帰ってきた息子

口羽龍

帰ってきた息子

 春貴(はるき)は大阪から実家に帰ってきた。だが、下を向いている。本当は帰りたくなかったからだ。だが、親の命令には逆らえない。


 春貴は高校までは三重県の伊勢市で過ごした。その頃の春貴は少し頭が悪かったものの、みんなの支えでここまでやって来た。だが、小学校4年頃になるといじめを受け始め、それが原因で人と話すのが苦手になってしまう。度々先生にいじめのことを話し、解決したように見えたが、それも一時的な事で、すぐにまたいじめられる。


 中学校になると、いじめはエスカレートし、後輩からもいじめられるようになる。だが、不登校になった事はなかったという。その頃から、春貴は考えていた。もうこんな伊勢市にはいられない。どこかに引っ越したい。もう伊勢市には帰りたくない。


 高校を卒業すると、春貴は大阪の大学に進学した。その時から大阪に住み始めた。だが、大阪での慣れない生活で春貴は落第した。そしてなかなか就職先が見つからない状態が続いた。両親はそんな春貴に怒って、無理やりマンションを売り払い、ここに帰らせたという。だが、ここに帰ってもいじめられた奴らに会う羽目になる。そしてまたいじめられるだろう。嫌なイメージしか浮かばない。早くここから逃げたい。


「おかえり!」


 母、浅子(あさこ)は玄関で出迎えた。だが、春貴は下を向いている。本当はここに帰りたくなかったのが、表情だけでもわかる。


「ただいま・・・」


 浅子は春貴の肩を叩いた。これからまた一緒になれるのを楽しみにしていた。


「本当は帰りたくなかったのでしょ? だけど、仕方ないじゃない」


 どうして春貴が下を向いているのか、浅子はわかっていた。本当は帰りたくなかったのに、また帰ってきてしまったからだ。


「でも・・・」

「お母さんの言う事を聞きなさい! 大阪でうまくいかなかったんでしょ? ここで頑張りなさい!」


 浅子は態度を豹変させた。就職がうまくいかなかった頃、何度も怒られた。その時は、自分が怒って、反抗した。だが、もうそんな気力は失われている。そして、またいじめられる恐怖で落ち込んでいる。


「うっ・・・」


 そこに父、貴之(たかゆき)がやって来た。孝之は優しそうな表情だ。


「なぁ、大阪でうまくいかなかったんだろ?」

「でも、俺は諦めてない! 大阪で成功するんだ!」


 その時、浅子は春貴をビンタした。春貴は驚いた。


「何度言ったらわかるんだ!」

「ここで反省しなさい!」


 春貴は大急ぎで2階への階段を駆け上がった。2人はそんな春貴の様子をじっと見ている。




 その夜、春貴は夢を見た。いじめられた奴らを再会し、あらゆる場所でいじめられる夢だ。もう見たくないのに、毎晩のように見てしまう。本当は忘れたいのに。そして春貴は、涙を流す。


「春貴、ハローワークで仕事を探しなさい!」


 浅子の声で、春貴は目を覚ました。電話越しで聞いていた母の声だ。生で聞くと、さすがに鳥肌が立つ。もう聞きたくないのに。何の邪魔もされずに頑張りたいのに。


「はい・・・」


 春貴は1階に向かった。春貴はここでも下を向いている。まだ悪夢のショックから抜け出せないのだ。


 1階には両親がいる。両親の顔は厳しい表情だ。仕事のない息子が目の前にいるのだ。そう思うと、腹が立つんだろう。早く就職して、楽にならないと。


 朝食をして、歯を磨くと、すぐに春貴は軽自動車でハローワークに向かった。大阪のハローワークにはよく行ったが、伊勢市のハローワークに行くのは初めてだ。その間、春貴は下を向いている。いつ、自分をいじめていた奴に再会するかわからない。


 走って10分ぐらい、春貴はハローワークにやって来た。ハローワークには多くの人がいる。彼らはみんな、就職したい、転職したい、再就職したいと思っている人々だ。


 春貴は車を出た所で、いじめられていた男の1人、浜田を見つけた。この男も仕事を探しているようだ。


「さる・・・」


 言われた春貴は、中指を立てた。もう二度と言われたくない。それを言った奴は、みんなぶっ飛ばしてやる!


「なんじゃ! 文句あんのか!」


 浜田はそれに反応し、春貴に向かってキレた。あの時と一緒だ。全く反省していない。


「ああ!」


 春貴は応戦した。だが、浜田が春貴の方に向かってきた。


「なめてんじゃねーよ!」


 浜田は春貴を殴った。弱い春貴はあっという間にけんかに負けてしまった。自分は所詮、こんな男だ。いつも負け犬なんだ。


 春貴はハローワークに入った。まずは求人を検索しよう。だが、朝から多くの人が並んでいて、検索が順番待ちのようだ。春貴は番号札を取った。


「10番でお待ちのお客様ー」


 数分経って、自分の番号札が回ってきた。春貴はそれに反応し、立ち上がった。


「はい!」


 春貴は声を出した。だが、職員は誰も反応しない。職員はまるで春貴を無視しているようだ。こいつらも僕をいじめているんだろうか?


「10番でお待ちのお客様ー」

「おい! ここだよ!」


 春貴は叫んだ。だが、全く反応しない。完全に無視しているようだ。


「誰も見てくれない・・・」


 それを感じた春貴は受付に向かって番号札を投げつけた。もうこんな所、来るもんか! だが、ハローワークにいる人々は、みんな笑っている。まるで春貴をばかにしているようだ。




 昼前、春貴は家に帰ってきた。家には浅子がいる。仕事を全く探さなかった自分を、どんな目で見るだろう。考えると、泣きそうになる。


「ただいま・・・」


 そこに、浅子がやって来た。浅子はエプロンを付けている。昼食を作っているようだ。


「おかえり、どうだった? 見つかった?」

「ううん・・・」


 それを知って、浅子は顔を豹変させた。頼りない息子だ。どうして仕事を探さないんだ。ここで就職したくないのか?


「何やってるの! 仕事を探しなさい!」

「探したくても、みんな味方にしてくれないんだよ!」


 春貴の返答に、浅子は激怒した。ハローワークはそんな事をしない。いい仕事を見つけてくれるだろう。


「バカ言うんじゃないよ!」

「信じてよ! この辺りの奴らはみんな敵なんだよ!」


 だが、浅子は全く信じない。まるで浅子も春貴をいじめているように見える。母なのに。


「そんなわけないだろ!」

「そんな・・・」


 春貴は肩を落として、2階に戻っていった。もう誰も信じられない。誰も僕の味方じゃない。敵だ。




 その夜、自分の部屋にいる春貴は、インターネット通話で東京の女友達、成子(せいこ)と話しをしていた。この時だけは、春貴は元の元気な春貴に戻る。彼女と話せるときだけが、自分の唯一の安らぎの時だ。


「こんばんはー」

「こんばんはー。元気ないよ。大丈夫?」


 成子は春貴を心配していた。ここ最近、就職のトラブルで元気がない。本当は帰りたくないのに、帰ってしまった。本当にそれで幸せなんだろうか?


「辛いよ・・・。故郷に帰ってきたけど、みんなからいじめられて、辛いよ。死にたいよ」


 と、成子はある事を考えた。一緒に住みながら、ここで仕事を探そう。東京なら、きっと豊かな生活ができるし、いじめている奴らもいないだろう。もしいたら、私が何とかしてあげる。


「大丈夫? じゃあ、東京に来てよ。一緒に頑張ろう。結婚しよう」

「うーん・・・」


 春貴は戸惑っていた。急に東京に来ようと言われても、なかなかその気になれない。本当に東京にやっていけるのか、心配だ。だけど、ここにはもういられない。ここの連中はみんな、僕の敵だ。


「今のままじゃあ、ダメになるよ」


 成子は心配していた。このままでは、春貴が自殺してしまうかもしれない。今まで毎日用に通話していたのに、いなくなるのは嫌だ。


「そうだな・・・」

「深く考えないで! こっちに来なよ!」


 そう言われて、春貴は思った。東京に行こうか? 東京には成子がいる。彼女となら、仲良くやっていけそうだ。


「うん・・・。でも・・・」

「大丈夫。私が逃げるの手伝うから」


 成子は夜逃げを提案した。軽自動車でやるけど、この程度なら大丈夫だろう。


「本当?」

「うん。私に任せて!」

「お願いします」


 成子はやった事がないけど、自信があった。そして、春貴のためなら頑張ろうという気持ちになる。


「わかった。明日はハローワークが休みでしょ? 明日、こっちの近くに向かうから、逃げるための準備はしておいてね。荷物をまとめておいてね」

「うん」


 春貴は決意した。明日の夜、ここから夜逃げして、東京で住もう。そして、新しい生活をするんだ。




 翌日、春貴はいつものように目を覚ました。今日はハローワークは休みだ。1日中家にいる。


「おはよう」

「おはよう」


 いつもの日常だ。だが、それも今日までだろう。今夜、僕はここから逃げて、東京に向かうのだから。


「春貴、この求人はどうよ!」


 突然、浅子は春貴に求人の紙を見せた。そこには、自衛隊の募集の求人が書いてある。そんなのしていたら、自由がなくなってしまう。もっと自由気ままに行きたいのに。こんな求人、お断りだ。


「うーん・・・」

「考えなくていいの! 受けなさい!」


 だが、春貴はそれを断った。ハローワークで探せばいい。自衛隊なんて、お断りだ。


「それでもハローワークで探すよ!」

「行きなさい!」


 その時、春貴は浅子を突き飛ばした。今までのイライラを全てぶつけたようだ。


「うるせぇ!」

「やめて!」


 浅子はその場に崩れ、やめるように説得した。だが、春貴は聞き耳を持たないようだ。


「もう2階に行く!」

「春貴・・・」


 立ち上がった浅子は引き留めようとした。だが、春貴は浅子を蹴飛ばした。蹴られた浅子は、抵抗できなかった。


 その後ろから、貴之がやって来た。その様子を見ていたようだ。


「もうやめなさい!」

「うん・・・」


 浅子は泣き崩れた。どうしてこんな子供になってしまったんだろう。自分の育て方が間違っていたんだろうか?




 深夜、春貴は起きていた。今日は夜逃げの決行日だ。すでにこの近くに成子は来ている。だが、もちろん両親には内緒だ。


 春貴は両親の寝室をのぞいた。すでに両親は寝ている。もう夜逃げを決行してもいいだろう。春貴は自分の部屋に戻った。


 春貴は成子の携帯電話に電話をした。決行の合図は携帯電話でするように言われている。


「寝た?」

「うん」

「じゃあ、始めよう!」

「うん!」


 春貴は窓を開けた。そこには成子の車がいる。春貴はノートパソコンや着替えなどが入ったキャリーケースを、ロープを使って窓から降ろした。そして、それに続いて、自分もロープから地面に降りた。とても静かだ。誰にも見つかってはいけない。


 すぐに春貴は成子の軽自動車に入った。軽スーパーハイトワゴンで、後ろの座席は格納されていて、荷台になっている。気づかれないために、春貴は荷台に横になって移動する。


「さよなら・・・」


 その声とともに、成子は軽自動車を走らせた。ここから東京までは高速道路を使って向かう。大変だけど、早く向かわないと。


 実家が段々離れていく。だが、春貴は全くそれを見ていない。もうここは僕の故郷ではない。もう僕は故郷を捨てたんだ。


 軽自動車は徐々に市街地を離れ、高速道路に入った。スピードが一気に上がっていく。春貴は外を見ていないが、それを感じている。


 春貴は体育座りになり、星空を見ながら缶ビールを飲んでいる。実家に戻ってから、全く飲んでいない。こうして飲むのは、何日振りだろう。飲めば、辛い事を忘れる事ができる。


 途中のサービスエリアから、春貴はサイドシートに座った。どこまでもテールランプが続いていく。その先には東京がある。そして、自由がある。豊かさ、未来もある。そんな感じがしてしょうがない。


 いつの間にか、春貴は寝てしまった。その様子を、成子は幸せそうに見ている。


 春貴が起きると、そこは首都高速だ。知らないうちに、東京に来ていたようだ。春貴は笑みを浮かべた。ここが夢に見た東京か。


「着いた?」

「うん!」


 春貴はわくわくした。ここから新しい自分が始まるんだ。


「ここが東京か!」

「これから、一緒に暮らそうね!」

「うん!」


 ここから2人の新しい生活が始まる。そして、新しい人生が始まる。




 その頃、何も知らない浅子は目を覚ました。春貴は今日も起きない。全く、出来の悪い息子だ。


「春貴! いつまで寝てるの? 春貴!」


 全く起きる気配のないように見える。浅子は部屋に入った。だが、そこに春貴はいない。深夜に夜逃げして、誰もいない。


「あれっ、春貴?」


 浅子は辺りを見渡した。だが、やはり春貴はいない。と、浅子は机の上に手紙を見つけた。浅子に向けた手紙のようだ。


「これは・・・」


 浅子は手紙を読み始めた。




 お父さん、お母さん、急に消えてごめんね

 俺、また周りの人にいじめられたよ

 みんな反省していない。僕はここにいちゃいけないんだ

 だから僕、彼女と一緒に住んで、新しい人生を送る事にしたよ

 こんなわがままな僕で、ごめんね




 それを読んで、浅子は泣き崩れた。


「春貴・・・。ごめん・・・、私、育て方、間違っちゃった・・・。ごめんね・・・」


 果たして、自分はどこで育て方を間違ったんだろうか? 普通に育てたはずなのに、どうしてこうなったんだろう。答えがなかなか見つからない。

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