今宵またΝάρκισσοςは眞賢木を根こじにこじて鏡取繫く


今宵こよひまたΝάρκισσοςナルキツソス眞賢木まさかきこじにこじてかゞみ取繫とりか



 前回は百合の話題だったが、今回は水仙。

 ギリシア語で水仙は「νάρκισσος(ナルキッソス)」。

 ナルシシズムの語源となった少年の名でもある。

 美少年ナルキッソスが泉の水に映った自身の姿に見惚れ、その姿を眺めていたいがために、泉を離れることができなくなって死んだあと、その場に水仙の花が咲いたという有名な神話をご存じの方も多かろう。

 水仙はヒガンバナ科の有毒植物であり、その葉をニラと間違えて誤食することによる中毒例を耳にすることもある。

 ナルキッソスが命を失ったのは、自らの毒気にあてられて、自家中毒を起こしたのかも知れない。


 ところで拙歌は、件のギリシア神話にあわせて、日本の岩戸神話も踏まえている。

 すなわち、須佐之男命すさのおのみことの狼藉を受けて、天照大御神あまてらすおおみかみが、天石屋戸あめのいわやとにお籠りになり、暗黒の世界となったため、困った神々は相談して、真賢木まさかきを根から掘り起こし、その上の枝には勾玉まがたまを掛け、中の枝には鏡を掛け、下の枝には木綿と麻の布を垂らして、これを捧げものとなし、天宇受売命あめのうずめのみことが神がかりになって踊り狂ったのだが、それが、胸部のみならず陰部までをも自ら露出させるほどに過剰なもので、それを見て神々が大笑いをしたところ、天照大御神あまてらすおおみかみが何の騒ぎだろうと不審に思って、少しだけ岩戸を開いてご覧になった、その瞬間をとらえて、天手力男神あめのたぢからおのかみ大御神おおみかみの手を取って外に引き出したという、これもまた非常に有名な一節。


 どちらの神話も、何やら官能的な要素に満ちているが、前者は静的で後者は動的な印象もある。


 さて、泉の水面と鏡。

 水面に比べて鏡の方が、よりはっきりと映像結ぶのは間違いない。

 その鏡をナルキッソスが覗いたとしたら、どうだろうか。

 はっきりとした映像が発する毒の作用は、極めて強烈なものとなり、さらに速やかに彼の命を奪い去るのではなかろうか。








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