足力に盈てるすゞしろ其を以て天佐具賣を蹴ゑて踏まへよ


足力あぢからてるすゞしろもち天佐具賣あまのさぐめゑて踏まへよ



 前回に引き続き、すずしろの足。


 天佐具売あまのさぐめ天探女あまのさぐめとは、記紀において、天若日子あめのわかひこ天稚彦あめのわかひこに悪事をそそのかした女神として登場する。

 そのあらすじは、次のとおり。


 すなわち、騒がしい地上を平定し、天照大御神あまてらすおおみかみの子に統治させようと、天上の神々・天津神あまつかみは考え、地上の神々・国津神くにつかみに使者を出した。選ばれたのが天之菩卑能命あめのほひのみことだが、地上に行ったきり、何年も戻ってこない。

 そこで、二番目の使いとして天若日子あめのわかひこが地上に向かう。しかし、天若日子あめのわかひこも同じく地上から戻らない。

 それというのも、天之菩卑あめのほひ天若日子あめのわかひこも、地上の支配者、大国主神おおくにぬしのかみに懐柔されてしまっていたのである。ことに、天若日子あめのわかひこは、大国主おおくにぬしの娘と結婚し、自らこそが地上の支配者になろうとしていた。

 本来、天照大御神あまてらすおおみかみの子、天忍穂耳命あめのおしほみみのみことに地上を統治させることが、天上の神々・天津神あまつかみの意向だったが、天若日子あめのわかひこはそれを裏切って、自身の野望を遂げようとしたわけである。

 ただ、そうした地上でのいきさつは、天上にはまったく伝わっていない。

 天照大御神あまてらすおおみかみ高木神たかぎのかみ(=高皇産霊尊たかみむすびのみこと)は、状況を確認しようと鳴女なきめという名の雉を地上に派遣するが、天若日子あめのわかひこ天佐具売あまのさぐめにそそのかされ、その雉に向かって、あろうことか天津神あまつかみから託された矢を放ち、これを射殺いころしてしまう。


 この天佐具売あまのさぐめは、後世の天邪鬼あまのじゃくのモデルになった神とされる。

 天邪鬼は、瓜子姫を姦計に陥れるなど(筋書きによっては、姫を殺し、その生皮を剝いだものを被って、更に人をだますというものもあるらしい)、色々な悪さをするトリック・スターだが、夏目漱石の『夢十夜』中の「第五夜」には、こんな哀しい話がある。

 すなわち、戦において敵に囚われ殺される寸前の男が、死ぬ前に一目恋人に会いたいと望み、「夜明けの鶏が鳴く前に、女がここに間に合えば会わせてやろう」と敵の大将から猶予される。

 それを知った女は、裸馬にまたがって男のもとへと急ぐが、真闇まっくらな道のはたで、鶏の一声が聞こえたのにはっとして、馬の手綱を引き絞り、二声目を聞いて手綱を緩めたために、馬がつんのめってしまい、そこに口を開けていた深い淵に落ちてしまう。

 実は、この時の鶏の声は、天探女あまのじゃくが声色を使ったものであり、爾来じらい、男にとって天探女あまのじゃくは永遠のかたきになったというものである。

 お気付きになった方も多かろうが、漱石は「天探女あまのさぐめ」の漢字を用いて「あまのじゃく」とませている。


 このように、憎たらしい天邪鬼は、仏教の四天王像などに踏みつけられている姿でもおなじみだが、拙歌もそのイメージを踏襲している。


 なお、歌の冒頭の「足力あぢから」というのは僕の造語である。

 上代には、「手」を「た」とみ、「足」を「あ」とむ語法があった。

 前者は「手折たおる」「手枕たまくら」など、後者は「足掻あがく」「足結あゆい」などの複合語として後世まで残っている。

 「天手力男命あめのたぢからおのみこと」という神もいますが、「手力たぢから」という語があるのならば、「足力あぢから」という語があってもよかろうと考え、この歌に用いたものである。




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