第3話 前編01 信太朗①

僕の名は信太朗。都内の大学一年生だ。


 両親は数年前他界し、10歳上の姉と二人で暮らしている。

 姉は、某国立大学の研究員で、徹夜になることも多く、昨日も帰ってこなかった。


 その日の朝、僕はひとり自分の部屋で目覚めると、愛用の黒縁メガネをかけ、スマホの通知を確認する。


 カレンダーアプリの今日の日程に「単位認定テスト!絶対出席!!」の文字が出てくる。

 深いため息をつくと布団を抜け出した。

 軽く身支度を整え、机の上にあったレーズンパンを水で流し込む。


 今は1月。大学へ行くのは半年ぶりだ。


 幼少期から、母親代わりの10歳年上の姉を尊敬していた。

 姉と同じ大学に入り、一緒の研究室に入るのが、僕の人生の目標になった。


 体力に自信がなかった僕も、勉強だけは得意だった。

 小学校高学年の時、テストでいい点を取り周りに褒められる快感を知った。


 毎日勉強しかしてこなかった。趣味もなければ恋愛にも興味がない。

 ただ、受験勉強を乗り切るため、体力作りだけは欠かさなかった。


 ちょうど一年前。姉の勤める大学と学部を第一志望として挑んだ大学受験。

 結果は全滅。


 志望の大学と志望の学部に軒並み落ちた。

 第8希望の、しかも望んではいない大学の望んでいない学部だけがかろうじて、引っ掛かった。


 そんな気持ちで入った大学なので、次第に足は遠のき、夏休み以降はほとんど授業に出ていない。

 毎日ゲームと読書に明け暮れる、怠惰な生活を続けてきた。


 だが、今日のテストだけでは受けないと、単位がマジでヤバイ。

 ヤバくてもいいんじゃないか。いっそ大学なんてやめちゃおうか。

 でも、他に別にやりたいこともないし。

 何のために生まれてきたんだろう。いっそのこと死んじゃおうかな。

 でも、こんな理由で死んだなんて、死んだ父さん母さんに、顔向けできない。

 僕のために頑張っている姉ちゃんにも……。

 ああ、つらい。こんな悩み、友達に相談しても、贅沢だっていって、絶対わかってくれないだろう。

 まあ、相談するような友達もいないんだけど。


 黒のダウンジャケットをゆっくり羽織ると、書棚から真新しいままの教科書を取り出し、鞄に詰め込んだ。


「行ってきます」


 僕は誰もいない玄関でそうつぶやくと、車庫に向かい車に乗り込んだ。


「行きたくないな」


 大学へ行く道を少しずつ思い出しながら運転する。

 国道につながる交差点で、信号が赤に変わり、ブレーキを踏んだ。

 確か信号長いんだっけ……。

 

 少し寒い。

 空調のスイッチを探すと、スピードメーターの横に見慣れない小さなボタンがあることに気がついた。

 周りが青く点灯している、謎のボタン。


「当分の間車を使うんじゃないぞ、使ったら殺す」


 先週姉ちゃんはそう言い、当面車の使用を禁止した。理由は不明。

 しかし、僕が、スペアキーを密かに作り持っていることを、姉は知らない。


 僕は、このボタンから発せられる青い光を見ているうちに、不思議な感覚に陥った。


(このボタンを押すことによって、今の怠惰な生活から抜け出せるんじゃないか。)


(ここじゃないどこか、今じゃないいつかに、連れて行ってくるのではないか。)


(運命が変わるんじゃないか。生きている意味が見つかるんじゃないか。)


 なぜかそう思った。


 ゴクリとつばを飲むと、ボタンをグッと奥まで押し込んだ。


(ポチ)


「……」


 何も変わらない。


「まあ当たり前か。」

 

 その時。

 車からウィーンという機械音がして、車体全体がグラグラと揺れはじめた。


 揺れは激しく、シートベルトがないと、はじけ飛ばされそうなくらいだ。

 次の瞬間、視界が揺れた。青白い光。


 数秒後、振動と光が同時に収まった。


 僕は目を開き、車内から前方を見渡す。

 目の前に信号は無く、道路も無かった。


 住宅街も無く、出勤前のサラリーマン達も見えなかった。

 見えたのは、見知らぬ海岸と、数百人の戦う武者達。


 甲冑姿の武者が馬から繰り出した槍が、徒歩の兵の胸元にズブリと突き刺さる。

 雑兵が絶命したのを確かめて、武者は槍を振りブンと血を払った。


 馬上から海岸に血が散り、砂を赤く濡らした。

 満足そうに次の敵を探す武者。


 どこからか飛来した矢が兜の錣(しころ)の下に勢いよく突き刺さる。

 彼の身体はバランスを崩し、鞍から落ちて砂の上に転がった。


 素早く刀を抜こうとするが、薙刀(なぎなた)を持った雑兵(ぞうひょう)数人に囲まれた。

 胴から離れた首を持ち帰り恩賞に与ろうと、醜い争いを始める雑兵達。


 車の外でそんな行為が、海岸線の見渡す限りで行われているのを、僕は呆然と眺めていた。まるで現実感がない。


 だが、これが映画やドラマのロケではないことはわかる。カメラも撮影スタッフもいない。


 これは……本当のいくさ……殺し合いだ。


 めちゃくちゃ怖い。タイムスリップしてしまった。


 周りの武者達は、僕と車を気にとめていないようだ。

 車を降りるべきか?いや殺される。

 

 ボタンをみると黄色い点滅になっている。

 慌てて押してみたが反応はない。


 窓の外を見ると、武者同士が組みあって戦っていた。

 体のでかい武者が小柄の武者を組み伏せていた。

 このままでは小柄な武者は殺され首を斬られるだろう。


 僕には関係ない。

 僕には関係ない。

 だが、身体が勝手に動いていた。

 僕は何をしようとしているんだ。

 あの小柄の武者を助けようってか。いやいや死ぬ死ぬ。

 

 小柄の武者の顔が見えた。

 姉ちゃんに似ていた。


 僕は車のドアをあけ、武者の方へ駆け出した。

 靴の中に砂が入ってくるが構うもんか。

 僕は無謀にもそのまま大柄な武者に肩でタックルをかました。


 大柄な武者は意外にも、僕のよわよわタックルで横倒しに倒れた。

 僕は小柄の武者の腰に手を回し担ぎ上げた。


 意外と軽かった。

 僕は一目散に車へと戻った。

 後部座席に小柄の武者を乗せ、運転席に戻りアクセルを踏んだ。

 しかし、砂をかきまわすだけで、全然進まない。


 ふと窓の外を見ると中年の髭面の武者がこちらをのぞき込んでいた。

 さっきの大柄な武者だ。


 めちゃくちゃ怖い。死ぬ。


 どうしていいかわからず、髭面の武者にとりあえず笑いかけた。

 顔が引きつる。


 突如。ウィーンという機械音がして、車が激しく揺れ出した。

 

 後部座席でゴツンと鈍い音がした。


「うっ!」


 後部座席の武者が、車の揺れで頭を強く打ったようで、うめき声が聞こえた。

 黄色い光。



 次の瞬間、車は先ほどの信号待ちの道路に戻っていた。

 ボタンは赤色に点灯し、数秒後消灯した。


 バックミラーを見た。


 さっきの武者は……。いた。


「あの、生きてる……よね……」


 返事がない。

 ただ、胸の動きで呼吸しているのが分かる。


 僕は武者を改めて見て今日一驚いた。


 武者の胸元がはだけ、その谷間が見える。



 僕にだってわかる。男性のそれではない。

 はっきりとそれとわかる、豊かで柔らかそうなふたつのそれ。


「いったい、何がどうなっているんだ?」


 大学に行こうとしたら、戦場に飛ばされた。

 武者が車に乗り込んできたと思ったら、女性だった。


 女武者は化粧はしていないが、睫毛が長く鼻筋の通った顔は、かなりの美人に見える。


 僕は前を向きなおした。

 信号はまだ赤のままだった。

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