18

 密かに困った私を救ったのは、秘書の方の言葉だった。


「これで自分の指輪を作るぐらいの度胸はないんですか?」

「……アクセル。おまえ、今日はやけに遠慮がないな。仕事中だぞ」


 サニエ卿は彼をじろりと睨む。

 しかしアクセルさんは飄々と微笑んだ。


「元からレディー・ベルナデットのご友人であることは存じておりましたので……」

「は? 僕は知らなかったが」

「会話が足りてないんですよ。とりあえず私から言えることは、このグリーンダイヤモンドでご自身の指輪を作られたほうがいいということです。絶対に」

「……理由は」

「ジュール様がベルナデット様ともっとお話しされていたらわかったでしょうね」


 ぐうっとサニエ卿の眉間に皺が寄った。

 な、なるほど。従業員の教育に難ありだと思っていたけど、あえての態度だったんだ。私に合わせた接客……というより、場に合わせた接客か。今ベルナデット様の呼び方を変えたことすら計算なのだろう。


 そっとアクセルさんに視線を向けると、彼の笑みが深まった。

 ……うーん、この調子だと、私が何を作りたいのかも知っていそうだ。ベルナデット様から直接話を聞いているのかもしれない。


 サニエ卿は難しい顔で黙りこんでいたが、やがて苦々しくため息をついた。


「……わかった」

「信頼していただけているようで何よりです」


 にっこり笑ったアクセルさんに、サニエ卿は何も返さなかった。肯定するのも癪だと思ったのかもしれない。

 仏頂面で、サニエ卿は私に視線を戻した。


「エマさん、彼女に贈る指輪ではなく、私の指輪の作成をお願いします」

「か、かしこまりました!」


 棚からぼた餅……は少し違うか。とにかく、最善に近い形でこの美しいグリーンダイヤモンドを指輪にできることになってよかった。

 こちらの指輪は宣言どおり無償で作るつもりだが、ベルナデット様のほうの指輪も無償にするべきだろうか。いくらベルナデット様相手でもサービスしすぎか……?

 まあ、その辺りは副店長のノエルさんとも相談しよう。


「デザインのご希望はございますか?」

「できる限りシンプルなもので。石もこれだけを使ってください」


 …………つ、作り甲斐がない!!

 がっくりしそうになるのをこらえて、笑顔で「かしこまりました」と承諾する。

 お客様の希望第一である。それに何より、シンプルなデザインの指輪は、それだけメインの石自体が目立つんだから。

 けれどペアリングとなると、ベルナデット様の指輪もデザインを合わせなければならない。私の好きなようにデザインしてほしいと言われてはいるが、手抜きと思われないだろうか。

 ……まあ、あの方の目的はサニエ卿を喜ばせることなんだから、心配ないかな。


 ベルナデット様からご注文いただいた際にサイズは教えられていたが、怪しまれないよう確認させていただく。

 セミオーダー用の指輪サンプルをいくつか用意してあったので、それをもとにデザインの細かい部分を詰めてから、グリーンダイヤモンドを持ち帰らせていただくことになった。


「それでは、本日はありがとうございました。ご用意できましたらご連絡いたします」

「こちらこそありがとうございました。よろしくお願いします」


 サニエ卿に挨拶をして、店を出る。

 店の外まで、アクセルさんが見送りをしてくださった。店内での飄々とした態度とは一転、申し訳なさそうに眉を下げ謝罪してくる。


「失礼な態度を取ってしまい、申し訳ございませんでした。ベルナデット様からペアリングを作るおつもりだと伺っていましたので、絶対にあのダイヤモンドを使うべきだと思い……」

「ああ、やはりそうだったんですね」


 予想どおりだったことに小さく笑ってしまった。ことが終わったら、ベルナデット様にもお礼を言わなければ。


「謝罪を受けるようなことではありません。むしろ感謝させていただきたいところです。あなたがいらっしゃらなければ、そもそも私はこのグリーンダイヤモンドの存在すら知りえなかったんですから」

「そう言っていただけると恐縮です」


 安堵したように微笑むアクセルさんに見送られ、私は帰路に就いた。

 といっても、ダイヤモンドや諸々の荷物をアステリズムに置いたら、またすぐに出かけるのだけど。外出の用事は一日にまとめてしまおうと思って、今日はこの後シェノンパールの採取に行く予定なのだ。


 シェノンパールとは、シェノンシェルという貝の魔物から採れる真珠だ。つややかな黄色が特徴で、光の加減によっては夕焼けのようなオレンジにも見えて美しい。

 基本温厚な性格で、私に好意的なことが多い。お願いすると、ぱかっと口を開けて真珠を採らせてくれるのだ。正直めちゃくちゃ楽なんだよね……。

 普通の貝だったら加熱しないとそんなに大きく口を開けないと思うのだが、魔物だから身体の仕組みが違うのだろう。



 アステリズムの店内に入ると、ノエルさんがちょうど接客をしているところだった。初めて見る男性のお客様で、優男、という雰囲気の方だ。

 彼は私に気づくと、ぱっと笑顔になった。


「君もこの店の店員?」

「はい。本日は……ネックレスをお探しですか?」


 ノエルさんが彼の前に並べているのは、特に石やデザインに共通点のない数点のネックレスだった。


「うん、贈り物として。君のおすすめも教えてくれる?」


 もちろんです、とネックレスを確認するそぶりを取りながら、ノエルさんにアイコンタクトを取る。微かに首を振られたので、どうやらまだターニャは来ていないらしい。

 この後の採取の護衛は、またターニャにお願いしている。前の予定にかかる時間が正確にはわからなかったので、店に直接来てもらい、私が帰ってきていなければ奥の小部屋でお茶でも飲んでいるように伝えてあったのだ。

 とりあえずターニャが来るまでは接客をしていてもよさそうだ、と思いながら、男性に質問をする。


「お相手はどのような方でしょうか?」

「そうだなぁ。君みたいな人に贈りたいかな」


 思わぬ返しに、え? と声を出さなかった私はよくやったと思う。

 にこにこと顔を覗き込んでくる男性にまごついていると、ノエルさんが窘めるように「お客様」と呼んだ。


「ははっ、ごめん。美人だからこういうのも慣れてるかと思っちゃった」

「……恐縮でございます」


 日本人の顔が物珍しく感じただけだろうが、軽く頭を下げておく。

 アナベルが美少女ということもあって、昔は比べられるようにからかわれることも多かった。

 私が何か反応する前に、アナベルがいつもすぐさま言い返してくれていたから、今ではむしろいい思い出になってさえいるのだけど。だってキレてるベル、そういうときじゃないと見れないから……新鮮で可愛くて……。


「まあでも、実は贈り相手は決めてないんだ。君の好みでおすすめしてくれていいよ」


 私のお店なので私好みのジュエリーしか置いていないのですが。

 とは言えないので、苦渋の思いで一つのネックレスを選ぶ。


「この中でしたら、こちらのピンクトルマリンのネックレスをおすすめいたします」


 この中で一番アナベルの瞳の色に近かった。

 男性は私が示したネックレスをしげしげと眺め、口元をほころばせた。


「じゃあこれにしようかな。可愛い色だね」

「ええ、とても可愛らしいですよね。お気に召していただけて幸いです!」

「……こっちの青いのも綺麗だね?」

「ありがとうございます! こちらも実はトルマリンでして、少し薄い色味が、儚げな魅力を引き出していて美しいですよね」


 私の答えに、男性がぷっと吹き出した。


「ふ、ふふ……あはは、自分が褒められたときと大違いの反応だ」

「も、申し訳ございません」

「謝る必要なんてないさ。面白いからね。ああ、あと、そっちの人安心して。この子を口説く気はないよ。俺に興味のない女の子との距離感は、ちゃんとわきまえてるつもりだから」


 ノエルさんがどんな顔をしていたのか、男性はくすくすと笑いながらもそう付け足す。

 俺に興味のない女の子、とはすごい言い様だ。自分がモテることに自覚的でなければ出てこない言葉だろう。


 お会計はノエルさんに任せることにして、荷物を片づけるために移動しようとしたところでドアベルが鳴った。入ってきたのはターニャだった。

 お客様の手前あまり気安い態度も取れないので、こっそりと小さく手招きをする。ターニャはこくりとうなずいて、私の後についてくる――のを、男性が目を見開いて見つめていた。


「お客様、何か気にかかることがございましたか?」


 声をかけると、彼ははっとしたように首を横に振った。


「い、いや、なんでもないよ」


 そう言いつつ、視線はずっとターニャに向いている。心なしか頬が赤くなって……いる、ような……?

 その奇妙な様子に、ターニャは怪訝そうに首をかしげた。

 そこでようやく自分の状況を客観視できたのか、男性は気まずそうに咳払いをし、姿勢を正した。


「……失礼しました、ええっと……お、俺はユリス。あなたのお名前をお聞きしても?」

「……ターニャ」


 困惑しながらも、ターニャは名乗り返す。それを聞いただけで男性は表情を輝かせ――これは、もしかしなくとも。

 人が一目惚れをする瞬間に立ち会ってしまったのではないだろうか。

 本人に自覚はないものの、ターニャは可愛らしく魅力的な女の子だ。褐色の肌からもわかるように、外国の血を引いているらしいこともあり、その外見に惹かれる人は少なくないだろう。


 しかしどう考えても、ターニャも私と同じく『彼に興味のない女の子』だ。

 わきまえていると言った言葉どおり、彼はそれ以上ターニャに何か訊いたり話したりするでもなく、そそくさと会計を済ませて帰っていった。「また来るね」と言い残して。


「……何だったんだ?」

「うーん、ターニャのおかげで常連のお客様が増えた、かも……」


 彼女はうちの従業員ではないですよ、と教えて差し上げるべきだっただろうか。




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