10

 三日後、ドラゴンの巣へ予定どおり行くことになった。

 伯爵と共に馬車を借り、集合場所へ向かえば、護衛を頼んだ傭兵――ターニャはすでにそこにいた。

 特殊な採掘に赴く際、私はいつも彼女に護衛をお願いしていた。実力が確かだし、同い年だから気安くて助かるのだ。

 褐色のすらりとした長身は、いつ見ても美しくて格好いい。本人は少しコンプレックスに思っているようだけど。


「アチェールビ伯爵。こちらは本日護衛を依頼したターニャという者です」

「……どうも」


 ターニャが軽く頭を下げると、一つに結わえられたブルネットが揺れる。


「今日はよろしく頼む」


 侮るような顔も一切見せず、それどころか伯爵は彼女に右手を差し出した。

 ターニャはそれをぽかんと見つめ、握手を求められていることに気づくとぎょっと目を見開いた。次いで、焦ったように私のほうを見てくる。

 彼女は寡黙だが、表情はものすごく豊かだ。そういうところが可愛いと思う。


「ターニャ、大丈夫。握手してさしあげて」


 促すと、ターニャはおっかなびっくり握手に応じた。警戒する猫みたいだった。

 伯爵はその手を離してから、ふと何かに気づいたように私に顔を向けた。


「そういえば、あなたの名前をまだ聞いていなかった。こうして店の外で関わるなら支障も出るだろう。教えてもらえるか?」

「ああ、気が回らず申し訳ございません。エマと申します」

「ありがとう。エマもターニャも、今日はそうかしこまらなくて構わない。咎める者もいないからな。私のことはフェリシアンと呼んでくれ」


 ターニャは、そうは言われても、という困った顔をした。私もたぶん、同じ感情がうっすら顔に出てしまっていると思う。

 伯爵相手を名前で呼ぶなんて恐れ多いというか、抵抗感がすごい。


「……フェリシアンさんでもいい」


 そして妥協のようにそう続けるってことは、もしかして呼び捨てを求められてた? さすがに無理でしょう。


「わかった」

「ターニャ!?」

「どうせあたしが呼ぶ機会はない」


 ず、ずるい。ターニャは私の名前を呼ぶこともほとんどないから、確かにそのとおりなんだろうけど。

 お客様の要望には応えるべき? 嫌ってわけじゃないから、伯爵が気にしないならいいんだろうけど……。貴族を……そんな親し気に呼ぶの……?


「まあ、呼べたらでいい。口調のほうは少し崩してもらえたら助かるが」


 私があまりにも困って見えたのか、さらに妥協させてしまった。も、申し訳ない……。


「かしこ……わかりました。一日だけとはいえ一緒に旅をするんですから、意思疎通は少しでもしやすいほうがいいですもんね」

「ああ。では、出発するか」

「ええ、道中、デザインの相談もさせてください。妹さんの好みはより詳細に確認してきてくださったんですよね?」


 ミュルアン山脈に向け、三人で出発する。御者は私とターニャで交代制、操縦にあまりに難ありだった場合には伯爵が代わる、ということで話がまとまった。

 最初はターニャに操縦してもらうことにして、伯爵とキャビンに乗り込む。


「馬車に乗るのは久しぶりだな」

「確かに、貴族での主流は魔法車だと聞きます」


 魔法車というのはその名のとおり、馬ではなく魔力を動力として走る車だ。見た目としては、馬のいない馬車とそう変わらない。

 非常に高価だが、馬車より圧倒的に揺れず、スピードのコントロールも簡単らしい。いいな……。

 馬車の揺れは苦手だ。お尻が痛くなるし、何より気を抜いたら酔う。


 町の近くは魔物がいないが、もうしばらくしたらちらほら出始めるだろう。好かれるとはいえ、危険がないわけでもないから警戒はしなければいけない。

 そっとしておいてあげようとばかりに遠くから見守ってくれる魔物もいれば、甘えにくる魔物もいるし、好きだからこそ食べたい、自分のものにしたいと思う魔物もいる。

 一応ドラゴンも魔物の一種ではあるけど、知能が高い魔物は……なんていうんだろう、孫みたいな可愛がり方をしてくれるとでも言えばいいんだろうか。

 そんな多種多様な好かれ方をするので、ドラゴンの巣自体は他の魔物が存在しないから安全でも、道中はそうもいかないのだった。なぜか見守り型の魔物が多いから、そこは助かるのだけど。


 ターニャが無言で哨戒し、私たちも話しながら警戒を続ける。

 草原をしばらく走って、森に入った。そろそろ御者を交代しようかと思ったが、断られた。打ち合わせが終わっていなかったから、気遣ってくれたのだろう。


 妹さん――セレスティーヌ様は、それほどジュエリーのデザインにこだわりがないようだった。あまり多くの種類の石を使わず、メインの石が引き立つデザインであれば何でもいいのだとか。

 では他に好きなものは、とモチーフのヒントになりそうなものを訊けば、よどみなく答えが返ってくる。


「花や蝶、月、星、羽、リボン、とにかく可愛いものや美しいものは何でも好きな子だよ。ああ、果物も好きだな。音楽や絵画も好きだし、乗馬も好きで、小動物だけでなく雄々しい生き物も好きだ。本、とりわけ恋愛小説を好んでいるし、劇もよく観に行っている。あとは、そうだな。甘いものが好きで、自分でも菓子作りをすることがある」

「すみません、多すぎてヒントになりません!」


 まだ続きそうなのは察していたが、伯爵が一呼吸ついたところでストップをかけてしまった。


「すまない、言いすぎたか。だが、そうだな……特にこれが好き、と特別扱いしているものは宝石以外にない気がする」

「……ちなみに、はくしゃ……フェリシアン、さん、は」


 おや、というふうに彼は目を瞬いた。

 絞り出してはみたものの、やっぱり言いづらい。だけどどこか嬉しげな様子を見てしまうと、元の呼び名に戻すのが少しかわいそうにも思えた。

 ……うん、仕方ない。一度呼んでしまったんだし、呼び続けよう。


「エメラルドが用意できたとして、それをセレスティーヌ様に初めて伝えるのは、完成したイヤリングを見せるときがいいですか?」

「できればそうだな」

「ですよね……。となるとやっぱり、ご本人にデザインの希望を訊くのは何かを察せられてしまう可能性がありますし、避けたほうがいいですね」


 本当に難しい依頼だな……。

 ドラゴンの巣から帰ったら、セレスティーヌ様の写真を見せてもらえないだろうか。たぶん貴族なら写真機を持っているだろうし。

 うーん、と唸っていると、馬車が止まった。


「警戒を」


 御者台からターニャが鋭い声を上げる。

 目視できる距離に魔物はいな――いや、熊型の魔物がこっちを見ている。おそらくアンバーベアという、地属性魔力を持った魔物だ。

 これは……どっちだ!? 友好的なほうか……!? 

 そこの見極めはターニャが得意なので、私は息をひそめて様子を窺いながら、キャビンを出た。ターニャが戦うのなら、馬が怯えないよう私がなだめなければ。

 フェリシアンさんもまずはターニャの実力を見極めたいのか、腰の剣をいつでも抜けるようにしながらも、ターニャの出方を見ているようだった。


 ――ダッ、と軽やかにターニャが駆け出す。

 その軽やかさとは裏腹に、彼女の武器は大剣だ。

 最初に彼女が大剣を振り回しているところを見たときは、その細腕のどこにそんな力が!? と唖然としてしまったものだ。しっかりしなやかな筋肉はついているのだけど、それにしたって理解しがたい。


 ターニャの動きに、アンバーベアが吠えるように鳴いた。意外と高めのその声は人間の叫び声のようにも聞こえて、ぞわっと鳥肌が立った。手綱を握って、なんとか馬が暴れないようにする。

 アンバーベア目掛けて、思い切り振り下ろされる大剣。かろうじて避けた魔物にさらに一振り二振り、ターニャは大剣とは思えない速度で猛攻する。


「……えいっ!」


 ちょっと気の抜ける声が聞こえた瞬間、私は反射的に目を閉じてしまった。ターニャがこういう声を上げるとき、大抵頭をぐちゃっと潰すグロい殺し方をするんだ……!

 断末魔の叫びを上げる余裕もなかったようで、アンバーベアの体がどすんと地に倒れる音が聞こえた。

 魔物は死んだら、地に返るように消えていく。そろそろ大丈夫かな、というところでそうっと目を開けてみた。


「終わった」

「いつもありがとう、ターニャ……。最後まで戦闘見てられなくてごめん」


 大丈夫、と言うようにターニャはにこっと笑ってうなずいた。


「見事な腕だ。魔物の群れにでも遭遇しない限り、私の出番はなさそうだな」

「うん。魔法も使えるから、五体くらいは余裕だ」

「それは頼りになる」


 ふふん、とターニャは得意気だ。

 ターニャはもちろん貴族ではないが、魔力を持っている。

 一、二体相手だと魔法を使わないほうが楽なのだと、以前話していた。アンバーベアを大剣だけで倒したのはそういうわけだろう。


「……しかし、魔物との遭遇率が異様に低いな。きみが隠したかったことに関係が?」


 あ、『あなた』から『きみ』になった。フェリシアンさんも少し砕けたしゃべり方をしてくれている? のか?


「そうですね。私、実は……ものすごく精霊に愛されていて。それに関係があるのかはわからないんですが、魔物にも好かれるんです。襲ってくる魔物は少ないと思いますよ。ドラゴンみたいに知能の高い魔物だったら、もう猫かわいがりされます」

「それは……」


 フェリシアンさんが絶句した。


「……確かに、隠しておきたくもなるな」

「でしょう?」

「ドラゴンに猫かわいがりされたことがあるのか?」

「一度。今から会いにいくドラゴンとは別のドラゴンですが、私の噂を精霊から聞きつけて、わざわざ会いにきたんですよ。いろんな宝石を落として、私を誘い出して!」


 ヘンゼルとグレーテルのパンくずよろしく、点々と良質な宝石が落ちているのを見つけたときは夢かと思った。夢かと思ったから、普通にそれを拾い続けて町はずれまでおびき出されてしまったのだ。

 そりゃあ、会うなら他に人間のいないところじゃないとだめだというのはわかるけど。もっと何かなかったのかな? という釈然としない気持ちはいまだに残っている。

 なんか私がすごい単純で馬鹿みたいだ……。


「優しいおじいちゃんって感じでした」


 その言い方がおかしかったのか、フェリシアンさんはふふっと小さく笑った。

 ……ほんっとうに美しいな、この人。新鮮に惚れ惚れとしてしまう。

 セレスティーヌ様のお姿を見るのが楽しみだ。見たらきっとアイディアが止まらなくなるにちがいない。




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