Silver:同意

 この時から、俺と京香さんの繋がりは形を持った。不思議な関係、彼女をこの部屋で待つという生活が始まったのだ。


「ここで会社のパーティをやろうと思うの。大陸あーすはここでキャストとして働いて欲しい。管理人みたいな感じね」


 京香さんは、初めてこの場所に俺を連れて来た時にそう言った。運転手付きの車が横付けされたのは、晴海ふ頭に建つ超高層マンション。その最上階の部屋に俺は通されたんだ。


 マンションから見る夜景が凄かった。ネオンに絶え間なく動く車のヘッドライト。どれも素晴らしかった。


大陸あーすは驚かないのね。それともこうゆう場所は慣れてるのかな?」


 俺は振り返り笑顔を作った。こうゆう時、人は何と言うんだろう?


「いいよ。無理しなくて。大陸あーすは今日からここで寝泊まりすればいいから」

「それって?」


 京香さんは冷蔵庫からエビアンを取り出して渡してくれた。どうやらここは定期的に家政婦の様な人が来ているらしい。全て必要なものはその人が用意してくれる。


「これから言う3つのことを守ってくれるなら、あなたがRebootリブートのNo1になるまで、衣食住を提供するわ」

「それって、京香さんと一緒に暮らすってこと?」


 京香さんは少し寂しい顔をして、エビアンをごくりと飲んだ。


「嫌なら嫌でいいの。ただ、悪い話じゃないと思うけど?」

「3つのことって?」


 俺はペットボトルを握りしめる。


「やっぱり、君は面白いね。普通のキャストなら大げさに喜んで媚売って、ひと時の偽りの愛を提供してくれるのに…」


 京香さんは、ひどく寂しそうだった。お金があるっていうだけで幸せとはいいがたいのかもしれない。俺はどうしていいかわからなかった。だから京香さんに微笑んでみせたんだ。


「ま、そこが大陸あーすの良いところなのかもしれないわね」


 そう言って、京香さんは俺の目の前で3つの約束を話始めた。


「1つ目、ここでは決してタバコは吸わないこと」

「吸わないよ」


「2つ目、No1になった時、またはこの関係が終わりを迎えた時は速やかに退去すること」

「わかった」


「3つ目、こっちに来て」


 京香さんは広いキッチンとリビングの奥にある部屋に俺を案内してくれた。そこは十畳ほどの広さのベッドルームだった。モダンで、カッコよくて生活感のない場所。

 ちょっとした棚とベッドと観葉植物、間接照明の家具が置かれているだけの部屋だった。壁に見えていたのはクローゼットらしい。


「3つ目は、この部屋に私以外の人間を立ち入れないこと」


 俺は部屋の奥に進み、窓から景色を眺めた。窓は鏡の様に俺と京香さんを映し出している。その間には、白いシーツで綺麗に整えられたキングサイズのベッドがあった。


「言ってる意味わかる?」


 俺は即答できなかった。


「京香さん、何で俺なの? 俺でいいの?」


 不思議な顔で京香さんが俺を見ている。俺、何か変なことを聞いたんだろうか? 少し心配になってきた時、京香さんが沈黙を破ってくれた。


「君は、女性にひどい仕打ちをしてきたでしょ? 初めてあった時の彼女がそう言ってたし。だから…かな?」


 え? 確かに俺は深雪だけじゃない。同じサークルの女子の部屋を転々としていた。やりたい時に思い浮かんだ女のところに出向く。ダメだったら次って言う感じに。

 でも、俺を受け入れたのは彼女たちであって、無理強いしたわけじゃない。そもそも俺には特定の誰かなんて必要なかったから、それでいいんだと思ってた。


「この何ヵ月間で、Rebootリブートで学んだでしょ? 人との付き合い方。いろいろな人を見てきたと思うんだよね。そこで君は人としても成長してきてるんじゃないかな」

「ま…。どうなんだろ?」


「だからね、これからは私が大陸あーすを、もっといい男に育ててあげる」

「なんだよ、それ」

「う~ん。No1になって、独りでもまっとうに生きていける術を教えてあげるってことかな」


 この時俺は思ったんだ。深い愛情もなく、捨てても傷つくこともない俺みたいな男が、彼女には必要なんだって。


 俺たちの間に愛情とかは存在しない。あるのは契約。


 そもそも俺には愛情っていう感情は一生理解できないだろう。それを分かっているから、京香さんは俺を選んだって思った。


「はい。ここの鍵」

「俺、返事してないけど」

「嫌だったら、明日お店で鍵を返してくれればいいわ。じゃ、今日は遅いから大陸あーすはここに泊っていきなさい」


 京香さんはそう言うとリビングの方へ歩き始める。


 俺は一生懸命考えてた。どうすることが正しいのか、きっと俺の顔は能面の様に固まっていたはず。それが俺の素の顔。


 俺は慌てて京香さんの腕を掴んだ。表情のない顔で彼女をじっと見つめる。


大陸あーす?」

「あ、ごめん」


 俺は笑顔を作ろうとした。でもできなかった。どうしていいかわからない。誰か答えを教えてくれ。


 京香さんの手がそっと俺の頬に触れた。冷たい指先だった。彼女は、どうするんだろう?


「謝らなくていいよ。ここでは無理をする必要はないわ。笑顔も作らなくていい。ここは大陸あーすと私しかいないから、スイッチを無理にONにする必要はないの」


 俺は俺のままでいいということなのか? 母でさえ俺の顔をみて不気味がってた。耳がきこえないのでは? と疑い病院にもつれていかれた。


 母の悲しむ顔を見たくなくて…、だから俺は笑うべきタイミングで笑うことを必死で覚えた。笑顔さえ作っていれば誰もが幸せなんだろうと思っていたから。


 深雪たちもそうだ。笑っている俺は彼女たちのアクセサリーで、彼女たちは俺の性の受け皿だった。それが生きて行くためのギブ アンド テイク。


 俺は無表情のまま、京香さんを抱きしめていた。


「俺、京香さんの側にいる」

大陸あーす…」


 俺は京香さんの提示した条件に同意した。


 この日から、俺は心のスイッチのONとOFFをうまく切り替えることを学び、京香さんに飼われることになった。


 衣食住、己の解放の見返りは俺自身だった。

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