15

 お客様との距離感、というのは、接客業において非常に重要な部分だと思う。どのような距離感を好まれる方なのか見極めて、適切な距離感で接する必要がある。

 その点ベルナデット様は、魔宝石の質さえよければ他は何も気にされない。


「だからこそ迷うんだよねぇ……」

「お姉ちゃん、お仕事中以外もお仕事のことばっかり考えてたら疲れちゃうよ?」


 夕飯後、今日の出来事を一通り話した後にため息をこぼすと、アナベルは心配混じりの呆れた顔を見せた。

 通常であれば、たとえ家族相手であってもお客様の個人的な話はしないようにしている。けれどベルナデット様からは、出会った当初に「今後私の依頼に関することで何か悩むことがあれば、誰にどう相談しても構わないわ。いい品を用意してもらうことが最優先だもの」というお言葉をもらっているので……。


「仕事中は目の前の仕事に集中したいから、こういうことは逆に、仕事が終わった後じゃないと考えられないんだよ」

「もう、お姉ちゃんったら……。無理はしすぎないでね」

「大丈夫。ありがとう、ベル」

「どういたしまして。わたしに感謝する気持ちがあるなら、遠慮なくなんでも話してね! お姉ちゃんすぐ抱え込むんだから」

「う、うーん、そうかなぁ」


 こんなに心配をかけさせるようなことをした覚えはなかった。これじゃあどっちが姉かわからない。

 曖昧に首をかしげると、アナベルは少しむくれてみせる。しかしすぐに表情を緩めて、話の続きを促してきた。その態度に甘えて、口元に手を当て、つぶやくように続ける。


「恋を自覚したベルナデット様と、恋に無自覚なベルナデット様。どっちから指輪を渡されるのが嬉しいかって、それは当然前者なわけで……」

「でも好きな人からもらう指輪なんて、なんだって嬉しいよね」

「それもそうなんだよね! わかってる……。それに婚約者様のことはよく知らないし。ベルナデット様の話から判断するに、ベルナデット様のことめちゃくちゃ好きだと思うんだけど……だからこそ別に、無自覚なベルナデット様からの指輪だって本当に嬉しいだろうし……そもそもベルナデット様が婚約者様のことを好きだって感じたのも私の主観だし! 私とベルナデット様はただの店員とお客様で、友達ってわけでもない。恋心を自覚させたいとか、余計なお世話にもほどがあって……」


 思考を吐き出せる相手がいる、というのはかなりありがたかった。こうして話しているだけでも、少しずつ頭の中が整理されていく気がする。


「そのまま特別なことはせずに依頼どおり作って、普通に喜んでいただくのが一番いいんだろうなぁ……」


 ベルナデット様用の指輪は、持ち込みのコニャックダイヤを使用したもの。婚約者様用の指輪は上質な石であればなんでもいいと言われたが、そこはもう、ベルナデット様の瞳の色一択だろう。となると、ペアリングとしてはやっぱりダイヤモンドが望ましい。

 グリーンダイヤモンドの在庫は数個あったが、どれもベルナデット様の瞳の色合いとはずれていた。どうせならこだわりたいし、買い付けをする……となれば。宝石商である婚約者様にコンタクトを取ってもいいだろうけど。


「わたしはお姉ちゃん第一だから、お姉ちゃんのやりたいようにやってほしいとしか言えないんだよねえ……」

「だ、大丈夫、アドバイスがほしいわけじゃないよ! それにベルにそんなふうに言われたら、じゃあやってみるかって考えなしに行動しちゃうから……」

「やっちゃおうよ!」

「う、うぅ……」


 きらきらした笑顔で背中を押されて呻いてしまう。

 ……これがベルナデット様からのご注文でなければ、こんなに悩まなかっただろう。ただ精いっぱい良いものを作って、それで終わりだ。

 けれど、友人でないとはいえ……幸せになってほしいな、と心から祝福するくらいには情がある。

 このまま指輪を作成しても、満足していただく自信はあった。でも、それ以上に満足していただける道が見えている状態で、その道を無視したくない。


「……うん、よし。要はベルナデット様に気づかれなきゃいいんだ。おせっかいだと認識されなきゃ、それはもうおせっかいじゃないよね」

「気づかれない、のは……うんと、そう、そうだね。頑張ってお姉ちゃん!」

「ありがとう、ベル」


 そうと決まれば、あのベルナデット様に恋心を自覚させる方法を考えなければならない。

 正直かなりの無理難題な気はするが、納期にはまだ余裕がある。婚約者様用の石を用意したらまたデザインの打ち合わせを行う予定だし、そのときまでにはなんとか……!



     * * *



 私の身近で恋をしている人間といえば、ぺランである。

 なのでさっそく、翌朝の開店準備中に尋ねてみた。


「ぺランって、ベルのこと好きだっていつ気づいたの?」

「はっ……!?」


 ぎょっとしたぺランは、持っていたジョウロを豪快に落とした。床が水浸しである。観葉植物に水をあげようとしていたところにこんな話題を出した私が悪かった……!


「わ、悪い」

「いや私のほうこそいきなり訊いてごめん!」


 いまだ動揺の残るぺランに動かないように伝え、乾いた雑巾をいくつか持ってくる。床の水気を完全に拭いて、ぺランの靴底も拭いてもらってから、ふうと息を吐く。

 改めてぺランの顔を見ると、ぺランはびくっと肩を跳ねさせ、目を逸らした。顔も耳も赤い。


「……そこまでの反応すること?」

「う……だ、だっておまえ、こんなはっきり言ってきたことなかっただろ。気づいてるぞ、ってアピールはすごかったけど」

「あー、確かにそっか。言わなくても伝わってるからいいやって思ってたし」


 つまり、ベルが好き、という類のことをペランの口から聞いたのもこれが初めてということだ。態度でバレバレだったからそんな気がしないけど。


「で? いきなりなんでそんな話するんだよ。しかもエマが仕事前にするってことは、ただの雑談ってわけじゃないんだろ」


 気を取り直したように、ペランが腕を組む。

 私への信頼が厚いな……。ベルもペランも、私のことを仕事人間って思いすぎなんじゃないだろうか。


「一応雑談と言えなくもないんだけど……ええっと、ちょっと恋心を自覚させたい相手がいて」

「……お客様か?」

「そう、ですね」

「おまえ、それは首突っ込みすぎじゃね?」

「わ、わかってる! そこは散々悩んだうえで、首を突っ込んだことを悟られないように突っ込むって決めたの!」


 完全に呆れた様子のペランに、勢いよく返す。それでも呆れた視線は弱まらなかった。アナベルとは違い、ペランは私に甘くない。


「店員の領分は完全に超えてるだろ」

「……おっしゃるとおりで」

「わかっててもやるんだ?」

「やります……」


 ふぅん、とペランは私を観察するように眺めた。幼馴染だからこそ、お互いがお互い、こういう態度に弱い。アナベルも含めて、である。

 身を縮こませて、ペランの次の言葉を待つ。私をじいっと見続けたペランは、おもむろに口を開いた。


「……ベルナデット・ミュラトール伯爵令嬢の話だよな?」

「な、なんでわかるの!?」

「エマがそこまで関わろうとすんなら、常連のお客様しかありえない。で、最近常連はあの人かアチェールビ伯爵くらいしか来てねぇだろ。まだアチェールビ伯爵にはそんな突っ込んだことできるわけないから、令嬢のほうに決まってる」


 ペランは淡々と理由を述べる。


 ――彼が常連と言ったとおり、フェリシアンさんはあれからたびたび店に来るようになった。

 当たり前だが、毎度フルオーダーのジュエリーを購入するわけではない。用意した商品の中で気に入るものがあれば購入していくが、ただ眺めて終わりの日もある。

 息抜きに使ってしまってすまない、と謝られたことがあるが、ただの冷やかしでないのなら立派なお客様に違いない。そしてたとえただの冷やかしだったとしても、そこを買わせる気にさせるのだって私の仕事のうちだ。

 なんてことを説明したら、フェリシアンさんは「さすがだな」と微笑んでいた。それからは謝罪されるようなこともなく、気兼ねなくご来店いただいている。


「すごいね、ペラン。大正解だよ」

「これくらい、エマと常連客のこと知ってれば誰でもわかる」


 ふんっと鼻を鳴らしつつも、少し自慢げである。


「ま、あの人ならエマのこと気に入ってるし、突っ込んでも問題ないだろ。そもそもこの店の店長はおまえだしな。おまえのやりたいことはやるべきだ」

「け、結局ペランまで私に甘い。私に甘いのはベルだけでいいんだけど」

「甘いっつーか、信頼だよ信頼」


 その信頼に足る人間でいなければ、と背筋が伸びる思いである。これまでに培ってきた経験と知識はそれなりだが、まだあくまでそれなりでしかない自覚もあった。

 ペランは「そんで……」と話を元に戻した。


「自覚させる方法の話だよな。ご令嬢に気づかれてもいいんなら、魔宝石に魔力こめてもらうのが一発だと思うけど……」

「あっ、そっか、その方法が……!」


 思わずぽんと手を打ってしまった。

 精霊に愛された人間が魔力を流すと、魔宝石はその輝きを増す。それは私がこの世界に来た日、ティンカーベル・クォーツで実際にやったことだ。

 しかし通常の人間であっても、その魔力に強く深い感情が込められていれば少しだけ輝きが変わるのだ。精霊は美しいものが好きだから、その感情が精霊基準で美しいものであればなんだっていい。愛でも恋でも友情でも。


 ベルナデット様は魔宝石本来の輝きを愛しているから、ご自身の魔力を流したことはないと以前おっしゃっていた。

 けれど今回は婚約指輪なわけだし、適切に説明すればやってくださるんじゃないだろうか。

 それが恋であるかの判別はともかくとして、深い思いであることへの証明にはなる。きっかけさえあれば、自覚はそう難しくない……はず。


「ありがとうペラン、助かった!」

「はいはい、お役に立てて何よりだよ。じゃあさっさと開店準備の続きやるぞ」



 そうして一人目のお客様を接客中に、ふと気づいた。

 ……結局ペラン、ベルのこと好きだって自覚したタイミングの話はぐらかしたな!?




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