裳裾なる脛の肉叢白百合の香も詳しもよ蘂も撓に


裳裾もすそなるはぎ肉叢しゝむら白百合しらゆりくはしもよしべとをゝ



 白百合の花と言えば、清楚かつ官能的なたたずまいと香りの高さ。

 漏斗状を成した花弁の内側で、雄蘂おしべの先にたっぷりと蓄えられたオレンジ色の花粉が揺れるさまも、いかにも百合らしい情緒を示すが、この花粉が洋服などに付着するとなかなか落ちないので、花束などにされる場合は、あらかじめこの部分を切除されることが多いようである。

 清楚に見せかけた中に潜む、強い執着心のようなものを、この花粉は連想させる。


 夏目漱石の小説には、色々な場面で百合が効果的に使われている。

 例えば、『夢十夜』の「第一夜」。

「百年待つてゐて下さい」と遺言して死んだ女の墓の前で、赤い日が昇って沈むのを、一つ、二つと数えながら待っている男。あるとき、その男の胸の辺りに向かって、一本の花茎が伸び、そのいただきつぼみに百合の花が開く。

 その表徴的なシーンの様子を、漱石は次のように綴っている。


 眞白な百合が鼻の先で骨にこたへるほど匂つた。そこへはるかの上から、ぽたりとつゆが落ちたので、花は自分の重みでふら〳〵と動いた。自分は首を前へ出して冷たい露のしたゝる、白い花瓣はなびら接吻せつぷんした。自分が百合から顏を離す拍子ひやうしに思はず、遠い空を見たら、あかつきの星がたつた一つまたゝいてゐた。

「百年はもう來てゐたんだな」とこの時始めて氣がついた。


 実に詩的な表現である。


 或いは、『それから』においては、主人公・代助と、友人の妹でかつ別の友人の妻である三千代との間に去来する、背徳感漂う情緒の表徴として描かれている。

 一例として、次のような記述。


 先刻さつき三千代がげて這入はいつて百合ゆりの花が、依然として洋卓テーブルうへつてゐる。あまたるいつよ二人ふたりあひだに立ちつゝあつた。代助は此重苦おもくるしい刺激を鼻のさきに置くに堪へなかつた。けれども無斷むだんで、取りける程、三千代にたいして思ひ切つた振舞が出來できなかつた。


 なお、拙歌中に用いた上代語「くはし」は、「くはし」「くはし」とも表記され、現代口語では、美しい、優れた美しさがあるといった意味合いを有するが、大野晋は『古典基礎語辞典』において「古代日本の美は、精細なもの、小さなものに対する愛着と、清らかな、つややかなものに対する愛好の二つが入れ替わり主流を占める。クハシは---(中略)---繊細な美をいう」と説明している。

 「百合」という文字自体が惹起する印象、あるいは、この語が醸す女性同士のある種の関係性に関するコノテーションなども含め、この花には、単純で表層的な解釈を拒む、複雑に入り組んだ、精細かつ繊細な美が薫り立つように思われる。

 そのような複雑な美に対しては、「くはし」という表現が似つかわしい。





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