含む花さきて吾身は內裏に生ふる左近の櫻ゆ緋く散らまし


ふゝむ花さきて吾身わがみ內裏うちふる左近さこんはなあかく散らまし



 雛飾りにちなむ、破戒の歌の第四弾。

 上巳破戒のシリーズはこれでひとまず。


 拙歌冒頭の「ふふむ」という古語には、ふくむという文字通りの語義のほか、花の蕾などが膨らんで今にも開こうとする状態を示す意味もある。

 膨らんだ蕾、その内側には押込められた何かがあるのだろうか。

 あるとすれば、閉じた花弁に遮られつつも鬱勃とおこっていたものが、花が開くと一挙に解放され、外に弾けてほとばしるに違いない。


 第二句の「さきて」は、その前後の「花(咲きて)」と「(割きて)吾身」の二語に掛かって二義を表す。


 内裏の紫宸殿の前には、左近のさくら(古くは梅)と右近のたちばなが植えられていた。

 御殿のきざはしから見て左側に桜、右側に橘。

 雛飾りにも、左近の桜と右近の橘があしらわれることが多く、内裏雛の両脇に置かれる。


 伝統的に日本では、左側が上座であり、古式による雛飾りでは、左の座(向かって右側)に男雛、右の座(向かって左側)に女雛となる。

 なお、明治以降は西洋のプロトコルに従ったため、例えば両陛下がお並びになる場合、古式に違って、右側に天皇陛下、左側に皇后陛下が位置される。

 この影響もあってか、現代の雛飾りでは、男雛と女雛の位置が古式とは逆になっている。

 ただ、関西では現代でも古式にならった飾り方をするところが多いとも聞く。


 古式によれば、男雛の近くに左近の桜。作り物の花なので、咲いたまま散ることはない。


 あえて自ら散ってしまおうとする覚悟。

 それも思い人の手に掛かって、自身の内側にある、あかく熱い誠をほとばしらせ、散華しようという激烈な決意。

 そうして、あわよくば、その凄惨なる最期を〝良人せのきみ〟に見せつけたいとも願うは、倒錯せる矜持か、はたまた邪気か。






 

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