンさんが?」


 ついぽかんとすると、おや、という顔をされた。……しまった、他人もいる前で呼び名が馴れ馴れしすぎた。

 それほどまでに、フェリシアンさんに仲のいい女性がいることが意外だった。

 あの口ぶりからして、女性の友人はいないように思えたけど……。ああ、でもそっか、第三王女殿下は非常にお美しいと聞くし、フェリシアンさんの宝石のような美しさにも特別なものを感じないのかもしれない。だから特に気苦労なくお付き合いできるのだろう。

 そう一人で納得しつつ、「失礼しました」とユリス様に謝罪する。


「近日中にあの方に相談してみようと思います。ありがとうございます」


 近日中とは言ったが、ちょうど明日、フェリシアンさんが来店される予定だった。

 もし本当に第三王女の猫だとしたら、すぐにでも相談したほうがいいんだろうけど……さすがにこの後の予約のお客様が第一だ。

 仕事終わりにアポイントを取るにも時間がかかるし、急にお会いしたいと言うのも失礼だから、明日を待ったほうが確実だろう。

 私に続き、ペランもお礼を口にする。


「ユリス様、ここまでお付き合いいただき、本当にありがとうございました」

「どういたしまして。大したことしてないし、勝手に首突っ込んだだけだから気にしないで」


 微笑んで、ユリス様はひらひらと手を振った。


「それじゃ、俺はこの辺りで」

「あたしもこれで」


 えっ、という顔でユリス様がターニャを見た。それに気づくことなく帰ろうとしたターニャに、ユリス様は慌てて駆け寄りながら声をかけた。


「ターニャさん、よければ送っていこうか?」

「? 不要だ」

「か、帰り道が分かれるまではご一緒しても?」

「……いいけど」


 怪訝な顔をするターニャとは対照的に、ユリス様はぱっと顔を輝かせる。

 ターニャが少しでも嫌そうなそぶりを見せれば止めようと思ったけど……そもそも好悪感情を抱くほどの関わりもまだないか。


「ユリス様、またのお越しをお待ちしております。ターニャもまたね」


 過剰に干渉するつもりはないので、私はそのまま二人を見送った。

 ユリス様が無理やり何かをする可能性は低いだろうし(人を見る目、特に男を見る目に自信はないのだけど……)、そもそもターニャは腕が立つ。そのうえ私が贈ったキャッツアイもあるのだから、心配はいらないだろう。あれは私が贈った後に魔道具に加工済みで、ターニャの身を守る助けになる。


 ちらっと猫を見やる。痛みもすっかりなくなったのか、呑気に毛づくろいをしていた。う、可愛い……。

 もう少し癒されたい気持ちはあるけど、そろそろ店に戻ったほうがいいだろう。


「ペラン、私も行くけど、ドアの開閉とか気をつけてね。おじさんとおばさんが帰ってきたら、二人にもちゃんと説明しておいて」

「ああ、大丈夫。……いや、元気になって急に暴れ出したりしたら大丈夫じゃないかもしれねぇけど……」


 ペランは不安そうな面持ちで猫を見つめた。

 前世含めて猫の世話をしたことがないから、大丈夫だよ、と気軽に言うことはできない。この子はものすごく大人しそうではあるけど、動物って何するかわかんないしな……。


「何かあったら電話して。使い方覚えてるよね?」


 連絡を取りやすくなるよう、従業員には仕事道具の一つとして電話を支給している。あまり使う機会はないが、「ちゃんとわかるよ」と返されたので安心した。

 名残惜しく猫を振り返りつつ、私はペランの家を出た。もちろん、猫が飛び出てしまわないように素早く、慎重に。




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