Orange:降ってきた女

 俺は冷たいシャワーを浴びて、出かける準備を始めた。


 さっきまでの雨が嘘みたいに、雨は少し小降りになっていた。

 雨雲レーダーは、もうすぐ雨が止むと言っている。


 俺はスイッチを入れる。


 この扉を開ければ、俺は心を着飾り周りの人間の表情を読み取ることに集中する。

 そうすれば少なくとも、この世界に溶け込める。



 店よりもちょっと手前でタクシーを降りて、店まで歩くことにした。


「今日は特に約束はないか…」


 店が始まる前に、食事をしたり、店までエスコートしたり、大抵そういう場合は事前に連絡があるのが常だ。そして一応、和馬に状況を報告する。

 お金が動く場合もあるから、トラブルにならないように、念には念を入れたほうがいい。これは翔さんの教えでもある。


 ドサッ。


「なんだ?」


 俺は雑居ビルの脇を歩いてた。この辺に京香さんの旦那が新しい店を開くと言うから、偵察を兼ねて。


 そうしたら、上から鞄が降ってきた。


 カツっ。


 今度はミュールが片方落ちてきた。


 俺は上を見上げて、驚いた。

 ビルの窓から女のナマ足が二本、ぶらぶらしているのだ。


「なんだ?」

「…っ。よっ…」


 またその足から、もう片方のミュールが脱げ落ちてきた。運悪く、頭にでも当たったら痛いに違いない。


 すぐそこは、非常階段だ。さすがに落下をして怪我する高さじゃないだろう。俺は無視するか考えた。

 素通りすることもできたんだが、足が妙に艶っぽくて、実は目が離せなくなっていた。


「手伝おうか?」

「えっ?」


 ばたついていた足が止まった。


「お願い! 引っ張って私を降ろしてくれない?」

「足触るけど? いい?」


「仕方ない。変なことしないでよね」

「するか」


 足だけに興奮する趣味はない。俺は女の両足を支え引っ張る。


「ちょっと! ゆっくり!」

「ハイハイ」


 スポッ。と音はしなかったけど、なんとか無事に女は壁の窓から脱出できた。


「あ、ありがとう」


 女は服をパンパン払いながら、一応お礼を言った。


「お前さ、何であんなところから出てくるんだよ」

「お前じゃないわ。ちゃんと名前あるから」

「ハイハイ。じゃ、お名前は?」


 女は鞄を胸元に抱え、じっと俺を見ている。やめてくれ、助けたのは俺で不審者じゃない。


「あなたは誰?」

「自己紹介ね。仕方ねぇーな」


 放って帰るには、キャミソール一枚なのが気になった俺は上着を脱いで着ろっと、手渡した。


「俺は大地あーす

「私はうらら。ありがと大陸あーす


 うららは俺の上着を羽織ってご満悦だ。

 俺より年下か? 一生懸命胸元を強調するキャミソールを着ている。あげて寄せて、涙ぐましい努力だ。


「ちょっと、なに見てんのよ。変態!」

「な、何だよ。そんな服着てんのが悪いんだろ?」


 うららは俺の服で胸元をしっかり隠し、しかめっ面する。自分が可愛いと知っている態度だ。

 普通の男なら、ころっとイっちゃうだろう。俺も京香さんの教えがなければ、手を…コホン。


「ちょっと訳あって…あ、あれ?」

 

 うららは、鞄の中、ポケットの中を確認している。俺の上着にはお前のものは何もないはずだが?


「ない!」

「なにがだよ?」

「スマホ…」


 うららは泣きそうな目で俺に訴えかける。知らん。俺はお前のスマホなんて知らないんだよ。そんな目で訴えかけないでくれ。


「お店に忘れたみたい」

「お店って?」

「新しいお店のフロアーを募集してたから…時給高いし、だから…」


 新しい店? フロアー? おいおい、この界隈だよ? 普通の接客業じゃないだろ?


「面接受けに来たのか?」

「そうよ」

「お前、まだ学生、未成年だろ?」


 それに、その谷間じゃ…。嫌いじゃないけど。


「ねぇ、スマホ取り返すの付き合ってよ」

「自分で行けよ。場所分かるんだろ?」


「あのね。嫌だから、面接の途中でトイレって言って出てきたの。のこのこ戻れると思う?」


 なんだこいつ? 逃げ出したことを正当化してるのか? 逆ギレってやつか…。関わらない方がいい。

 俺はそう判断した。上着はくれてやる。


「自分で行けよ。俺は関係ない。この界隈は、夜の店が多い。やる気がないなら、さっさと帰るんだな。スマホも諦めて」

「ちょっと何よ! 足触ったでしょ? もう関係者じゃん!」


 俺は腕を捕まれ、この女に確保された犯罪者のような格好になってる。


「スマホ! 一緒に行ってくれないと、大声出すから」

「おいおい…。分かったから、手を離せ」


 このままじゃ、店に遅刻するかも知れない。それは面倒だ。騒がれたら、俺みたいな職業は完全に不利だし、相手が未成年なら尚更だ。


 俺は瞬時に考えた。そして、スマホを取り返した方が得策だと考えたんだ。


「わかった。案内してくれ」

「ありがと」


 俺はうららが、面接していた店へ向かった。

 ホストが別の店に営業時間外に入るなんて、誰かに見られでもしたら、何を噂されるかわかったもんじゃない。しかも女連れ。


 俺は自然とスイッチをOFFにする。これから合うのは同業者のライバルだろう。その時に、どんな顔をすればいいか考えなければならない。


「何階?」

「10階 oceanオーシャン

oceanオーシャン?」


 しまった…やっぱり関わるべきじゃなかった。京香さんの旦那の新しい店だ。ここにあるのか。

 旦那は、俺と京香さんの関係ことを知ってるんだろうか? 



 俺はエレベーターの中で考える。

 ま、経営者が店にいることはないか。いくら俺でも京香さんの旦那には、なるべく会いたくはない。



 俺はこの時、あまりにも楽観的に考えていたんだ。

 そしてこの女うららは、予想以上にめんどくさい女だった。

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