20
ベルナデット様は約束の時間きっかりにいらっしゃった。教会の鐘の音と共に、うちの店のドアベルも音を鳴らした。
「お待ちしておりました、ベルナデット様。こちらへどうぞ」
通常の店番をペランに任せ、ベルナデット様を応接室へとお連れする。来るタイミングがわかっていたかのように、ノエルさんがすぐさま紅茶をお出しした。
その間に私が指輪を用意し、ベルナデット様の前にケースを開けた状態で置いた。――コニャックダイヤモンドの指輪のみを。
「もう一つの指輪には、何かサプライズがある……というところかしら?」
さすが、ベルナデット様は理解が早い。
「ええ、どうかもう一つの指輪は、サニエ卿の前でご覧になっていただければと思います」
ベルナデット様が魔宝石を見る目はいつも輝いているけれど、やはり初見のときの輝きが一際強い。サニエ卿にはぜひとも、『ご自身が所有していたベルナデット様の瞳の色の魔宝石』を初めて見たときの彼女を見てほしかった。
ベルナデット様は「ふぅん」と楽しそうに微笑んだ。
「期待しておいてあげるわ。デザイン画は見ているけれど、魔宝石の美しさの神髄は実物を見なければわからないものね」
「ぜひご期待くださいませ。素晴らしい石をご用意いたしました」
にっこりと自信満々に言えば、満足そうにうなずかれた。こうしてお客様に期待していただける、信頼していただけるというのは本当にありがたいことだ。
ベルナデット様はご機嫌な様子で、うっとりとコニャックダイヤモンドの指輪を見つめる。
「このデザイン、私の好みとはずれていると思っていたけれど……こうして見ると、なんだかあの人のイメージにぴったり。婚約指輪としては大正解のデザインね。エマに任せてよかったわ」
「恐縮です。ですがこちら、まだ仕上げが残っておりまして……」
「……私の魔力をこめる、という話だったらお断りしたいのだけど?」
「残念ながらそのお話でございます。説明に少々お時間をいただけますか?」
ほんの少し唇を尖らせながらも、ベルナデット様はうなずいてくださった。
「サニエ卿は常日頃から魔宝石に触れてらっしゃいます。誰かが魔力をこめたとして、その事実は一目でおわかりになるでしょう。魔力がどなたのものか、についても」
「……私の魔力をこめれば、さらに喜ばせることができると言いたいのね。確かに婚約指輪にふさわしいし、私の目的としては最適な方法、ではあるけれど」
理解が早すぎるベルナデット様は表情を曇らせる。
「……魔力をこめて、魔宝石がより美しくなるのは。その魔力に宿る感情が本当に深く、純粋な場合だけでしょう?」
「おっしゃるとおりです」
「だとしたら、私があの人を想って魔力をこめたところで何も変わらないわ。私、魔宝石しか愛せないもの」
落ち込むようにうつむいて、「……家族のことだって愛しているつもりだけれど、それでも、魔宝石が美しくなるほどじゃないと思うわ」と小さく続ける。
――つまりベルナデット様は、自分の感情が深くも純粋でもない、とはっきりわかってしまうことが怖いのだろう。
そういう方は結構いらっしゃる。これは愛の証明にも使われる手段で、逆に、愛が大きくないことも証明されてしまうから。
こ、困ったな。単純に、魔宝石を愛しているがゆえのこだわりを持っているだけかと思っていた。
それに、魔宝石への愛は彼女の誇りかと思っていたのに――事実そうなのだろうけど、この様子ではどうやらコンプレックスでもあるらしい。
となると、どう説得したらいいんだろう……。
「あの人のこと、私はなんとも思っていないの。だから絶対に、魔宝石は何も変わらない。試してみなくてもわかるわ」
「……だから試したくない、と思うこと自体、彼に対する何らかの想いが存在することの証ではないでしょうか」
「……続けて」
一理あると思ったのか、ベルナデット様は否定せずに続きを促した。
「ここで試して失敗したところで、サニエ卿がそれを知ることはありません。そしてサニエ卿であれば、ベルナデット様が魔宝石本来の輝きを愛していることをご存知でしょうし、魔宝石に魔力が込められていないことを残念に思うこともないでしょう」
「……そうね」
「ですから、ベルナデット様がサニエ卿のことを本当になんとも思っていないのなら――やはりだめだった、で終わる話です。がっかりすることも、悲しむこともありません。ベルナデット様に不利益なことは一つもないはずです。それでも試したくないのなら、それは、今確かにある気持ちを否定されたくない、ということなのではないでしょうか」
自分の内にある感情を見つめるように、ベルナデット様は唇に指を当て、黙りこんだ。
急かすようなことはせず、私は静かに彼女の答えを待った。
現時点の指輪で十分ご満足いただける確信がある以上、無理強いはできない。ただでさえいろいろと首を突っ込みすぎているのだ。
しばらくの後、彼女はこくりとうなずいた。
「――うん、いいでしょう。これって、ただ魔力を出せば石に入っていくの?」
思ったよりもずっとあっさり承諾されて、つい少し呆けてしまう。
私の反応に、ベルナデット様は拗ねたように視線を揺らした。
「喜んでもらいたいのは本当なんだもの。そのためにできることを試しもしないのは、ただの怠慢でしょう? 失敗したって何も思わないはずだけど……もし、もしも私が落ち込んだら、あなたが慰めてちょうだいね。具体的には、とっておきの魔宝石を見せなさい。私に見せていない珍しい魔宝石の一つや二つや百個、あなたなら持っているんじゃないかしら?」
「ひゃ、っこは……さすがにありませんが。一つや二つなら、確実に喜んでいただけるものをお見せできます」
「じゃあ、約束ね。絶対よ。慰めてね」
ベルナデット様の念押しに「はい、必ず」と答えながら、成功しても何かお見せしよう、と密かに心に決める。こんな健気に勇気を奮い立たせる方に、何も報いないわけにはいかなかった。
「でもせっかく魔力をこめるなら、あの人の指輪にこめたほうがいいんじゃないかしら」
「それが一般的ではありますが、今回はそうできない事情があるというのと……自分の瞳の石に、自分を想って魔力をこめられ、あまつさえ身に着けられるというのも、確かに幸福なことだと思うのです」
これが私の考える最善策だった。
納得したベルナデット様は、魔力の流し方の説明を真剣な表情で聞くと、小さく深呼吸をした。そしてそっと、指輪を手に持つ。集中するためか目をつぶって……その指先から魔力があふれ出すとともに、コニャックダイヤモンドから放たれる魔力の輝きが、よりいっそう強くなった。
精霊に愛された人間がこめるより変化ははるかに小さく――それでも確かにわかる変化だった。
「や、やっぱり失敗してる?」
目をぎゅっとつぶったまま、ベルナデット様が私に問いかける。震えた声が、申し訳ないがとても可愛らしいと感じてしまった。
「成功しています」
「……ほんとう?」
「ええ、大成功です。ご自身でご覧になってください。……美しいですよ」
こわごわと、彼女は瞼を開く。そしてすぐさま目を見開いて、魔宝石の輝きにただただ見惚れた。頬が紅潮し、きらきら光る瞳にはうっすらと水の膜が張り、唇がやわらかな弧を描いて――ああ、これは、私が失敗したかもしれない。
この瞬間を、サニエ卿にもお見せしたかった。
「……私、あの人のこと結構好きだったのね」
ぽつり、熱のこもった声でつぶやく。
なんと答えるのも無粋な気がして、私は黙って、ベルナデット様にお見せする魔宝石の準備を始めた。
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