Black:全てがクソだ

 真島と呼ばれたねちっこいメガネ男はうららの腕を掴み、俺たちを入り口に強引に誘導する。


「ちょっと、触らないでよ!」


 うららが吠えてる。そりゃ~気持ち悪いだろうよ。


 俺は後ろを振り返った。


 京香さんはこちらを見ようともしない。その時、京香さんの旦那と目があった。


 爽やかな笑みをたたえ、「サヨナラ、アース」って口元を動かした。くそっ。俺を追い出した親父の顔が重なる。くそっ。くそっ。


「下で車が待っています。これはお車代として」

「いらねぇ」

「そう言わず、坂下さんを送り届けてください。とのことです」


 ちっ。


 俺は封筒を受け取り、エレベーターの扉が静かに閉まるまでoceanオーシャンの店内を見ていた。


 そこには寂しげに、赤い傘がぽつんと置かれていた。




『トラブルあり 遅れると思う』(送信)


 俺は和馬に連絡を入れておく。和馬がキャストの配置とか苦労しているのを知っているから。

 男同士の間でも、競争社会だからな。いろいろ面倒が起きる。


『りょ 翔さんに京香さんから連絡ありました』


 すぐにメッセージが戻ってきた。

 俺は和馬のメッセージから目が離せなかった。京香さんからのメッセージは俺にはこない。だから俺はスマホのメッセージをただじっと見つめるしかできなかった。


 今夜話そう。話せばわかる。


 俺はこの時、京香さんの態度が妙に気になっていたんだけど、目の前の荷物を届けることを選んだ。

 店に戻って客じゃない巻き込まれ事故なんだって、説明することもできたのに。


「ねぇ、怖い顔してどうしたの? タクシーで送ってもらえるなんて、ラッキーだよね」


 うららは、ケラケラと笑っている。黙っていれば可愛い部類に入るだろうその顔は、今はただのうるさい女にしか見えない。俺にかまうな。


「ねぇ~。大陸あーすは、Rebootリブートっていうお店のホストなの? さっきのオジサンが言ってたよね?」

「あぁ」


 俺は答えるのも面倒で、窓から流れる景色を見ていた。


「あんな人たちと働くなんて、よく我慢できるねー。もぉ~最悪なんですけど」


 うららは、スマホをいじりながら悪態をつく。


「今度大陸あーすのお店、行ってあげるね」


 お前の小遣いじゃ無理だ。舐めんなよ。店の前で和馬に失笑されて終わりだ。


 もう、俺にかまわないでくれ。


 うららの話は終わらない。夜の仕事に興味もって面接にきたんだろ? と突っ込みをいれたくなるくらい、俺たちの仕事に対して辛辣な言葉を並べていた。


「やっぱり~、インターンとかでバイトした方がいいよねぇ。ちゃんとしてるって感じ」


「言いたいことはそれだけか?」

「えっ?」


 うららは、初めてスマホから顔をあげて俺を見た。




「着きましたよ」


 重い空気をタクシードライバーが遮った。ナイスアシストだった。

 ここでちょっと待っていてください、と俺は言い、タクシーを降りる。


「あ、ちょっと待ってよ」

「ここだろ?」


 そこはオートロックのマンションだった。お金を稼がなければならないほどの苦学生には見えない。親の脛をかじって、悠々自適に暮らしている様に見える。

 

 苦労も知らず育ったタイプだな。くそっ。


 親父のことを思い出してから、早く一人になりたくて仕方がなくなっていた。スイッチをいれ続けていられない。誰か助けてくれ。


「ありがと。これ、クリーニングして返すから連絡先教えて」


 うららは、最高の笑顔を作って俺を下から覗き込む。やめてくれ。


「うん?」

「…いぃ」


「えっ?」


「返してくれなくていい。捨ててくれ」


 俺はそれだけ言うと、タクシーに逃げ込んだ。偶然にも、ここは深雪の部屋の近くだった。忘れたい過去が追いかけてくる。


「ちょっと! 大陸あーすってば」


 うららは、走り去るタクシーを見ながらピョンピョン跳ねてる。


 もう二度と会うことはないだろう。俺はそう思った。俺の人生に交わるような女じゃない。


 タクシーのドライバーは、何も語らず俺を店まで運んでくれた。



 眠らない街。落ち着く街。俺はいつの間にか、京香さんと過ごすこの街や時間、空気全てを心地よく思い始めていた。

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