21

 グリーンダイヤモンドの指輪は、サニエ卿の店で引き渡す約束をしていた。


 約束の日時に店に向かえば、秘書のアクセルさんが快く出迎えてくださる。

 そして中で待っていたサニエ卿は――私の隣にいるベルナデット様を見て、完全に固まった。みるみるうちに顔が真っ赤に染まっていく。

 ベルナデット様はその様子にくすりと笑みをこぼした。


「あの人、私に会うってわかってる日はさすがにこんな反応しないけど、不意打ちで会うといっつもこうなのよ。面白いでしょう?」


 どう反応をしても失礼な気がして、私は曖昧に微笑むに留めた。

 サニエ卿の向かいのソファーに、ベルナデット様と二人して腰かける。固まったままのサニエ卿を見かねてか、アクセルさんは私たちにケーキと紅茶を出した後、笑顔で首をかしげた。


「雇い主の代わりに確認させていただきたいのですが、なぜベルナデット様もご一緒なのでしょうか?」

「あら、白々しい質問。でもいいわ、その雇い主がおしゃべりできる状態じゃないものね」

「情けない雇い主で申し訳ないです」

「別に気にしないわ。さて、ジュールさん。あなたに渡したいものがあるのだけど、受け取ってくれるかしら」

「…………わ、渡したい、もの?」


 消え入りそうな声だった。これが今彼に出せる精いっぱいの声なのだろう。


「ええ。といっても、贈る私自身、実物をまだ見れていないのよね。その辺り、そろそろ説明してくれるのかしら?」


 わくわくとした表情で、ベルナデット様は私に視線を向けてきた。

 うなずいて、私はテーブルへ二つのケースを置いた。そしてまず、コニャックダイヤモンドのほうを開けてサニエ卿に差し出す。


「こちらは、ベルナデット様よりご注文いただいた婚約指輪です」

「……こ?」

「婚約指輪です。ペアリングの片方で、こちらはサニエ卿の瞳の色に合わせ、ベルナデット様用にお仕立ていたしました」

「ペアリング」

「はい。見ておわかりかとは存じますが、サニエ卿のことを想ったベルナデット様の魔力がこめられております」


 サニエ卿はコニャックダイヤモンドを凝視した。そんなに見ずとも、常日ごろから魔宝石に関わる人間であればすぐにわかるはずなのに。


「さらにこちらは、ベルナデット様にご注文いただいた婚約指輪のもう一つ、兼……サニエ卿にご注文いただいた指輪です」


 ケースを開けないままに手で示せば、ベルナデット様がぱちくりと目を瞬いた。サニエ卿はまったく状況を呑みこめていないのか、また完全に固まっている。

 だ、大丈夫かな、開けていいかな。ベルナデット様がこのグリーンダイヤモンドを初めて見る瞬間だけは、絶対に見ていただきたいのだけど。


 不安に思っていると、アクセルさんがばしんとサニエ卿の背中をたたいた。雇い主に対して思いきりがよすぎないだろうか……?

 しかしそのおかげで少しは平常心を取り戻したのか、サニエ卿はアクセルさんをじろりと睨みつけてから、しっかりとこちらを見てくれた。


「……こちらの指輪は、サニエ卿秘蔵の魔宝石をいただいて作成いたしました。ベルナデット様はケースを、サニエ卿はベルナデット様をどうかご覧ください」


 二人の視線が私に従ったのを確認してから、ケースをゆっくりと開ける。

 途端に輝く、ベルナデット様の瞳。を見て、太陽に目を焼かれたように両手で顔を覆うサニエ卿。

 ……本当に見れた? 大丈夫かな。


 ベルナデット様がほうっとため息をつく。


「まるで鏡を見ているみたい。本当に私の瞳の色にそっくり……。こんなに鮮やかな色と魔力を持つグリーンダイヤモンド、初めて見たわ。これがジュールさんの『秘蔵の魔宝石』?」

「ええ。ベルナデット様には一生隠すおつもりだったようですが、そこをなんとかアクセルさんと私で説き伏せ、こうして指輪としてお見せすることができました」

「あなたたちがいなければ、こんなに素晴らしいグリーンダイヤモンドを見られなかった可能性があるの……? なんて恐ろしいのかしら」


 ……ベルナデット様は今の説明の意味を理解されているだろうか。

 この方は理解が早いけれど、そういえば魔宝石の前ではそればかりに頭を支配されてしまうんだった。

 ベルナデット様にアイコンタクトを送ると、彼女は考えるように瞬きをし、やがて「ああ」と納得の声を上げた。


「私のことが好きだから手に入れて、私のことが好きだから隠そうとしていた石ってことね」

「ぐッ……」


 サニエ卿から、死の間際に上げるような声が飛び出す。

 ベルナデット様はゆるりと目を細め、くすくす笑った。


「ジュールさん、安心して。私、あなたのことが結構好きみたいなの」

「ひ、」

「その指輪を見ればわかるでしょう?」

「わ……わかり、ます、が」

「だから私、あなたに好かれてるって思うと気分がいいのよ。隠さないで、見せてくれてありがとう」


 とびきりの笑顔を食らったサニエ卿は、ソファーに座ったままふらっと倒れかけた。それをさっとアクセルさんが支える。秘書のお仕事って大変だな……。

 サニエ卿、思った以上にベルナデット様の前での挙動がおかしい。やっぱり幸せの過剰摂取はだめだったのかもしれない。それか、完全な不意打ちがよくなかったのか……?

 この光景がそんな反省をするべきものなのかすら、私には判断がつかなかった。


「ジュールさん。せっかくだから、あなたもこの指輪に魔力をこめてくれないかしら」

「……わ、わかりました!」


 勢いよくうなずいて、サニエ卿は即座にグリーンダイヤモンドに魔力を流しこんだ。当然のごとく輝きを増す魔宝石を見て、ベルナデット様が心底嬉しそうな顔をする。


「ふふっ、エマ、ねえ、今ようやくちゃんとわかったのだけど、私の瞳の石に私を想った魔力をこめた、私を愛している証明そのものみたいな指輪をつけてもらえるのって、すごくいいわね」

「お気に召していただけたようで何よりです」

「ええ、本当に、気に入ったわ。あなたに頼んでよかった。ありがとう、エマ」


 ベルナデット様にそう言っていただけることは少なくない。けれども……今までで一番、幸せそうな笑顔だった。

 心がじわりと温かくなって、胸が苦しくなる。もちろん、悪い意味での苦しさじゃない。

 彼女のお礼をしばらく噛み締め――はっと思い出したことがあって、私は慌てて口を開いた。


「お伝えし損ねていましたが、サニエ卿の指輪につきましては、ご婚約のお祝いということで無償で作成させていただきました。ベルナデット様は後ほど、あの日の侍女の方に、半額しか代金をいただいていないことをご確認いただければと思います」

「エマ……あなた、それは過剰なお祝いだわ。ジュールさんも、そんな申し出どうして受けたの? きっちり払わせてもらうわ」


 ご機嫌な表情が一転、ご立腹の表情へと変わる。それも十分美しいのだが、ほんのわずかに威力が弱まるからか、サニエ卿がこれ幸いにと小さく深呼吸をした。

 そしてきりりと表情を引き締め、「申し訳ございません、あなたの依頼分含めて全額私が支払います」と滑らかに謝罪する。


「……私からの贈り物として受け取ってくれるつもりがあるのなら、あなたは私に支払わせるべきだわ」


 むすりと主張したベルナデット様に、サニエ卿は視線をさまよわせた。


「…………かしこまりました」


 その返事に、ベルナデット様はにっこりと微笑む。苦笑いを返すサニエ卿の顔は、それでも幸福そうで、そして彼女への愛しさにあふれていた。

 そんな二人をにっこにこで見守るアクセルさんも、楽しそうで何よりである。


 ……何とか全部丸く収まってよかったぁ。

 心からほっとしながら、私はようやくフォークを握り、ぱくんと一口ケーキを食べた。一仕事終えた後のスイーツは格別だった。




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