第20話 後編03 信太朗⑨
熊谷家の家人たちが、倒した賊たちの後始末をしている。
僕たちは、熊谷屋敷の客間に通された。
屋敷といっても、客間と寝間が3部屋に炊事場がある、平屋の古民家といったところだ。
熊谷家客間には、熊谷次郎直実、直実の長男熊谷小次郎直家。あと家人数人。
そして僕と敦ちゃん。
「父上、下手人はやはり久下くげ郷のやからどもと思われます」
「やはり叔父上の仕業か……」
「はい。敦盛殿の笛の事は、武士のうちで噂になっております。それを聞いた大叔父殿は、当家から盗み出して我らの面目を失わせ、所領争いを有利にしようとでも思ったのでしょう。その帰りに突然敦盛殿が現れ、奴らさぞ驚いたでしょうな」
小次郎直家は、敦ちゃんと同い年だというが、大人びた顔をしている。
親父の直実と違い、髭は薄く面長で、すらっとした長身で目が細い。
いわゆる貴族顔で気品を感じる。
しかし、一ノ谷の戦いでは、父直実と共に、平家の陣に一番乗りで突入して活躍した、豪のものらしい。と、蛭尾教授が教えてくれた。
それにしても事態の把握が早い。
僕たちが時空を超えてやってきていることも、理解してくれた。
親父の直実はしきりに首を傾げているが。
蛭尾教授に教えてもらった作戦を熊谷家の面々に話した。
要約すると次の3点である。
①敦盛は平家一族の危機を救いたいので、この戦いを終わりにしたい。
②平家と源氏の講和は可能だが、源義経の存在がそれを阻んでいる。
③熊谷直実には、義経を倒す手助けをしてほしい。
「なるほど、よくわかり申した」
小次郎が父の代わりにこたえた。
「確かにその策なら、戦を避けられるやもしれません。失われなくてもよい命も助かるでしょう」
「それでは、味方になってくれますか?熊谷殿!」
敦ちゃんは身を乗り出す。
「しかし、なぜわが熊谷家なのです。敦盛殿なら、まず屋島におられる総大将宗盛殿か、お父上の経盛殿に頼むべきでしょう」
親父の直実は隣でじっとそれを聞き入っている。
「わが熊谷家は鎌倉殿の御家人。平家を倒す算段ならいざ知らず、危険を犯して平家を救ういわれはありません。いったい何の得があるのです?」
小次郎の言っていることはもっともだ。
「ええと、それはこうです。熊谷家が我らにお味方いただけましたら、3つの利がございます」
「3つの利?」
小次郎直家が怪訝そうな顔をで僕を見た。
「まず、先ほど撃退した賊ですが、あの正体は、久下直光殿の手のものではありませんか?」
「そうだ、大叔父上の手のものに違いない」
「久下直光殿は、近く熊谷家の代わりに次の平家討伐軍に召集され、九郎殿の与力となります」
「なんだと?」
直実と直家からは聞き捨てならぬことだった。
久下直光が、九郎義経に接近しているとは、うわさで聞いたことがある。
「なぜだ。先の戦いの一番槍は父上だ。私、小次郎も功をあげている」
「おそらく……」
僕はおそるおそる発言する。
「おそらく、先の戦いで、敦盛……殿の首を取りそこなった事が、義経の心証を悪くしたのではないでしょうか」
直実と直家は、視線を俺から敦盛に、また僕に戻した。
「直実殿は、敦盛殿を討ち取ることをためらった。それを梶原景時などの他の御家人が見ていた」
「しかし、義経様は、功をお認めになられたぞ。それで熊谷郷の所領安堵と、この笛を下賜された」
僕はすこし間をあけて、直実を見上げた。
「直実殿にお尋ねします。直実殿は、あの一件の後、戦を厭う気持ちが芽生えなのではないでしょうか?」
「!?」
直実は思わず立ち上がった。
「なぜ……そなたにそのようなことがわかる」
「それは……」
「私の時代の書物に「平家物語」に、この時代の出来事が記されています。その中に熊谷直実殿と平敦盛殿の記述があります。その後熊谷殿がどう想いその後どうなったか。久下家との所領争いがどうなったかも」
俺は、持ってきた「平家物語」の小説を抜粋して皆に聞かせた。
「なるほど」まず発言したのは、小次郎直家だ。「よくわかり申した。で……肝心の当家にとっての3つの得とやらをお聞かせ願いたい」
「はい。まず一つ目の得は、戦を避けられること。この先に起こる平家とのいくつもの合戦やその後の坂東武士同士の内戦。挙句は天皇家とも戦わなくてはいけません」
「なんと、帝とも戦う事になるのか!?」
「それらを避けることによって助かる命は、数千数万になるでしょう。もちろん熊谷郷に生きる方々も含みます」
「......」
「二つ目は、久下家とのいさかいを終わらせられます。今後起こりうる、久下直光殿と郷境界争いに、熊谷家は破れます。しかし義経公とともに久下直光殿を滅ぼしてえば、状況は熊谷家に多いに有利になると思いせんか?」
久下家からは、昨夜襲撃があったばかりだ。
「そして三つ目」
僕は敦盛と直実の顔を見て言った。
「直実殿の心情をおもんばかってのことです。先ほどもお聞きしましたが直実殿。あの一件の後、戦を厭う気持ちが芽生えなのではないでしょうか?そしてそれはなぜなのでしょうか?その答えが3つ目の利です」
直実は、ずっと黙ったままだった。目をつむり腕を組み、ひたすら難しい顔をしていた。
「父上……」
直実は目を開き語り始めた。
「小次郎、信太朗殿の言う通りじゃ、わしは源氏だの平家だのに分かれて争うのがほとほと嫌になったのじゃ。きっかけは、あの戦でそこにおられる敦盛殿の首を取るとき。年も小次郎と同じくらいの若武者が、戦のため死んでいく。何のためじゃ」
「何のため?」
「熊谷家のためか?すでに熊谷家は鎌倉殿に所領を安堵されている。我らにとっての敵は、あくまで戦を続ける九郎義経殿と、直光叔父ら久下家の面々じゃ。敦盛殿に助力することによって、それらを討ち、戦のない世にすることができる。そうであろう小次郎」
直家がうなずく。
「儂は、以前法然上人にお会いしてこう諭された。「今武士をやめるわけにいかないのなら、己の責務を全うし、すべてを阿弥陀如来様にお任せしろ」と」
「法然様が……」
「これも阿弥陀如来様のお導きと儂は信じる。熊谷家は、平敦盛公にお味方し申す!」
僕と敦ちゃんは頭を下げる。
「ありがとうございます。よろしくお願い申します」
「こちらこそお願い申す。さて……」
直実は、立ち上がった。
「昨日から何も食べておらん。朝餉の用意をいたそう」
小次郎が首肯し、家人と一緒に奥に引っ込んだ。
朝餉を済ませた後、一同は作戦の内容を確認する。
①熊谷家は戦の準備を秘密裏に進める。
②その間、僕と敦盛は、作戦の仲間を集める旅に出る。
③一月後に再集結し、決戦の地、四国屋島へ向かう。
ざっとこんな感じだ。
「お二人だけで大丈夫ですか、こちらの者を何人かつけましょうか?」
小次郎が言ってくれる。本当にこいつは良いやつだ。
「いや、少数の方が目立たなくていいでしょう。この作戦は義経にばれたら終わりです」
そうなのだ。義経方、源氏方にばれたら、もしかすると義経が、屋島の戦いで渡海してくれなくなるかもしれない。
そうしたら、義経を討つ機会は、おそらく、もうない。
同じ理由で屋島の平家に助けを求めるわけにはいかない。
源氏方も出入りを警戒しているだろうし、平家内にも密偵が少なからずいるとだろう。
「ところで、敦盛殿、信太朗殿。仲間を集めるとは、もう目算はついているのですか?あまり大きな強い御家人は難しいでしょうし、力になれない者を集めてもしょうがないですよ」
「心得ていますよ小次郎殿。少数精鋭の輩をピックアップしてあります」
僕は懐から、「平家物語」の文庫本を出して、ニカッと笑った。
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