第7話:化け物だった妹

「なっ、何すんのよっ!」


 洋子は涙目になりながら良太を見上げる。蹴られた足は、すぐには立てないほど痛んだ。


「いきなり蹴るとか最っ低! 口で言い返せばいいでしょ! それもできない馬鹿なら黙って言うこと聞いてろよ!」


 お嬢様キャラをかなぐり捨て、キンキン声でまくし立てる妹を、良太は鼻で笑った。


「あ? 言い返して欲しいのか? いきなり蹴ろうとしたのはお前だろうが。俺が父ちゃんや姉ちゃんに暴力振るわれるのを笑って見てたお前が、ちょっと蹴り返されたくらいでよく最低とか言えるな?」


 腹の底が震えるような声だった。


「な…… なによ。父さんと姉さんに言いつけるよ? また性根を叩き直されたいの!?」

「あぁ、あいつらもどうせ豚人間かなんかだろ。ついでに処分しちまうか」

「ぶっ……?」


 クソ真面目な兄の口から出た言葉とは思えなかった。豚人間? 家族のことを豚人間と言ったのか? 処分すると言ったのか?


 やべぇ。


 洋子の頬に冷や汗が滲んだ。

 長年に渡るストレスで、とうとう限界を迎えたのだろう。

 それはヤバい。マジでヤバい。いい子ちゃんな兄は暴行や傷害なんて死んでもやらないと思っていたが、アタマがイっちゃったのなら話は違う。

 洋子は憶えている。幼い頃、裏山へ迷い込んだ時、兄に助けてもらったことを。

 兄の臭いを嗅ぎ付けると、猪も熊も尻尾を巻いて逃げ出したことを。


「すすすすすすすすみませんでしたあぁっ!!」


 洋子は迷わず土下座した。足は痛んだが構っている場合じゃない。下手をすれば気違キチガいに殺される。


「ちょ、ちょっとした軽口のつもりだったんです! 調子に乗りすぎてごめんなさい! あ、ど、どうぞ洗面台を使ってください! 水の無駄だなんてつまらない冗談は二度と言いませんから!」


 とにかく今は、機嫌を直してもらわなければマズい。

 後で食事を差し入れよう。今日の朝食は高級店のサンドイッチだ。当然兄の分など買っていないので、自分のを差し出すしかないが。

 空腹が収まれば多少は落ち着くだろう。その間に父に相談して、怖いお店の人達とかを呼んでもらえば、さすがにこの気違キチガいをどうにかしてくれるはずだ。

 その時には、この足の痛みと、この土下座の恨みを、たっぷり返してやる……


「ぶっ…… ぶはっ! あはははは!」


 床に這いつくばって詫びる妹を見下ろし、良太は大声で笑った。


「ぶ、豚人間が狐人間になりやがった! ぶふっ、ぶはははは! すげぇなお前! あはははは!」


 洋子は呆然と兄を見上げた。

 これが、兄か?

 真面目で優しかった…… 融通が利かなくて大それたことをする度胸がなかった、あの兄なのか?

 注がれる視線にゾッとする。情の欠片も無い目。暗く、冷たく、妹のことを本気で人間だと思っていない目。


 ダメだ。

 これは、もうダメだ。言葉が通じると思えない。


 洋子は四つん這いのまま身をひるがえして、文字通り這々ほうほうていで逃げ出そうとした。


「グニャグニャ動くんじゃねえ。キモいんだよ、バケモンが」


 良太が洋子の足を踏みつけた。


 骨が踏み砕かれる音がして、洋子は黒板を引っ掻いたような悲鳴を上げた。

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