吾が爲に狹き世を倦めば雷一閃夏の蛾に懺悔懺悔



ためき世をめばらい一閃いつせん夏のひゝる懺悔さんげ懺悔さんげ



 倭歌は基本的に倭語やまとことばを以て詠まれるが、拙歌において、上代倭語に漢語を配して詠んでみた。


 万葉集にも仏教関連の用語など、漢語を用いて詠まれた歌が、決して多くはないものの散見される。

 例えば、「力士りきじ」「法師はふし」が使用された、次のような歌。


池神の力士儛りきじまひかも白鷺の桙啄持ほこくひもちて飛渡とびわたるらむ


法師はふしらがひげの剃杭そりくひつなぎいたくな引きそはふしは泣かむ


 なお、あとの方の歌に「うま」という語があるが、これも実は倭語とは言いがたく、漢語(呉音)の「」から転じたものと言われる。同様に「うめ」も呉音系統の漢語が転じたとされる。


 ところで、万葉集に収められている山上憶良の『貧窮問答謌びんぐもんだふか』には、「天地者あめつちは 比呂之等伊倍杼ひろしといへど 安我多米波あがためは 狹也奈里奴流さくやなりぬる(天地は広いというけれど、自分にとっては狭くなってしまったのだろうか)」とある。

 夏目漱石の『草枕』の冒頭付近にも「兔角とかくに人の世は住みにくい」とある。


 ここ数年、日本、否、世界中で、非常に生きにくさを感じるような、窮屈な状況がどんどん拡大されつつあるように感じられる。


 そして、昨年のまさに今日、元宰相が凶弾にその命を奪われた。

 しかし、このような悼むべき事件に際しても、人の命の尊さや、遺族並びに関係者などの痛哭に配慮することもなく、加害者の主張を殊更に持上げて、凶行の犠牲者をむしろ貶めんとするかような言説が、その後の世間を風靡したのは、実に悲しくも虚しい風潮であった。


 山岳修行の折、修行者は「懺悔懺悔六根淸淨さんげさんげろくこんしやうじやう」と唱える。

 諸々のよこしまなことどもにけがれ切った己の罪を神仏に謝し、眼・耳・鼻・舌・身・意の六根を何とか清らかに再生させたいとの願いである。

 現代でも、修行に限らずレジャーなどでも、霊山とされる富士山などの登山の際に、これが唱えられたりもする。


 前述の『草枕』には、「人の世が住みにくいからとて、越す國はあるまい。あれば人でなしの國へ行くばかりだ。人でなしの國は人の世よりもなほ住みにくからう」とある。

 なるほど、どこにも住みやすい世の中というものが実存しないのであれば、己を深く顧みて、淸明心きよきあかきこゝろを自らの内側に育むほかあるまい。








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