第11話 前編09 信太朗⑤
あれから僕と姉ちゃんは、病室に足げく通い、少しずつ、敦盛さんに状況を説明していった。
未来の世界に来てしまったこと、すぐには帰ることが出来ないこと、記憶を失ってしまったこと。
「信太朗。彼女は聡明だよ。どんどんこちらの世界のことを吸収している」
「そうか、よかった」
「とはいえ16歳の女の子が一人きりで別の時代に飛ばされて、しかも記憶がないんだ。相当不安だろうね」
僕は自分に置き換えて想像してみた。
耐えられない。すこしでも助けになってあげたい。
そう思うが、何をしてあげたらいいかわからず、もどかしい。
--
一月がすぎた。
蛭尾教授を交え病院側と話し合い、安全性を確認した後、敦盛さんは僕と姉ちゃんの家に引き取ることになった。
当面の目標は記憶を取り戻すこと、この世界に慣れる事。それまでは安全のため、当面外出は控えることに決まった。
姉ちゃんは次の日からタイムマシンの燃料を集めるため大学へ戻り、ほとんど家に帰ってこない。
あの車も、装置の調整が必要らしく、大学の研究室へ持っていってしまった。
代わりに僕が敦盛さんの面倒を見ることになった。大学も春休みに入って、時間も余裕があった。
「敦盛さん、いいかい。これが蛇口。これをこうひねると、水が流れる」
「水が……なぜこんな細い管から……」
敦盛さんは目を丸くして興奮している。
可愛い。
病院では、身の回りの世話は看護婦さんたちがしてくれたので、敦盛さんには一般家庭の生活が全て新しい体験なのだ。
病院着を着せ続けるわけにはいかず、姉ちゃんが着ていた白のトレーナーとチノパンといういでたちだ。
「信太朗様。これはどういったからくりなのでしょう。信太朗様か弘子お姉さまが、おつくりになられたのですか?」
改めて聞かれると、水道のシステムをほとんど理解していない。
「え……と、川の水を山奥で貯めて、それを管を通して運んでるんだ」
「そうなんですか。これなら井戸はいらなくなりますね」
「そしてこの蛇口を反対側に回すと、お湯がでる」
「え?お湯が?……本当です。暖かくなってきました。これはどうやって温めているのですか」
「えっと、それはガス給湯器で」
「がす・・・って何ですか?」
「ガスは、、、燃える気体で。とにかくこのスイッチで電源を入れて」
「でんげん……?」
敦盛さんは電気もガスも水道もない時代に生まれた。わからないのも無理もない。
「信太朗様。私は信太朗様が住むこの世界のことがもっと知りたいのです。そして信太朗様のことももっと……」
敦盛さんは興奮して顔が赤くなっている。
(好奇心の強い子だな。)
僕は、敦盛が現代文明に興味を持ったことが嬉しくなった。
「じゃあ、今日は敦盛さんにこの時代のことをもっと教えてあげよう。」
僕にはパソコンとスマホという強い武器がある。
なんでも聞いてください。
それから数時間経過した。もうどっぷり日は暮れている。
敦盛さんはこの間、ずっと質問をし続けている。
「どうだい敦盛さん、理解できたかい?」
「はい、信太朗様。だからネット上で仮想通貨が流通しうるのですね」
彼女はディスプレイを眺めマウスを器用に繰りながら、そう答えた。
「理解できたんだ……。すごいね……」
彼女は天才だった。
僕は疲れ果てて、ソファに倒れ込んだ。
――
次の日。
「なあ、信太朗」
「なんだい姉ちゃん、改まって」
平日の午後、久しぶりに帰ってきた姉ちゃんから電話があり、近くの喫茶店に呼び出された。
敦盛さんには留守番させて出てこいとのことだ。家で話せばいいのに、こんなことは初めてだ。
「なあ、信太朗。お前、敦ちゃんのこと、どう思ってる?」
飲みかけのアイスコーヒーを思い切り鼻腔に流し込み、盛大にせき込んだ。
「え、それって……僕は別に……そう、僕が連れてきちゃった責任を取らなくちゃで、そんなやましい気持ちは……」
「おちつけ。まったく、わが弟ながら、もうすぐ二十歳になろうという男が情けない」
「……」
「だいだい、お前が敦ちゃんに恋していることは、バレバレなんだよ。いちいち指摘するのもバカバカしい」
「恋って、そ、そんな勝手に決めつけんなよ、僕はただ……」
「うるさい!静かにしろ!」
「ごめんなさい」
親代わりに育ててもらった姉ちゃんに恫喝どうかつされると、反射的に謝ってしまう。
「ゴホン。私が聞きたかったことは、敦ちゃんの最近の様子さ。まだ記憶は取り戻せないんだろ」
「ああ」
「なんというか、こんな状況なのに、彼女、明るすぎないか?」
「え……?」
「記憶を取り戻してないからなのか。いや記憶を失っているからこそ、もう少し葛藤のようなものがあってもいいと思うんだ」
「葛藤?」
「彼女、相当無理してるんじゃないのか?」
そういわれてみれば、思い当たるふしもある
無理に明るく装って、こっちが戸惑うほど順応しようと積極的だったり。
「なあ信太朗。私から見ればこれも不思議なんだが、彼女は今、お前を一番信頼している」
「え?信頼って!へへ、そんな俺なんか……」
「いちいち反応するな気持ち悪い。……だからな、彼女が無理をしすぎないように、さりげなく気を付けてあげてくれないか?」
僕は恥ずかしさで消えてしまいそうになった。
可愛い女の子と一緒にいられてウキウキするだけで、彼女の不安や葛藤なんて考えたこともなかった。なんてお子様なんだ。自分が恥ずかしい。
「わかったよ姉ちゃん。気を付けてみる。ありがとう。さすが俺の姉ちゃんだ!」
「なんで涙目なんだよ。まあ今日はこれだけ言いに来たんだ」
「うん」
「 またすぐに大学に戻らなくてはいけない。だから、たのんだぜ弟よ!」
僕は鼻をズズッとすすり、大きくうなずいた。
――
その日の晩。
僕たちは、今日も平家物語を題材とした映画やドラマ・アニメ片っぱしから観まくっている。
敦盛さんは、姉ちゃんのお下がりの紺のTシャツに青のホットパンツを履いている。
露出の多くなった夏服の敦盛さんに、ドギマギしてしまう。とくに太ももとか……。
なるべく見ないようにしよう。
もっとも敦盛さんは全く気にしていなうようだが。
あれから僕は大学はしばらく休むことにして、彼女の記憶を取り戻す事に没頭した。
『平敦盛』関連のあらゆる資料をかき集めて、見せてみた。
神戸の資料館にある笛『青葉の笛』の写真も、特別に送ってもらったが反応はなかった。
今見ているのは、平家物語のアニメだ。ちょうど『一の谷の戦い』が終わったシーン。
「どう、なにか思い出した?」
「いいえ……でも、とてもドラマチックな内容ですね。たいらのあつもりが討ちとられるシーンも感動しました」
自分が討ち取られるシーンに感動してるって、よく考えたらシュールだ。
「うーん。それだけなの?」
「え?そうですね。絵のタッチと音楽は素晴らしいです。特に琵琶や笛の音がとても美しく、心に響きます」
いっぱしのアニメ評論家みたいなことを言っている。
彼女は、劇中に出てくる「平家」や「敦盛」というワードには反応せず、自分の登場シーンも物語の中の一人として俯瞰ふかんしてみていた。
彼女に関連した映像を見せれば、記憶を取り戻すきっかけになると思ったが、そう簡単なものでもないらしい。
というか……。
(彼女は本当に平敦盛なのだろうか?)
あの時僕がが見たものは。海岸沿いで戦う武者達。なぜか車に乗ってきた男装した少女。自分を驚いた眼でみたひげもじゃの武士。それだけだ。時間にしてい1分ちょっと。情報が少なすぎる。
彼女が持っていた笛は、平敦盛が持っていた「小枝さえだの笛」らしいが、笛なんてそれほど違いがあるものでもない。
ただ、彼女の笛の腕前だけは、間違いなく本物なんだけど……。
「ねえ、敦盛さん」
「はい、なんですか?」
彼女は微笑みをつくり僕を見た。
「あのさ、敦盛さん、最近無理してない?」
「えっ」
「悩んでることとか無理してることとかさ。あったら言ってよなんでも」
「……」
「男の僕に言いにくいこととかあったら、姉ちゃんに電話してもいいからさ。例えば、ほら、悩みとかさ……」
自分の語彙力のなさが情けなくなる。
これじゃ姉ちゃんに言われたこと、聞いてるだけじゃん。ぜんぜんさりげなくない。
「信太朗様?」
「な、なんだい?」
敦盛さんは言いにくそうだった。
「私の記憶を取りもどそうと、ご協力いただいているのは、うれしいのですが」
「うん」
「えっと……こんなこと言うのはだめかもしれないのですが」
「なんでも言ってよ。僕は敦盛さんの味方だから」
僕は精いっぱいの笑顔を作って見せてそう言った。
しかし、僕の笑顔の効き目はなかったらしく、敦盛さんは耳を少し赤くして、うつむき黙ってしまった。
数秒後、彼女は手をぎゅっと握りしめると、僕の顔を見上げた。
「私、このままでは駄目でしょうか?」
「え!?」
「平家の物語をたくさん見せていただきました。『たいらのあつもり』のことも知りました」
「……」
「私が助けていただいた時から、その後私……がどうなるのか、私を討った熊谷直実殿がどうなるのか。そして平家一門がどのようにして滅びるのか」
「……うん」
「でも、私。このお話が自分のことだとは思えないのです。信太朗様や弘子お姉さまに迷惑をかけているので、一刻も早く記憶を取り戻さなくてはいけないと思うのですが」
「……」
「時々……辛いのです。あの時代が、怖いです。私は殺され、家族も殺され、一門は滅ぼされ。そんな時代に戻らなくてはいけないと思うと……」
いつの間にか彼女の目には、涙がたまり、零れ落ちそうになっていた。
「怖いのです。恐ろしいのです。逃げてはいけないと思います。信太朗様に甘えすぎてはいけないとも思います。ですが……」
溜まった涙は、緋色の瞳からあふれ出て、彼女の頬を流れた。
「ご、ごめん。僕、敦盛さんの気持ちも考えずに」
「……謝らないでください。余計辛くなります」
「あっ、ごめん……じゃなくて。あのさ、僕さ、このままでもいいと思うよ。」
敦盛さんが顔をあげた。
「ずっとこのままこの家で暮らしてもいいじゃん。何でもするよ。君が安心して暮らせるように。全力で守るよ。」
「……。」
「それに敦盛さん、まだ16才だろ。こっちの世の中じゃまだ高校一年生。学生で未成年だよ、まだ子供だ。」
「子供……」
「16歳の女の子が記憶失って一人で知らない世界に来たらそりゃ怖いよ。だからさ……」
彼女の緋色の目を見てこう続けた。
「敦盛さんは、もっと甘えていいんだよ。しんどい時は無理に笑わなくてもいいんだよ。」
我ながらクサいセリフだ。なんでもっと気の利いた事言えないんだろう。
「信太朗様……ありがとうございます。ありがとうございます。私、甘えてもいいんでしょうか?」
僕はうなずいた。
敦盛さんは涙をぬぐい微笑んだ。その笑顔のあまりの可憐さに僕はたじろぎ、意味なくメガネの位置を直した。
「僕さ……受験失敗して。やることなくなって。ずっと勉強ばっかりしてたから……」
「……」
「そんな自分が嫌で、変わりたくて……。そしたら敦盛さんに出会って、僕にも何かできるんじゃないかって、最近思えてきたんだ……」
「……」
「だから、できる事は何でもするからさ。何でも言ってよ!」
「……信太朗様」
「うん。(気持ち悪いと思われたかな)」
「それでは……さっそくお願いがあるのですが?」
「いいよ、何でも言ってよ」
「私のことは、『敦盛さん』じゃなくて『敦ちゃん』と呼んでください」
「え!?えっと」
『敦ちゃん?』って呼ぶの?無理無理。
僕のキャラじゃないって。前は病院でおもわずそう呼んじゃったけど。すごく恥ずかしい。
でも、彼女にとって「敦盛」という名は、今は重すぎるのかもしれない。
「じゃあ。あ、敦ちゃ……ん」
「信太朗様!もう少し大きな声でお願いします。」
いつもの明るい彼女の口調に戻った。
なんだかうれしくなった。
「敦ちゃん。ずっとこのままでもいいよ!もっと甘えていいよ、もっと頼ってよ、敦ちゃん!」
彼女はずっと握っていた手をパッと開いた。
「ちょ、声が大きすぎます。ご近所迷惑ですよ」
彼女は頬を真っ赤にしてそう言った。
「ご、ごめん。恥ずかしかったよね……」
「いえ……。そ、そうだ、信太朗様」
彼女はテレビの画面に顔を向けた。
いつの間にかアニメが終わってエンドロールが流れている。
「もういちど、このアニメ観ませんか。とても素敵な作品だったので」
反省した。
そういえば記憶を取り戻すことばかり考えて、作品を全然楽しもうとしていなかった。
(僕はこの子を笑顔にするために、あのとき青いボタンを押したのかもしれない)
「そうだね。観よう、楽しもうよ、敦ちゃん!」
「はい!!」
敦ちゃんは、今日一番の笑顔を見せた。
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