Blue:生きる道
「おはようございます!」
「おはよう。和馬くん。翔くんはもう来てるかしら?」
「いえ、まだです。ビショビショじゃないですか? ちょっと待っててください」
和馬と呼ばれた男は、そう言うと奥の部屋に消えて行った。「ま~座ったら?」と彼女は言い、店の奥に進んでいく。
ここは夜の街の中心部に位置するビル。来たことなんて一度もないけど、ここはキャバクラか何かだと思った。彼女はここで働いているんだろうか?
受け取ったタオルで体を拭き、言われるがまま彼女の隣に座る。いつの間に用意してくれたのか、和馬と呼ばれた男がホットワインを出してくれていた。
「俺、金ないっす」
「あは。いいのよ。気にしないで」
彼女の指には結婚指輪がはめられていた。店で働く人が指輪をしていることに違和感を覚えたけど、とくにそこに対して質問をすることはしなかった。
「君、こうゆうところ来るの初めて?」
「えっ」
俺は店の中をキョロキョロ見ていたらしい。彼女はそこを見逃さなかった。
「あ…。すみません」
「いいのいいの。君名前は?」
「
「へ~いい名前ね。で、
彼女はホットワインを両手で包み、ふぅふぅしながら俺を見ずに質問してきた。いったいどこから俺たちのやりとりを見ていたんだろう。
しかも、ダメな人間か? と問われてYesと言う人間がいるのだろうか?
「ずっと見てたんっすか? そんな最低な男を逆ナンした?」
「う~ん。ナンパしたつもりはないわ。見てたのは最初から。向かい側のビルの上からね。たまたま聞こえたの。だってめちゃくちゃ彼女怒ってたじゃない?」
彼女は何がおかしいのか、くすっと笑った。
確かに、俺は派手に罵られていた。深雪にとったら俺は最低最悪の男だそうだ。深雪はヒステリックに俺を殴り、叫んでた。
「始めてだったのに」とか「一緒に住んでるじゃん」とか言ってたけど、俺は深雪のこと彼女だなんて、思ったことは一度もなかった。
だから、面倒だし次の女のところに行こうかと思ってたんだ。そうしたら、泣いてわめいて手がつけられなくなってた。
こうゆう時はどんな顔をすれば正解だったんだろう。分からない。
「ま、刺されないだけましね」
「そうゆうもんっすか」
「そうゆうもんっす。で、
なんだか尋問されているみたいで、居心地が悪くなってきた。
「タオル、ありがとうございます。俺帰ります」
「帰るのはいいけど、
たぶん、彼女の言っていることは正しい。俺は深雪の部屋に転がり込んでいたけど、合鍵を貰えるほど深い関係ではなかった。信用は元々されてなかったんだな。
「ま、座ったら? 話し次第で、私があなたを雇うっていうオプションも提示できると思うんだけど、興味ないかな?」
「雇う?」
この店の雰囲気からして…。俺は少しだけ興味を持った。感情的な興味というよりかは物理的な興味。この店の広さでどのくらいの従業員がいて、どのくらいの金が一晩で動くのか。そこが知りたくなったのだ。
「俺は何を?」
「待って、まずは質問に答えてほしいな。その上で決めるのは私」
彼女は今度はしっかりと俺を見つめた。そして座ってと、ソファーをポンポンと叩いた。
「京香さん、翔さんがあと30分くらいで到着できるそうです」
さっきの男、和馬が彼女の側に膝まづき、そっと耳打ちをする。京香さんと呼ばれた彼女は小さく頷いた。
行ったことなんてなかったけど、銀座のママのような華麗で品格のある所作だった。
「
京香さんは上目遣いに俺を見る。ドキってするほど大人だ。
「俺、あんたのことが知りたい」
正直な心の声が出てしまった。感情がない子だって言われていた俺が、人に興味をもってることに自分自身でも驚いた。
もちろん彼女も驚いた顔をしていた。まさかそんな質問が来るとは、普通思わないだろう。
「ふっ。そうよね。まずは私からね。」
彼女はホットワインをテーブルに置き、俺の方に向き直った。正面からマジマジと見る彼女は、俺よりかなり大人の女性に見えた。
「私の名前は京香。森下 京香よ。」
「森下…って」
「そう、今ちまたで噂になってる森下グループ。あれは私の祖父」
「金持ちなのかよ」
合点が行った。金持ちの女性がちょっとした気まぐれで、男を拾った。そんなところなんだろう。
「そうね。否定はしないわ。そしてここは、私の旦那が経営しているホストクラブ」
「ホスト…?」
俺はてっきり、奇麗なお姉さんたちが働いている夜の店だと思っていた。だから京香さんからでた言葉に、一瞬驚いたんだ。
「うん、
ナンバじゃない? どう見てもあれはナンパだ。ホテルにでも誘われるかと思ってた。だからついてきた訳じゃないけど…。一晩泊まれればラッキーくらい思ってなかったと言えば嘘になる。
「ほら、私は話したわ。今度は
俺はこの時どんな顔をしていいか分からなかったから、微笑んで見せたんだ。普通の人間だったら、こうゆう時戸惑う顔をするのかもしれないけど。
「うん。その笑顔いいね。自覚があるか分からないけど、いい顔」
「そうっすか?」
「うん。女子がほっとかない顔ね。それで? 続けて」
「俺、俺の事か…」
俺は何を話していいか本当に困った。彼女が何を求めているかわからなかったし、こんなこと俺の人生のマニュアルに書いてない。
俺をアクセサリーの1つみたいに考えている女子たちには、適当に応えられる自信がある。でもこの時の俺は、京香さんに真面目に話をした気がする。
20歳になったばかりだっていうこと、いちおう大学生で親からの仕送りを貰っていること。さっきまで一緒にいた深雪とは3ヶ月くらいの付き合いだったことも話した。
部屋はとうに解約していて、女友達の家を転々としていたことも正直に話した。
その間京香さんは、俺の顔を観察するような眼でじっと俺を見続けていた。何を考えていたのかは、まったく分からない。もしかしたら、この時から俺に感情というものが欠けていて、人を観察することで泣いたり笑ったりしているってことを見抜いていたのかもしれない。
「そんな感じかな。他に聞きたいことある?」
「いいえ。気に入ったわ」
「えっ?」
「今日からここで働いて。女の子を梯子するより、働けばいいわ。しばらくは翔くん! いろいろ教えてあげてね。そうね~。学生みたいだから、昼間は学校に行くように! 以上」
いつの間にかそこに、男が立っていた。ホストというテレビでみるイメージとは違い、どこかの実業家のような爽やかな印象のある男だった。
「翔くん、よろしくね。この子をいい男に育てて」
「わかりました」
「
そう言うと彼女は店を去って行った。俺の都合なんてお構いなしだ。
俺は知らない男2人に挟まれ、置いて行かれたのだ。
「京香さんが連れて来たのか。ということはかなり期待できそうだな。君、名前は?」
「大迫
「
「あ、はい」
翔さんは、少し考えていた。源氏名が必要だろうな、ってブツブツ言ってた。そしていきなりピンと来たようだ。
「
「承知いたしました」
「
訳も分からず、俺はこの日から
そして俺と京香さんの不思議な関係も始まった。
ここに居ていいんだと京香さんは言う。作り笑いも仕事と思えば気持ちが楽になる。そして京香さんに対しては、気をつかわなくていいんだって思わせてくれた。
だから俺は京香さんに飼われていたとしても、京香さんがこの部屋の外で何をしていようとも気にならなかった。
そう…あの日がくるまで。
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