第36話:幼馴染と、その父親

「「本当に、申し訳ありませんでした」」


 7人の中学生が、力なくそう言って、頭を下げる。

 右腕が無い子、右目が無い子、左目が無い子、歯が無い子…… かつて自分を襲い、財布を奪い取った子供たちとは思えない無惨な姿に、その30代独身の男性は許す許さない以前に寒気を覚えた。


 奪われた現金、捨てられた財布の弁償、入っていたカードの再発行料、よごされたスーツのクリーニング代、治療費に慰謝料…… 50万円を越える現金を手渡される。

 被害者自身でさえ完全には把握しきれていない数ヵ月前の出来事の詳細を、どこでどうやって調べたのだろう。


「労働時間、500時間追加ってとこか」


 後ろに控えていた8人目の中学生がそう言うと、7人は頭を下げたまま、ビクッと肩だけを震わせた。

 さらにその後ろには、高そうな背広を着こなした壮年の男…… 彼は8人目の中学生の合図で鞄から札束を出しただけで、一言も発さない。


 謝罪に伺います、と弁護士を名乗る人物から電話を受けた時は、この世に正義は有ったのだ! と、グッと拳を握り締めたのだが……

 正直、この空気は居たたまれないを通り越して、怖い。




 もう十分だ。よく反省して、今後の人生に役立てなさい。




 被害者の男性は、物分かりの良い大人を代表するような発言で、話を終わらせようとした。

 8人目の中学生が、お時間ありがとうございました、と、一礼した。


「次は彼方あっちのアパレルショップだな。去年の12月、客だった斎藤さいとうさんと清水しみずさんにダサいだの貧乏臭いだの難癖をつけてバカにした挙句、それをたしなめた店員の山崎やまざきさんと森園もりぞのさんにイヤがらせして辞めさせた店だぞ、憶えてるか? あーもう、この一件だけで何人に迷惑かけてんだよ。謝罪に掛けた時間と労働に掛かる時間、最終的にどれくらいになるんだ……」


 8人目が7人を追い立てて、玄関口を去っていく。

 蒼白い髪が異様に似合いすぎていて、存在感が凄い。圧が強いというか、神々しさすら感じる。


 あの制服、藤玉輪だよな?

 金持ちの坊っちゃん嬢ちゃんが、なんで俺なんかの財布を…… 名家の抑圧のせいでどうとか、そう言うヤツだろうか。


 坊ちゃん嬢ちゃん達の、無惨な傷痕を思い出す。

 あの夜、女子中学生のローキックでアスファルトを舐めさせられた屈辱は未だに忘れがたい。だが、それを鑑みても、安易にざまぁ見ろと笑えるような傷痕ではなかった。

 ごく一般的な30代の独身男性は、札束が入ったずっしりと重い封筒を持つ手を震わせる。

 受け取るのも怖かったが、受け取らないのはもっと怖かった。


 詮索はめよう。とにかく、二度と関わりたくない。




******




 依緒は葬列のように歩いた。


 放課後に、休日に、繰り返される謝罪の毎日。積み重なっていく借金。

 顔も憶えていない人間に頭を下げるのは、憶えていないことが罪だと分かっていても苦痛だった。償うって、こんなに面倒なのか。こんなに面白くないことなのか。罪を犯すのはあんなに楽しかったのに。


 今、良くんを蹴っ飛ばして、昔みたいに悲痛な顔をさせられたら、最高に気持ちいいだろうなぁ……

 それがムリでも、その辺の、私は善人ですって顔してる真面目そうな奴をブチのめして、憂さ晴らしできないかな……


 気が付くとそんなことを考えている自分がイヤになる。

 この償いが終わった時、わたしは昔みたいに、良くんに笑顔を向けて貰える人間に戻れるのだろうか?




 これだけ街中まちじゅうを歩き回っていれば、人の目に付いて人の口にのぼるのは当然。

 噂を聞き付けたであろう父に事情を尋ねられた時、疲弊しきっていた依緒は、もはや葛藤することも出来ずに唯々諾々と自分の所業を白状した。


 宍野ししの功俊こうとし。39歳。

 3年前、元々病弱だった妻と覚悟していた別れを済ませた。泣かないことはできなかったが、笑うことは出来た。

 それ以来、男手1つで娘を育ててきた。

 娘が県下最高峰の名門中学に合格した時は、妻の遺影に手を合わせて涙を流したものだ。高級私学の学費を捻出するため仕事を増やしたが苦ではなかった。その分、家のことはおろそかになってしまったが、娘には信頼できる優秀な幼馴染がいた。

 ちょっと優秀過ぎるというか、山に動植物を見に行っては、土やら草やら毛やらにまみれた服を川で洗っているような子で、『良くんは浮世離れしたところがあるから、わたしが付いててあげなきゃね』などと娘がうそぶくのを聞いて微笑ましく思ったものだ。


 今思えば、周りが劣等感を抱かないように、あえて良太はそうしていたのかもしれない。良太の友人の親達は、ウチの子は平凡な成績でいいから普通の子に育ってほしい、とよく口にしていた。

 解治かいじに…… かって同級生だった、凄まじく優秀な良太の叔父に、劣等感を抱いていた過去を思い出す。

 そう言う意味では、良太は解治以上に優秀な子だったのかもしれない。さすがに、藤玉輪に入学してからは特待生として奇行は控えていたようだが。


 だから、娘がうちの玄関で大怪我をしていたと聞いたときには、心臓が潰れるかと思った。良太くんが付いていながら、まさかそんなことが?

 近所の小母おばさんが言うことには、血まみれになっていた娘を発見する少し前に、宍野家の近くで良太を見かけたらしい。

 何が有ったのか訊いてみても、娘はよく憶えていないとしか言わない。よく憶えていないと言いながら、良くんは関係ないと断言するのだから、察するに余りある。

 良太に話を訊いてみようにも、彼はスマホを持っていなかったはず。日辻川家を訪ねてみようとしたが、そっちでも娘たちが大怪我をしたとのことらしく、話を訊くような余裕はなさそうだった。


 何があったのか想像すると不安が募るばかりだが、仕事を休むわけにはいかない。娘には出来るだけ傷が残らないように、高額であれ可能な限りの治療を受けさせてやりたい。

 そんな、病院と職場を往復する日々の中、ようやく娘が退院したと思った矢先に、娘が佐藤院や鈴木小路たちのわるいれんちゅうと一緒に、良太に連れられて方々ほうぼうで謝罪を繰り返していると言う話を、近所の小母さんや職場の部下達から聞かされた。




 娘が恐喝? 暴行? 犯罪の加害者?




 何かの間違いかと思ったが、娘に聞いてみれば、この世の終わりみたいな顔で、ごめんなさい、と呟いた。


 中学生に過ぎない子供たちを信頼し過ぎた。いや、信頼できる子供たちに甘えて、目を離し過ぎた。

 高い学費のための仕事、妻の代わりに行う家事、忙しさに達成感を覚え、親の役目を全うした気になっていた…… 妻に合わせる顔が無い。


 叱るべきことは叱る、叱ることも含めて父は娘の味方だ、決して見捨てたりはしない、と。

 依緒の頭を撫でながら、何度もそう言い聞かせた。


 依緒は泣き崩れながら…… 佐藤院や鈴木小路と一緒に良太を虐めたこと、その他にも様々な犯罪行為に手を染めたことを白状した。

 高い金を払って入学させた挙句、娘を権力者の手下にされたのかと思うと、怒りが込み上げる。

 とは言え、相手がヤクザでも正義を貫きなさい、などと教育できるはずもない。相談されても、自分に出来ることは警察に通報するか、夜逃げくらいのものだっただろう。

 金を稼ぐだけなら女子供でもできる、有事に家族を守れるだけの肩書きや人脈を手に入れるのが男の仕事だ…… などと、解治が口にしていたことを思い出す。いささか古めかしい考え方だと思っていたものだが、男だの女だのと言う部分を抜きにすれば、それは子を持つ親として必然の心掛けではなかろうか?

 返す返すも情けない。言葉を失った父は、ただただ娘を抱きしめた。


 そうなると、依緒は鈴木小路家のヤクザ辺りに目を潰されたのか? 耐えかねて、良太を庇おうと反抗し、ヤクザの息子の逆鱗に触れたのか?


 功俊こうとしがそう尋ねると…… 依緒は、恐るべきことを口にした。




 娘の足をし折り、目を潰したのは良太だと。

 鈴木小路家を焼き払い、佐藤院家を虐殺し、今この街を支配しているのは良太だと。

 今の良太は猛獣、いや怪獣と同じだと。決して逆らわないで欲しい、と。




 ……とにかく、良太のほうの言い分も聞いてみないことには、何も言えない。

 

 問題を先送りにしているような気分ではあるが、功俊はそう結論付けた。




 そして、とある日の宵の口。

 かたくなに良太に会わせたがらない依緒に、仕事で遅くなるとメッセージを送った功俊は、日辻川家を訪ねた。




 そこで、あんな恐ろしいものを見ることになるとは、思いもせずに。

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