17
幸か不幸か、絨毯のおかげでカップが割れることはなかった。その代わりに中に残っていた紅茶が染みを作って、秘書の方が呆れた声を出す。
「何やってるんですか、お客様の前で。申し訳ございません、この方はレディー・ベルナデットのこととなるといつもこうでして」
「いえ……こちらこそ考えなしに発言してしまい申し訳ございません」
考えたからこその発言だったが、そう謝罪しておく。
サニエ卿は非常に動揺した様子で、「だ……なっ、ど……」と口をぱくぱくと開け閉めしていた。しかしすぐにはっとして、わざとらしく咳払いをする。
「し、失礼。あなたは彼女の……その、ご友人ですか?」
「友人だなんて、恐れ多いです。常連のお客様なので、それなりに長いお付き合いはございますが。この度は、と申し上げるには遅くなってしまいましたが、ご婚約おめでとうございます」
「…………」
微笑んで祝福すると、サニエ卿は途端に真っ赤になって黙りこんでしまった。
……予想以上に効果があったようで、なんだか申し訳なくなる。ここから畳みかけてもいいものだろうか。
ちらりと窺うように秘書の方に目を向ければ、何をどう思ったのか、深くうなずかれる。都合のいいように捉えちゃっていい、のかな?
とりあえずサニエ卿はとても話せるような状態ではなさそうなので、続けさせていただくことにした。
「ベルナデット様は先日も来店されまして、そのときにご婚約のお話を伺ったのです。トルマリンの指輪も拝見いたしましたが、本当に素晴らしい石で……だからこそ、サニエ卿であれば私の求めるグリーンダイヤモンドもお持ちなのではないかと考え、アポイントメントを取らせていただいた次第です」
「……そう、ですか」
「……見れば見るほど、こちらのダイヤモンドはベルナデット様の瞳に似ていますね。これ以上なくベルナデット様にふさわしい石だと感じます」
「…………そうですね」
それだけの返事がやっと、という感じだった。
この方、ベルナデット様のこと……やっぱりものすっごく好きなんじゃないかなぁ。
ど、どうしよう。表情に出さないようにしながらも、内心でかなり困ってしまった。
だって、ベルナデット様の話を出しただけでこれなら、ベルナデット様から指輪なんてもらった暁にはどうなる? 恋の自覚の有無にかかわらず、幸せすぎて倒れるんじゃないだろうか。
……いや、でも、幸福に『過剰』なんてものはないはずだよね。当初の予定を貫けるようなら貫こう。
「サニエ卿も、ベルナデット様のことを想ってこのダイヤモンドをご購入されたのですか?」
先ほどまで赤かったサニエ卿の顔が、今度は徐々に青ざめていくのがわかった。こ、こんな青ざめる要素のある質問だとは思えないんだけど、何が気に障ったんだろう。
謝罪と共に質問を撤回しようとしたとき、先にサニエ卿の口が開いた。
「彼女には、秘密にしていただけますか」
弱々しい声だった。
「このダイヤモンドがご所望でしたら差し上げます。その代わり、彼女には私がこれを持っていたことを言わないでください」
――これじゃあ私、悪役みたいじゃない?
みたい、というより、事実そうなのだろう。慣れない画策なんてするものじゃない。
確かに売ってもらえるように仕向けたかったけれど、それはベルナデット様のご友人なら……とか、そういう厚意をくすぐる形を想定していて! 全然こんな、脅しみたいなことをするつもりはなかったのだ。
「そ、そんなわけにはまいりません。サニエ卿はこのダイヤモンドを特別に思っているのでしょう。サニエ卿が持つべき宝石です」
「いえ。ずっとしまい込まれるだけの宝石に意味なんてありませんから」
「『ある』というだけで意味があるのだと、先ほどおっしゃっていたではありませんか」
「あんなものは詭弁です」
声に力はないのに、態度は頑なだった。崩せそうになくて、思わず呻きそうになってしまう。
こんなのだめだ。こんな経緯で手に入れた宝石でペアリングを作ったところで、サニエ卿の幸福には陰りが生まれてしまうだろう。
グリーンダイヤモンド自体は手に入れたい。けれど、サニエ卿が喜んで手放すような、そんな流れを作らないと……。
視線をさまよわせて考え、ぐっと顔を上げる。
「……サニエ卿。宝石店の店長ではなく、一個人として話させていただいてもよろしいですか」
彼は訝し気にしながらも、「どうぞ」と促してくれた。
「ありがとうございます。おそらくサニエ卿は、この宝石のことを知ったベルナデット様がご不快に思うと考えられたのでしょうが、ベルナデット様の知人……友人、として言わせていただくのであれば」
一度言葉を区切る。
友人を名乗るのはおこがましい。けれど……ベルナデット様と一番話が合って、楽しい時間を過ごせる人間は私だという自負もある。
ベルナデット様の魔宝石愛に並び立てる人間がまず少なく、そして歳の近い同性となればますます少ない。きっと彼女の周りには、そんな人間私しかいないだろう。
――もう認めよう。私は、彼女のことを友人だと思っている。だからこんな余計な首を突っ込んで、そして見事に失敗しかけているのである。
身分差も、あの圧倒的な美しさも、友人と思うには高い壁ではあるけど。認めないと、ここで話ができない。
小さく深呼吸をして、私は同じ言葉をもう一度繰り返して続けた。
「……友人として言わせていただくのであれば、絶対にありえません。むしろベルナデット様なら喜ぶでしょう」
「……なぜ?」
「理由は二つあります。一つ目は、ベルナデット様が魔宝石を愛しすぎているからです。こんな美しいグリーンダイヤモンドを前にして、彼女がその入手経緯や意味なんて気にすると思いますか?」
はっきりと自信満々に尋ねると、サニエ卿は少し呆けたような顔をした後、「ないな」と私と同じように言い切った。
「でしょう。そして二つ目の理由として、そもそもベルナデット様は現時点でサニエ卿に悪感情を抱いていません」
「そ、それはありえないだろう」
「ベルナデット様はサニエ卿のことを語られるとき、すごく楽しそうでしたよ」
「はっ……?」
「嫌いな人や無関心な人のことを語るときに楽しそうにするなんて、そんな器用なこと、ベルナデット様にはできないでしょう」
「確かに……できない、だろうが……」
こういう部分で意見が一致するのが少し面白い。いや、面白がっていいような場面では全然ないのだけど……。
こほんと咳払いをして、結論を告げる。
「では、ご納得いただけたところで、このダイヤモンドをベルナデット様に堂々とお見せになったほうがよろしいかと思います。ベルナデット様が一番可愛らしい顔をされるのはいつですか?」
「……美しい魔宝石を見ているとき」
「ええ。そして、このグリーンダイヤモンドは文句なしに美しいです。ベルナデット様も目を輝かせることでしょう。せっかくなら、指輪にお仕立てするのはいかがでしょうか。非礼への謝罪とご婚約祝いを兼ねて、無償で承ります」
無理やりすぎる理屈だろうか。でもベルナデット様のことを知っている方なら、十分納得できるはずだ。
不安と緊張はおくびにも出さず、サニエ卿に向けて微笑む。サニエ卿はじとっとした目で私を見つめ返した。
「……おまえ、最初からそのつもりだったのか?」
さっきから敬語じゃなくなってるな、とは思っていたけど、ついには『おまえ』とまで言われてしまった。
まあ、仕事の立場を一旦置いて、一個人として話したのは私である。蔑むような色も含まない単純な二人称に、何か思うようなことはない。
「まさか。ここにグリーンダイヤモンドがあること自体存じ上げませんでした」
「ふん……まあいい、その話、受けよう。僕もこんな美しいものをそのままにしておくのは、少しもったいないと思っていたところだ」
「では――」
「ああ、彼女に贈る指輪を」
…………う、うーん、確かにこの流れだとそうなるかぁ。
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