第七章 新たな夢

「また落ち込んじゃったのかあ。」

杉ちゃんは、がっかりとした感じで言った。

「まあ確かに直轄の家政婦さんということでそのショックは大きいんだろうが、そのたんびにこうやって落ち込まれてしまっては困るよ。」

「仕方ありませんね。でもこれで、犯人が、特定できれば事件の動きも変わるんじゃないですか。あんなに怠惰な警察も、また人が殺されたということで、重い腰をあげてくれるんじゃないでしょうか。」

ジョチさんは、杉ちゃんにそう言うのであるが、

「でもさあ、ああして落ち込まれてしまって、これで3日だぞ。その間誰とも口を聞かないじゃないか。それでは、困るだろ。製鉄所にちゃんと来てくれるのはいいとしても。」

と、杉ちゃんが言った。

「そうかも知れませんが、今回は、自分に一番身近なところで使えていたんですから、それを失ったショックは大きいでしょう。それなら、少し待ってやる必要があると思いますね。」

ジョチさんは、縁側に座り込んでいる彼女、つまり竹沢一恵さんを眺めてそういった。一恵さんは、縁側に座っている。確かに秋山さんの葬儀が終わってすでに3日経っているが、その間に一恵さんは誰とも喋ろうとしてくれないのだった。

「秋山さんの葬儀は、近親者でやったと聞きました。まあ、このご時世ですから、そうなっても仕方ないでしょう。その葬儀に参加させて貰えなかったことも、一恵さんにとっては大きなショックだったんじゃないですか。」

ジョチさんは、ちょっとため息をついて言った。

「そうだねえ。確かに、長らく使えてくれた家政婦さんだからな。」

と、杉ちゃんは言った。

「まあとりあえず、彼女が立ち直ってくれるのを待つしか無いですね。」

ジョチさんも彼女の方を見た。

縁側に座っていただけの彼女を、水穂さんはしばらく眺めていたが、彼女がまた涙をこぼして泣き出したため、

「一恵さん。」

と、水穂さんは声をかけた。

「はい。」

一恵さんはやっとそれだけ返事をした。

「いつまで、泣いているんですか?」

水穂さんに言われて、一恵さんは小さな声で、

「どうしても、秋山さんをなくしてしまったことから立ち直れない。」

と言った。

「それではだめなんですよ。時間は限られているんですから、有効利用しなくちゃ。有限の命の種族ですから、できることも限られているのでしょうけど。でも、いつまでも落ち込んではいられないですよね。」

「私、そんなこともできないのでしょうか、、、。」

水穂さんに言われて、一恵さんは申し訳無さそうに言った。それでは、水穂さんは、少し考えを変えてくれたようで、

「なにか立ち直るきっかけを与えてくれるものを持ってはいかがですか。このままでは、あなたも自殺してしまう気がします。そうならないように、それを阻止できるものを持ってほしいのです。例えば、そうですね。ペットを飼うとか、そういう事をしてみたらどうでしょう。家もあるわけですし、空きスペースもあるわけだし、それなら、なにか飼えるはずですよ。そうすれば、また立ち直れるかもしれない。」

と、一恵さんに言った。

「そうですね。でも私、気力が、、、。」

一恵さんは、何を言っても糠に釘のようであった。

「そうなんですね。僕は、いつまでも待ってます。あなたが立ち直ってくれるのを待ってます。」

水穂さんは、ちょっと咳をしながら四畳半へ戻っていった。それを眺めていた杉ちゃんたちは、水穂さんでなければああして励ませられないと言いあっていた。

その次の日。杉ちゃんに説得されて、一恵さんは、製鉄所を出て、バラ公園を散歩することにした。バラ公園は、相変わらず、近くに遊園地ができてしまったせいで人が少ないのだった。杉ちゃんが、ちょっと座るかと言って、ベンチの近くに移動した。一恵さんは、すみませんとだけ言って、ベンチに座った。

すると、大きな毛の長い白い犬が二人の前に近寄ってきた。

「あら、野良犬か。足が悪いのか?」

杉ちゃんが言う通り、犬は首輪もしていなかった。後ろ足が悪いようで、引きずって歩いていた。

「可哀想な犬だな。なんか前の飼い主さんに虐待でもされんたんかな。後ろ足が悪くて引きずってら。」

と、杉ちゃんが言ったところ、白い犬は二人の前に近づいてきた。杉ちゃんは、

「なんか食べたいのかな?」

と、呟いて、

「こっち来い。」

と彼を呼び寄せて、持っていたロールパンを犬に食べさせた。

「へえ、よっぽど腹が減ってたんだな。よしよし、お前さんは捨て犬かな?」

と、杉ちゃんが言うと、大きな犬は、一恵さんの前に近寄ってきた。

「どうしたの?」

一恵さんが声をかけると、

「おう!やっと言葉を口にした!」

杉ちゃんはやっと言ったが、それを無視して一恵さんは白い犬を撫でてやった。多分女性になつくのだから、オス犬だろう。

「大きな犬だけど、人懐っこくてかわいいな。何ていう種類だろう。なんか見たことがない子だな。こんなになつくのは、前の飼い主さんと、顔がにているからかもしれない。」

と、杉ちゃんの言うのを無視して、一恵さんは、その白い犬の体を撫でてやった。犬は一生懸命一恵さんの顔をなめようとしている。一恵さんはに経てしまわないでそれを受け入れてやった。

「そうかそうか、かわいいな。足の悪いわんこに、そんなふうに懐かれるのも嬉しいだろうな。」

それと同時に、12時を告げる鐘がなった。杉ちゃんたちは、それでは製鉄所に帰るかと車椅子を動かし始めた。一恵さんも製鉄所に帰ろうとしたが、犬が悪い後ろ足を引きずり引きずり、一恵さんのあとをついてきた。

「あら、ついてくるわ。かわいい。」

頑張ってついてくる犬に一恵さんは思わずそう言ってしまった。

「何という種類かも分からないが、とにかく人懐っこくていいわんこだ。それでは、ついでにここの近くにある動物病院に行こう。」

杉ちゃんは、にこやかに笑って、バラ公園近くにある、横山動物病院に連れて行った。獣医師のエラさんは、白い犬を診察してくれて、

「あら、珍しいというか、随分高尚な犬ね。」

と、杉ちゃんたちに言った。

「えーと、犬種はボルゾイで、性別は男の子だわ。年齢はまだ一歳にもなってないわ。」

と、エラさんは続けた。

「でも足の悪いのは治らないかな?」

杉ちゃんが聞くと、

「まあそうなってしまうかな。でも、障害のあるペットは、家族の癒しになるって言うじゃない。選ばれたペットは、幸せよ。」

サバサバした性格のエラさんは、にこやかに笑ってそういうのであるが、

「エラさんがそういうのはいいけどさ、なんかこんなきれいなワンちゃんを捨てるなんて、一体何処のやつだろうな。」

杉ちゃんがそう言うと、

「あら?彼女の飼い犬じゃなかったの?」

エラさんは竹沢一恵さんを見た。

「い、いやあ、それは、、、。」

一恵さんはそう言うが、でも何か決めるような感じの表情をして、

「私がもらいます。」

と、言った。

「なるほど。無くしたご主人からの贈り物かもしれん。ご主人が、お前さんに生きろと言うことを伝えてたくて、お前さんに息子を与えたんだ。そう思え。」

と、杉ちゃんはカラカラと笑った。

「そういうことなら、そうしよう。息子だと思って、可愛がってやるんだ。」

「とりあえずそのまま歩かせると危ないから、紐と首輪をお貸ししますから、紐で繋いで帰ってね。」

エラさんに首輪と紐を渡されて、杉ちゃんは犬に急いで首輪を締めた。犬はやすやすと、首輪に応じた。一恵さんが急いで首輪に紐をつけた。とりあえず、エラさんに挨拶をして、杉ちゃんたちは、製鉄所に戻っていった。ボルゾイという犬種は、非常に歩くのが早くて、ときには50キロくらいスピードが出ると聞くが、白い犬はとてもゆっくり歩いて、杉ちゃんの車椅子とほぼ変わらなかった。

とりあえず、製鉄所に戻って、白い犬に改めてたまのドッグフードを食べさせてやると、何日も食べてなかったようで、ガツガツと食べるのであった。

「本当にうまそうに食べるんだな。動物ってこういう純粋なところがいいねえ。」

と、杉ちゃんはにこやかに言った。

「それにしても、こんなにきれいな犬を捨てるなんて、全く飼い主も変な人ですね。でも、これで良かったかもしれないじゃないですか。きっと彼女が、楽しく人生を過ごすために、なくなった旦那さんが、こいつを送り出して来たんだよ。まあ、良かったねえ。はははは。」

「そうですねえ。それくらい立派な犬です。」

ジョチさんも杉ちゃんに合わせた。

「それでは、なにか、名前をつけたほうがいいな。そのほうが呼びやすいんじゃないかな。お前さんなにか名前を考えろ。」

杉ちゃんにそう言われて、一恵さんは、そうですねと考えて、

「ええ。結局、つけられませんでしたが、子供ができたら、必ずつけようとしていた名前があったのです。それを彼にあげたいと思います。名前は、光。竹沢光です。」

と、にこやかに笑った。

「竹沢光ですか。それはまたよろしいですね。また一つ思い出してくれたじゃないですか。そうやって、もし子供さんができていたら、光さんと名前をつけるつもりだったことですね。」

ジョチさんは、にこやかにそう言うと、一恵さんはびっくりした顔をしたが、

「そうか。そういうことも考えていたんですね。やっと、少しずつ思い出せているのかしら。」

と、ちょっと苦笑いを浮かべた。そして、新しく光と名前をつけられた白い犬を撫でてやった。

それからも、竹沢一恵さんは製鉄所にやってきたが、そのときに必ず、その白い犬、つまり光くんを連れていた。毎日欠かさず散歩に連れて行ったし、公園で誰かにすれ違っても、怖がらないで声をかけることができるようになった。

その日も、一恵さんは、光くんを連れて、公園に散歩にでかけた。もう、周りの人を怖がることもないし、気軽に通りかかる人に挨拶ができるようになっていた。一恵さんはすっかり明るくなったと、杉ちゃんやジョチさんは言っていた。光くんは、後ろ足が痛いのか長時間歩くことはできないので、東屋か、ベンチで休憩しなければならなかった。なのでその日も、東屋で休憩をしていたところ、

「きれいなワンちゃんですね。足がお悪いのは本当に残念。」

と、隣のベンチの人が話しかけた。隣の人は、一恵さんと同じくらいの年齢の女性で、犬を連れてはいなかったが、なにか動物が好きそうな感じの女性だった。

「ええ、足が悪くても幸せに暮らせるように、頑張りたいんです。」

と、一恵さんは言った。

「そうですか。お名前は何ていうのですか?」

と、その女性に言われて一恵さんは、

「光です。竹沢光。変な名前かもしれないけど、私が一番付けたかった名前です。」

と、にこやかに答えた。

「そうなんですね。あたしも犬を飼って見たいんですけどね。マンションがペット禁止で。それでは無理ですよね。」

その女性はそういうのだった。

「そうなんですか。それなら、また会いに来てくださいよ。私は定期的にこちらに来ていますし、この子も喜ぶわ。」

確かに、一恵さんの言う通り、ボルゾイは人見知りをしない犬種でもある。光くんも、彼女に近づいていった。

「ありがとうございます。あたしは、高野まりえ。よろしくお願いしますね。」

そう言って女性は名刺をちらりと見せた。

「あら、フリーランスで、ライターさんなんですか。」

と、一恵さんが言うと、

「ええ。今は、いろんな会社から原稿を頼まれて、困ってるんです。だから、ここで休憩するのが、ちょっとした日課です。ここで、いろんなワンちゃん見たり、他の人が歩いているのを見ているのが、私の趣味です。」

とまりえさんは言った。

「そうなんですか。そういうお仕事もけっこう大変なんでしょうね。私は、竹沢一恵。今は、ちょっとわけがあって何もしてないんですけど、いずれは、なにか新しい事をしたいと思っています。」

と、一恵さんはまりえさんに答えた。

「新しいことって、どんな事?」

まりえさんが聞くと、

「ええ。私は、以前学校法人を作るつもりだったんだけど、夫がなくなってしまって、それはもう水の泡になってしまったの。だから今度は犬を育てる仕事をしてみたいわ。こういう捨て犬を、誰かにお渡しするようなそんなことをしてみたい。」

と、一恵さんは答えた。

「そうなんですか。新たな夢がありますね。」

と、まりえさんは、急いで言った。

「やっぱり人間は、夢を持っていないと生きていけないからね。自分が変わろうとか、そういう事を考えなくていいの。それだけではなくて、自分がちょっと考えを改めるだけでいいのよ。それだけで、人生は楽しいものになるわ。それをこの子が教えてくれたから。」

一恵さんの話に、まりえさんはちょっとそれをバカにしているというか、変な人だなと思わせるような顔で言った。

「そうなんですね。あたしもそんな夢があったらいいのになあ。いつも原稿のことばっかりで、夢なんて見ないわ。そんな事考えてもいなかった。でも、素敵なことですよね。そうやって、前向きに人生を生きている人って、羨ましいわ。そういうことができるって、幸せよ。」

とまりえさんは、そう言っておく。

一方、華岡たちは、相変わらず、竹沢学園のことについて、とにかく聞き込みを繰り返していた。誰か竹沢学園に敵対者はいないか、怨恨を持っている人がいないか。そういう事を何度も繰り返したが、皆好意的な評価をする人ばかりで、恨んでいるような態度を取るものは誰もいない。その上犠牲者が増えてしまったということで、華岡たちはかなり焦っているのだったが、何を捜査しても恨んでいるような人は見つからなかった。

「うーん。必ず誰か、居るんではないかなと思われるが、誰もいないのかなあ。」

部下の刑事の報告を聞いて、華岡は困ってしまう。

「ええ、竹沢学園で、雇われるはずだった教員などにも聞いてみましたが、誰も竹沢玲校長に不満がある人はいませんでした。一体どういうことでしょうか?」

部下の刑事は、困った顔で言った。

「えーと、今まで聞いたのは、教員と、放課後学習支援員に話を聞いたんだよな。他の人物に話を聞かなかったのか?」

と、華岡が聞くと、

「ええ。あと、竹沢学園の関係者は、非常勤講師だけです。何よりも竹沢学園は、非常勤講師とか、放課後学習支援員とか、そういう指導者を生徒と同じくらいの人数で雇っていたそうです。なんでも、足し算もできない位の学力の低い生徒ばかり扱っていたそうですから、そういう学習指導員ばかり雇っていたそうなんです。まあ、変な学校といえば学校でもあるんですがね。」

と部下の刑事は話を聞いた。

「それで、非常勤講師というのは誰なんだ。」

と華岡が言うと、

「はい。えーと、高野まりえ。本業はフリーランスのライターですが、副業として、竹沢学園で雇われる事になっていたそうで。なんでも、国語を教える予定になっていたそうですが、全くおかしなところですね。そんな学歴も何もない人間を講師として雇って、どうするつもりだったのかな?」

と、部下の刑事は言った。とりあえず華岡は、その女性のところに行ってみようといった。

そこで華岡たちは、急いで高野まりえが原稿を納品しているという会社へ行ってみた。行ってみると、ちょっと待ってくださいと言われ、数分後に高野まりえという女性がやってきた。

「高野まりえさんですね。あの、富士警察署のものですが、ちょっとお話を聞かせていただけないでしょうかね。」

華岡は急いで言った。

「はあ、何の話ですか。このあと別の会社に原稿を納品しなければならないので、急いで下さい。」

まりえさんはそう返すが、

「実はですね。竹沢学園の校長の殺害事件のことで調べているんですが、あなた、竹沢学園で講師として働くはずでしたよね。」

と、部下の刑事が聞いた。

「ええ。そのとおりですがなんですか?」

まりえさんがそうきくと、

「なんですかって、そうやって雇われることになにか不満はなかったんですか?どんな些細なことでも結構です。教えてください。」

華岡は急いで聞いた。

「いえ、待遇も良かったし、何も不満なんてありませんでしたよ。それがなにかありましたか?」

と、まりえさんは言った。

「本当にそうですか?」

と、部下の刑事が聞くと、

「ええ。何もありません。ちなみに事件の日は、私は家にずっといました。一人暮らしなので、なにか証明できる人がいるかって言うとそういう事は無いですけど、それ以外に私は何もありません。」

まりえさんはそう答えた。

「はあなるほど。わかりました。まあ、そういうことなら、そうしましょう。また何かわかったことなどありましたら、連絡くださいませ。」

華岡たちはとりあえずまりえさんのもとを離れたのであるが、まりえさんは、華岡たちが言ってしまうと、大きなため息をついた。

「まあ、これで、竹沢学園の教育関係者は、当たってみたわけか。」

と、華岡が部下の刑事にそう言うと、

「でもなんかそっけない感じでしたね。それはなんだかおかしなところだなあ。」

と、部下の刑事は言った。

「そうだなあ。高野まりえという女性は、そもそもどういう経歴であったんだろうか?」

「もうすぐ忘れるんですね。だから、警視はサラリーマンだと言われちゃうんだ。いいですか、彼女の出身校は日本大学芸術学部の演劇科ですよ。そして、卒業後、演劇関係の出版社で働いていたそうですが、思うこと会って、自分で書物の仕事をしたくなり、フリーになったということです。竹沢学園に講師として採用されたのは、現役で文章が書けるということだったそうです。」

華岡が聞くと、部下の刑事は、呆れた顔をしてそう答えた。

「演劇科か。演劇科ねえ。」

華岡は、ちょっと考え込んだ。

「とすると、そういうところから、演技の勉強もしていた可能性があるよなあ、、、。」

「ああ確かにあそこはそういうこともやっていますねえ。」

二人の刑事は顔を見合わせた。

「ということは、つまり、、、。」

二人の刑事の体の間を風がピーッと音を立ててなった。


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