ダイヤモンドの証明
14
一号店の常連のお一人である、ベルナデット・ミュラトール伯爵令嬢。
彼女は魔宝石にしか興味がないと公言している、少々変わった方だった。
二十二歳にして未婚というのは、失礼ながらこの国の貴族社会では通常行き遅れと表現されるものだ。しかし、そんなことを言う人間はどこにもいない。――なぜならあまりにも美しいからである。
国一番の美姫は誰だ、と問われたなら、この国の人間が挙げるのは第三王女殿下のお名前か、ベルナデット様のお名前だろう。セレスティーヌ様も天使のようにお美しいが、美姫と評すには少々幼さが残る。
さて、本日はそんなベルナデット様が来店された。
応接室に通された彼女は、優雅にソファーに座ってさっそく口を開いた。
「今日注文したいのは、婚約指輪よ」
「……ご、ご婚約の噂は本当だったんですね」
つい呆然と返してしまった私に、彼女は「あら、失礼ね?」とくすりと笑った。
もう何度も顔を合わせているベルナデット様とは、それなりに気安い仲だった。なんといっても、彼女の魔宝石への愛は深い。私と同じくらいに。
同じ熱量で同じものを好き、なおかつ身分の高いほうがまったく身分差を気にしない人間となれば、仲が良くなるのも当然ではあった。
以前恐れ多くも「ベルって呼んでいいわよ」と愛称で呼ぶお許しをいただいたが、妹の愛称と被るから遠慮したいと正直に答えたところ、ますます気に入られた。結果オーライだったとはいえ、さすがに失礼すぎたな、と今でも反省している。
ベルナデット様は人を正直にさせる、不思議な魅力のある方だった。
「まあ、あなたが驚くのも無理はないでしょう。
くすくす、ベルナデット様は楽しげに笑う。
新緑の妖精、と紹介されたところで、きっと疑う人などいないだろう。彼女がただ笑うだけで、その場の空気が一気に明るく、眩しくなる。
豊かに輝くプラチナブロンドに、この世で一番美しい色だと言われても納得してしまう翠の瞳。小さな花のように可憐でいて、それでいて大輪の花のような艶やかさもあわせもつ美貌だった。
私は貴族社会の最新の噂には詳しくないが、立場上、それなりに情報を仕入れるようにはしている。その中でも、彼女の婚約の噂は到底信じがたいものだった。
だってこの方は本当に、興味が魔法石にばかり向いているのだ。政略結婚が主流の貴族社会においても、彼女のご両親は恋愛結婚を推奨しているらしいのだが、「人に恋するより、魔宝石に恋したいわ」と悩ましそうにため息をついていたことすらある。
そんなベルナデット様が、婚約。
というかそもそも、婚約指輪って婚約が決まった時点でもう存在するものなんじゃないかな……? 今から、しかも男性が女性に贈るんじゃなく、女性が用意するってどういうことなんだろう。
私の疑問を感じ取ったように、ベルナデット様は話を続けた。
「でもね、今のところはお飾りの婚約者なのよ」
まるでロマンス小説の始まりのような単語だった。たぶん、この世界……というか貴族社会には普通にある話なのだろうけど。
ベルナデット様はご機嫌な様子で、こてんと小首をかしげた。
「エマ、あなた、私の婚約者についてどのくらい知っていて?」
「え、ええっと……宝石商の方だということだけ」
「遠慮なく言っていいのよ」
「……その、偏屈で不愛想でケチな宝石商、だと。噂では」
「ふっ、ふふ、あの人、そんなふうに噂されているの?」
おかしそうに笑うベルナデット様。どうやら別に、婚約者についての噂を知っていたわけではないらしい。
「私の婚約者になった妬みから言われているのか、それとも前から言われていたのか判断がつかないわね。私もまだ、そんなにあの人のことは知らないし……でも、悪い人ではないのよ。本当に」
そう語るベルナデット様は、優しい顔をしていた。長い睫毛を伏せ、一息つくように優美な動作で紅茶のカップを傾ける。
いつもよりご機嫌な様子から、もしかして、とは思っていたけれど。これは……恋愛結婚、なんじゃないだろうか。
この方でも人間を好きになったりするんだなぁ、と非常に失礼な感動を覚えてしまった。
「ベルナデット様ご自身が望まれた婚約のようでほっとしました。ご婚約、おめでとうございます。お祝いの言葉が遅くなり申し訳ありません」
「ありがとう。気にしないで、私自身も驚いているって言ったでしょう? 咄嗟に祝福の言葉が出てこない気持ちはよくわかるわ」
ベルナデット様は音もなくカップを置いた。
「あの人、私の美しさを利用したいんですって。あの人が仕入れた宝石で私が身を飾れば、あの人の宝石を買う人が増えるだろうって……そんなことあるかしらね。魔宝石の美しさに変わりはないのに」
この方は自身の美しさをあまり理解していない。というより、魔宝石の美しさを信じ切っている。いっそ信仰と表現してもいいくらいだろう。
だから今の言葉も、本心からのものに違いない。私は婚約者様の気持ちがものすごくわかってしまって(実際、私はセレスティーヌ様に宣伝をお願いしている)、曖昧に微笑むしかなかった。
「――けれどね、本当の本当は、あの人、私のことが好きらしいのよ」
内緒話のように、ベルナデット様は声を潜める。
……話の流れ、変わったな。
自分の恋愛には微塵も興味がないが、他人の恋愛となれば話は別だ。私にも人の恋バナにときめく気持ちくらいは残っているので、思わず少し身を乗り出してしまった。
「宝石商って職業は私の興味を引くにはぴったりだけど、そこに恋愛が絡まると面倒に思われるって考えたんでしょうね。あの人、私には私のことを利用したいとしか言ってないの。おせっかいな秘書から教えてもらわなきゃ、全然気づけなかったくらいずっと不愛想だし」
「ベルナデット様の前で不愛想でいられる人がこの世に存在するんですか……!?」
「そんなにびっくりするようなこと? ああ、でも確かに……私に不愛想な人なんて初めて見たかもしれないわね」
形の良い唇に指を当て、今気づいた、というふうに目を瞬く。
「婚約自体を済ませたのは三か月前だけれど、あの人、私の前で一度も笑ったことがないの。だからね――ようやくここで話が戻るんだけど、私が改めてお揃いの婚約指輪を用意したら、あの人もさすがに喜ぶんじゃないかと思って。笑うまではいかないにしても、嬉しがってる顔くらいはそろそろ見たいわ」
「それは……素敵な目的ですね」
ベルナデット様からこんなお話が聞けるとは思っていなかったので、少し言葉に詰まってしまう。
本当に、素敵な目的だ。これはいっそう張り切って最高の指輪を作らなきゃ……!
気合いを入れたところで、ふと『改めて』という部分が引っかかる。
「婚約指輪自体はもうすでにあるんですか?」
「ええ。エマが見たいかと思って持ってきているけれど、見る?」
「ぜひ!」
「そう言うと思ったわ」
ベルナデット様が視線を送ると、控えていた侍女の方がすっと小さな箱をテーブルに載せた。
ぱかりと開けられたそこには、
目を細めてしまうくらいまぶしい多種多様な光が、くるくるとつむじ風のように舞っている。ただの魔力の流れなのに、楽しそう、と感じてしまうほどだった。
「恋愛にも結婚にも興味はないけれど、両親に孫を抱かせてあげるためには、さすがにそろそろ結婚しなきゃでしょう?」
ベルナデット様は幸福そうにため息をついて、トルマリンを見つめる。
「だから条件を出したの。とは言っても噂を流しただけだけど……『ベルナデット・ミュラトール伯爵令嬢は、一番心惹かれる魔宝石を見せてくださった方と結婚すると言っているらしい』ってね」
「それで選んだのがこのトルマリンなんですね……! ベルナデット様がお選びになったのもわかります。とても美しい輝きですね」
「ふふ、でしょう? もう絶対にこれだわ、って思ったの」
魔宝石の前では、彼女は幼さすら感じるほどにこにこと笑う。今日も可愛らしく微笑みながら、ベルナデット様は指輪を左手の薬指にそっとはめた。
……そういえば婚約指輪なら、ずっとはめたままでいるのが普通じゃないだろうか。
「普段はおつけにならないんですか?」
「あの人ね、私がこの指輪をしているだけで固まっちゃうのよ。嬉しすぎて」
「……それも秘書の方が教えてくださったと?」
「ええ。あと、はしたないけど盗み聞きもしたわ。夢を見ているみたいで何も考えられなくなってしまうんですって。私が素敵な魔宝石を見たときのような感覚なのかしら?」
……どうにも思ったより、なんていうか……お相手の方、めちゃくちゃ相当ベルナデット様のことが好きなんじゃないだろうか。微笑ましく感じて、小さく笑ってしまう。
「婚約指輪は女性しかつけないけど、別にお揃いでつけちゃだめって決まりはないわよね?」
「はい。ごくまれにですが、ペアでつける方もいらっしゃいます」
とはいえ、すでに婚約指輪があるうえで改めて作るとなると……それはもはや、普通のペアリングなんじゃないだろうか。
そう思わなくはないが、野暮なことは言わないほうがいいだろう。こういうのはご本人たちの心持ちが重要なのだ。
「そう、よかった。私のほうの指輪は、このコニャックダイヤで作ってほしいの。あの人の瞳の色とそっくりなのよ」
またも侍女の方がそっと箱をテーブルに置く。コニャックダイヤとは、濃く深い色合いのブラウンダイヤモンドのことだ。
一目で上質だとわかるダイヤモンドに、私は感嘆の息を漏らした。安定した炎のような魔力が、ゆらりときらめいている。
「非常に率直な感想で申し訳ないのですが、恋は人を変えるというのは本当ですね……。お相手の瞳の色の石で指輪を作りたいなんて」
本当に失礼だが、ベルナデット様にそんな情緒が備わっているとは思っていなかった。いや、婚約者様に出会って変わられた、と言うべきか。
しかし、ベルナデット様は私の言葉にきょとんと目を丸くした。
「…………こい?」
まるで知らない単語を口にするように、拙い口調だった。
「――私、あの人に恋なんてした覚えはないわ。昔も今も、私が好きなのは魔宝石だけよ?」
「……失礼いたしました」
……これは、どこまでおせっかいに口を出していいものか。
少々悩みながら、私は続いて婚約者様の指輪についてのご要望を訊くことにした。
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