5

「――よし!」


 床もショーウィンドウもぴかぴかにして、ふうっと一息つく。お疲れさまとでも労うように、精霊が私の頭や頬を撫でるように飛んだ。

 開店祝いで父さんから贈られた観葉植物は、アナベルが位置を調整している。真剣な顔で店全体のバランスを見て、何度も鉢植えの場所を変え、やがてくるっと私のほうを見た。


「お姉ちゃん、ここでいいかな?」

「ばっちり! ありがとう、ベル」

「ふふふ、どういたしまして」


 可憐に笑うアナベルが愛しくて、思わずぎゅーっと抱きしめてしまう。嬉しそうな笑い声を上げるアナベル。

 そんな私たちを見て、店員の一人、ぺランが呆れ顔をした。


「おまえら、もうすぐ開店時間だぞ。遊んでないで仕事しろ」

「……わたしは魔力ないから、このお店でお仕事できないんだけど」


 アナベルがむっと唇を尖らせる。


「お姉ちゃんとわたしがぎゅってしてるのが羨ましいからって、意地悪な言葉選びしないでくれる?」

「はあ? 羨ましくなんかねぇよ」

「それにしてはすごい視線感じたけど? 素直になれない男の子ってダサいよね、お姉ちゃん」

「いや、店のど真ん中でやられたら嫌でも目に入んだろ。俺のほうが正論言ってるよな、エマ」


「う~ん」


 二人の言い合いに、私は曖昧に微笑んだ。

 ぺランはわたしたちの幼馴染である。宝石店の近所に住んでいて、魔力持ち。


 あれは確か、ベルが歩けるようになったころ……つまり私が大体六、七歳だったころ。同じ魔力持ちだし、年も近いし、ということでぺランと引き合わされたのである。

 私は正直、前世のアレのせいで男とはできるだけ近づきたくなかったのだけど、まあ、まだ小さな子どもだったし、魔宝石の話をしてわかってくれる友達も他にいなかった。(なんせ他の子は魔力を持っていないから、魔宝石のあの素晴らしい輝きが見えないのだ)


 だから仕方なく付き合うようになり、次第にアナベルも含めて一緒に遊ぶようになって――現状、ちょっとややこしいことになっている。



「っていうか、おまえもこの後仕事だろ。別に言葉選び間違ってるわけじゃねーし」

「それはそうだけど……!」

「遅刻するぞ。やること終わったんならさっさと行け」

「お姉ちゃんのお店の開店日だよ!? 名残惜しいの! もうちょっとくらいいてもいいでしょ!」


 アナベルは基本的にものすごくいい子なのだが、ぺランのことは目の敵にしている。なぜなら、ぺランがわたしのことを好きだと勘違いしているから。

 どうしてそんな勘違いを……? と首をひねってしまうが、まあぺランの態度が悪い。私とアナベルへの態度があまりに違うのだ。なぜなら、アナベルのことが好きだから。


 私には素直なんだよなぁ、ぺラン。

 ベルの前でだけこう……。口が悪いのは私相手でも変わらないけど、根っこはお人よしだし、礼儀正しくすべきときにはちゃんとできるし、なんでこうなっちゃうかな。長年の謎だ。

 とりあえずそろそろ止めておこう、とため息とともに口を開く。


「ベル。まだいていい、というかいてほしいから落ち着いて」

「……うん」


 むすっとしながらも、私の言うことなのでアナベルは素直にうなずく。

 アナベルは刺繍の仕事をしている。今日は午前中の早い時間だけお休みをもらったみたいだけど、この後仕事場に向かうのだ。

 この国では義務教育なんてものはないので、ある程度大きくなったら働きに出るか、職人などに弟子入りするか、という具合だった。一応教会で文字の読み書き程度は教えてもらえるけど。


 アナベルは仕事の傍ら、以前母さんに勧められた会計士の資格を取るための勉強もしている。

 健気すぎて胸が苦しい。私の妹が世界一愛しい。

 会計士の資格は私も前に取ったが、私の場合、ある程度勉強に集中できる環境が整っていた。たぶん前世で言う公認会計士よりは単純な資格なのだけど、仕事をしながら、となると相当大変そうだった。


「で、ぺランもベルが可愛いからっていじめないの」

「いじめてねーだろ!」

「可愛いのは否定しなくていいんだ?」


 ここで否定したら私がキレて、私をキレさせたことにアナベルが怒る、という面倒な事態になることをぺランはよく知っている。

 ぐっと言葉に詰まって睨んでくるのを、ふふんと笑ってやった。

 とはいえぺランは今十七歳。十八歳が成人のこの国で、まだ成人していない歳だ。外ではもう子ども扱いされない歳でもあるけど、私にとってはまだ子ども。あまりからかうのもかわいそうなのでここら辺でやめておこう。



 ベルと軽くおしゃべりをしながら、店内の最終チェックを済ませる。


「エマさん、こちらの準備は終わりました」


 奥にある応接室は、ノエルさんが完璧に仕上げてくれていた。

 ……そう、いたんだよね、ノエルさん。

 ノエルさんはどうも私たちが三人で仲よく(?)過ごしている時間が好きなようなので、気を遣って奥にこもってくれていたのだろう。

 ノエルさんはもともとは一号店の店員だけど、二号店の開店に伴い、こっちの副店長をしてくれることになった。めちゃくちゃ頼りになる方だ。


 ――この世界に来て、宝石の勉強を始めて十五年。

 仕入れ、鑑定鑑別、デザイン、販売、必要であれば採掘まで自分でできる自信がある。

 魔宝石協会特別会員の試験にだって、無事一発合格が出来たのだ。

 大昔就活中に未練がましく調べた……確か、FGA? 宝石学の最難関資格みたいなやつだったら、正直私なんか受からないだろうと思っていた。

 でもこの世界の試験は意外と簡単だった。筆記は全部記述式だったけど、覚えていることばかり出たので全問正解。

 実技試験の鑑別は……とてつもない量の石を見させられたけど。偽物含めてどの石も魅力的で、うきうき見ているうちに全部終わってしまった。もっと見たかったくらいだ。



「お姉ちゃん、わたしもう行くね。お手伝いさせてくれてありがとう!」

「こっちこそありがとう、ベル。気をつけて行ってきて」


 ベルを見送り、さて、と店の外を見る。そろそろ今日二回目の鐘が鳴る。そしたら開店だ。

 この世界には時計はあるけど、庶民には普及していない。集会所や広場の大きな時計を見るか、一日に五回、正確な時間に鳴る教会の鐘で知る他なかった。貴族は腕時計までつけてるっぽいけどね。一応この店にも壁時計をかけてある。


 たぶん文明的に、中世ヨーロッパなんかよりはかなり発展してるんだけど、現代に比べたら全然……っていう感じなのだ。大抵魔法でどうにかする技術はあるけど、それを普及できるほどの力はない。

 母さんたちが使ってた電話みたいなやつも、相当な高級品だし。


「ぺラン、人前での君の所作は信頼してるけど、気を抜かないでね」

「ああ」


 …………ベルがいないとほんと素直なんだよなぁ、この子。


 扱うものが扱うものだから、十分大人の部類とはいえ、成人前のぺランを雇うかどうかは実はかなり迷ったのだ。本人から希望を受けなければ考えもしなかったことだ。

 ぺランは貴族の家に使用人として奉公していたから、身分の高い人の前での振る舞いはすでに身に着けているし、素直で勉強熱心な人柄もよく知っている。信頼が重要な職だし、ということで、二号店で働きたいという彼からの申し出を受け入れたのだ。


 ――鐘の音が聞こえてくる。

 さすがに少し緊張しているのか、ぺランが小さく深呼吸をしている。ノエルさんはいつもどおり、どこまでも冷静な佇まいだ。……出会ってから十五年経っても、見た目が変わってないのが不思議である。


 外に設置した看板をひっくり返して、オープンにする。

 そして誰に聞かせるわけでもなく、小さくつぶやく。


「宝石店アステリズム。本日オープンしました」


 アステリズム。スター効果、星彩効果とも言われる宝石の光の効果の一つだ。その効果が現れる宝石で一番有名なのは、スタールビーかもしれない。

 星のような鮮烈な輝きは、言葉の響きの美しさと相まって、店名に使うのにぴったりだと思った。二号店の名前は好きに付けていいと言われたとき、一番に思い浮かんだ。


 ――この世界で、宝石を見て楽しむ余裕がある人間はそう多くない。

 でも星は誰でもその美しさを楽しめて、毎日だって見ることができる。遠いけれど、同時に近い存在だ。

 この世界の人たちにとっての宝石が、もう少しだけでもそんな存在になってくれたらいいな、という願いも込めた。


 看板を少しの間じっと見つめてから、私は店内に戻った。

 何もかもぴかぴかで、宝石が置いていなくたって眩しいくらいだった。

 だけどやっぱり、宝石が一番美しい。いろんな魔力が、風のように、光のように、雨のように舞っている。


 今日から私は、この店の店長だ。




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