第13話 前編11 信太朗⑥

その後、七回忌は無事終わった。


 叔母が他の参列者にうまく取り繕ってくれ、式を早めに終わらせてくれた。


 敦ちゃんは静かな寝息を立てている。

 最初に出会った時も、こんなふうに意識を失っていたことを思い出し、心配になった。


 姉ちゃんは、車で叔母夫婦を駅まで送っていくといって、今は不在だ。


 僕はテレビのリモコンを押した。

 ニュース番組だったが、内容は頭に全く入ってこなかった。


 敦ちゃんは、式場の部屋から白檀の匂いが流れてきたと思ったら、急にうずくまったという。

 お香となにか関係あるのだろうか?


 そんなことを考えていると、ふいに敦ちゃんが目を覚ました。


「……。」


「敦ちゃん。大丈夫?」


「信太朗様?弘子お姉さまは?私、配膳のお手伝いの途中で倒れてしまって……」


「それは大丈夫だよ。式は無事に終わった。姉ちゃんももうすぐ帰ってくる」


 そこまで言って、少し違和感を感じた。

 敦ちゃんの表情が、いつもの少女のそれではないような。


 なにかを決意した顔というか……。


「信太朗様……」


「え、な……なんだい敦ちゃん」


「信太朗様、私、先程……思い出したのです」


「え!?」


「……」


「敦ちゃん、記憶が戻ったってこと?」


「はい」


「……」


「私の……。私の名は敦盛。平経盛が六子。従五位下、平朝臣敦盛です」


 敦ちゃんは背筋を伸ばし、真剣な表情でそう言った。


「……」


 僕は何も言えない。


 来るべきものが来た。


 彼女にとって、いや自分にとって良いことなのか、わからない。


 ここ数日の敦ちゃんは、どこにでもいる普通の女の子だった。

 好奇心旺盛で、よく笑い、よく泣く。


 ドラマやアニメを見るのが好きで、好きな食べ物はお刺身。


 今の彼女の表情は、数秒前と比べ別人のようだった。


 緋色の目には光がともり、桜色の小さく少し厚めの唇は、固く結ばれていた。

 声のトーンも低い。


「敦ちゃん……」


 そう呼びかけると、敦盛は唇をぎゅっと結んだ。


「信太朗様。私は、やらねばならない事、課せられた使命があります」


「敦ちゃんの使命?」


「はい、私がおなごの身でありながら、おのこのなりをしている理由。私が平敦盛として生をうけたのには、理由があります」

 

「理由?」


「すべてお話しします。どうかお聞きください」


 恐怖した。話を聞いてしまった後では、今までの敦ちゃんではなくなってしまうのではないだろうか。

 しかし、彼女のためを思うのなら、真剣に聞き、理解しなくてはいけない。いや理解したい。


 それから敦ちゃんは、語り始めた。


 自分が生まれてから、戦場で、僕に助けられるまでの長い物語を。


--


 どのくらい時間がたったのだろう。


 夜のニュース番組はいつのまにか終わっていて、深夜のバラエティー番組に変わっていた。

 僕はリモコンでテレビを消した。


 敦ちゃんは僕に話し終わると、うつむいて自分の膝を見つめ、唇を噛んだ。


 しばらく二人とも無言になった。


 静寂がおとずれる。


「先ほどのお香「白檀(びゃくだん)」は、母上がお好きで、よく炊かれていました。それで記憶が戻ったのだと思います」


 敦ちゃんはどこか遠くを見ているようだ。


「……それで」


「はい」


「それで……、敦ちゃんは、どうしたいの?」


 敦ちゃんは僕を見上げた。


「私……私は、自分の役目を果たしたく思います」


「役目……」


「私は、平家一門の、一族の危機を救うために生まれてきました。そう育てられてきました。本当は女性なのに、男性として育てられて、嫌だとは思ったことがありません」


「……」


「父上や母上、兄上たち。宗盛(むねもり)様はじめ一門の方々。みなお優しい方ばかりでした。笛を上手に吹くと、皆さま喜んでくださいました。弓の腕が上がると、大層ほめてくださいました」


「……」


「そしていつか、お役目を果たす日が来ると信じておりました。私は、平家の皆様をお救いしたいです。滅亡なんて嫌です」


「敦ちゃん……」


「信太朗様。厚かましいお願いであることは重々承知しております。どうか、お力をお貸しください。滅びゆく平家を、救ってください」


 僕は何も言えなかった。

 ずっとこの時が来るのを、自分が怖がっていたのを感じた。 


--


 次の日の夜。

僕の家のリビングには、4人の男女が集まっていた。

 帰宅した姉ちゃんと僕、敦ちゃん。そして姉ちゃんが呼んでくれた蛭尾(ひるお)教授だ。


 外は曇り、風が強い。例年より早く台風が近づいているようだ。

 弘子はエアコンの設定温度を1度上げた。


 4人はガラステーブルをはさんで、ソファに腰かけた。


「まずは、敦ちゃん。記憶が戻ってとりあえず……おめでとう」


「……ありがとうございます。」


 姉ちゃんがとりあえずと言ったのは、敦ちゃんに記憶が戻ることが、今の彼女にとって必ずしも「良い事」とは限らないから。


「弘子お姉さま。私はこの日が来るのが恐ろしかった。記憶なんか戻らなくてもいい。そう思っていました」


「そうだよ、このままじゃ駄目なのかな。別にあの時代に戻らなくたって、ずっとここにいりゃいいじゃん」


「……信太朗様」


「記憶が戻ったら絶対にあの時代に戻らなきゃってわけじゃないと思うんだ。敦盛さんはずっとこの時代でこの家で暮せばいいよ。俺もそっちの方が……」


 敦ちゃんは顔を伏せて黙っている。


「敦ちゃんはどう思うの?」


 姉ちゃんが尋ねる。


「信太朗様のお心はうれしいです。私も記憶が戻るまでは、その方がいいと思っていました。でも、記憶を取り戻した今、私は平敦盛なのです。平家一門としての誇りを捨てることはできません」


「敦ちゃん……」


「この時代で歴史を知り、平家一門の運命を知った今はなおさら、お役目を果たしたいのです。一族の危機を救いたいのです。」


 姉ちゃんが心配そうに敦盛の顔を覗く。


 敦ちゃんは顔を伏せたままだ。

 しかし、握りしめたこぶしが、固い決意を表している。


「僕調べたんだけど……」


「いいよ、信太朗。意見を聞かせてくれ」


「いっそ、タイムマシンで一の谷の戦いの前にタイムスリップするっていうのはどうかな?源氏の鵯越(ひよどりごえ)の奇襲にも備えられるし……」


 信太朗は立ち上がって続ける。


「もっと言うなら、もう少し前にタイムスリップして、平清盛の病気を治すとかどうかな」


「信太朗、残念ながらそれはできない。前も言ったが、あのタイムマシンは、時系列より前の時間へは行けない。現在の時間進行と、あの時代の時間進行は同じ速さなんだ」


「……」


「敦ちゃんがこの時代にタイムスリップしてから5か月たつけど、あの時代も同じように5か月たっている。今タイムスリップしたら、一の谷の戦いから5か月後の1184年8月に飛ぶんだ」


「そっか……」


  信太朗はソファに座り込んだ。隣の敦盛と二人揃ってうつむいている。


「少し、いいかな」


  今まで黙ってきていた蛭尾教授が皆を見渡す。


「敦盛くん。君の言う「一族の危機」というのは、言うまでもなく、平家一門のことだね」


「はい、そうです」


 教授は敦ちゃんに対しても、姉ちゃんと同様「君」づけで話す。


「君は、平家一門を救うにはどうしたらいいかと思うかな?」


「それは……」


 敦ちゃんは少し口よどんだ。


「それは、源氏方を倒して平家が勝つことです」


「源氏方を、鎌倉の源頼朝率いる関東武士団を倒すということかい?」


「……はい」


 蛭尾教授は机の上にある歴史年表をペラペラとめくり、鎌倉時代のページを開いた。


「所長、なにがおっしゃりたいのですか?今現在平家は源氏と戦争中です。源氏を戦(いくさ)で破って倒す以外に方法がないじゃないですか」


「よろしい。弘子君、信太朗君、敦盛君。私なりにこの当時の日本の歴史情勢について調べてみた。少々長くなるが、最後まで聞いてほしい」


 蛭尾教授は一同を見渡す。


「蛭尾様。お願いします」


 最初に返答したのは意外にも敦ちゃんだった。

 姉ちゃんはうなずく。僕ももとより異論はない。


「では……」


 リビングの外の窓ガラスに雨粒が強く当たる音がした。

 台風は直撃するのだろうか?嵐になりそうだ。



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