ブーバとキキ

半ノ木ゆか

*ブーバとキキ*

 私が幼稚園に通っていたころの話だ。

 おもちゃ売場で、私は子供用の腕時計に見とれていた。心がときめく。着けてみたいなと思った。

「ねえ、これほしい」

 わくわくしながら親にねだる。親はびっくりして、私から腕時計を取りあげた。

「腕時計なんて着けちゃだめでしょ!」

 私は口をぽかんと開けた。

「どうして?」

 私に目の高さを合せ、優しく、さとすように言う。

「腕時計はキキが着けるものでしょ。あなたはブーバなんだから」

 私の頭は、はてなでいっぱいになった。

「ねえ、キキってなに? なんでわたしがブーバなの?」

 だけど、親は答えてくれなかった。


 私が小学校に通っていたころの話だ。

 私は図工室で色鉛筆を使っていた。先生が私の絵を覗き込んで言う。

「もう少し緑を使ってみたらどうですか」

 私は先生の顔色をうかがった。

「なんでですか」

 先生は優しく、さとすように言った。

「オレンジ色ばかり使っていたら、キキみたいでしょ。あなたはブーバなんだから、緑色を使いましょう」

「でも、私はオレンジのほうが好きで……」

「先生、かけました!」

 ブーバの子が、できあがった絵を持ってくる。緑色がたくさん使われていた。先生は感心したように言った。

「ブーバらしい、立派な絵ですね。たいへんよくできました。花丸をあげましょう」

 私はオレンジ色の色鉛筆を握りしめたまま、自分の絵を腕で覆い隠した。涙があふれてきて、絵がにじんでしまった。


 私が中学校に通っていたころの話だ。

 二人で帰り道を歩いていたら、キキの友達が言った。

「あなたって、キキになりたいの?」

「な、なんでそう思うの」

 おどおどしながら訊き返す。友達は言った。

「オレンジのものが好きだし、前髪も分けてるし。なんとなく、キキっぽいなって思って」

「違うよ」

 自分の前髪に触れて、私は答えた。

「オレンジ色を選ぶのも、前髪を分けるのも、キキになりたいからじゃない。ただの私の好みだよ。……ブーバとかキキとか、意味わかんない。私は私だよ。それじゃだめなの?」

 私の手をとり、友達は眉尻を下げた。

「悩んでるなら、ぼくに話してよ。親戚に医者をやってる人がいて、君みたいな子を診てるんだ」

 私は友達の手を振りはらった。

「私は病気じゃない。変なこと言わないでよ」


「先生、私はどうしてブーバなんですか」

 高校生になった私は、保健室で訊ねた。

 保健の先生が分厚い本を開く。人の足が二つ描かれていた。よく見ると、片方は人差指より親指のほうが長い。もう片方は、親指より人差指のほうが長かった。

「ブーバは、人差指より親指のほうが長いんです。キキは、親指より人差指のほうが長いんですよ」

 私は本を床に叩きつけた。足でぐちゃぐちゃに踏んづけて、ゴミ箱に叩き込んだ。

 先生はあっけにとられたように私を見上げている。肩で息をしながら、私は言った。

「私はそんなことを訊いたわけじゃありません。どうして、ブーバとキキを分けなくちゃならないんですかって訊いているんです。なんで、足の指の長さとかいうくだらない違いで、腕時計は着けるなとか、オレンジ色はだめだとか、前髪は下ろせとか、決めつけられなくちゃならないんですか」

 先生は目をぱちくりさせた。自分の腕時計に触れて、私は続けた。

「私はキキになりたいです。この生き方が許されないのなら、せめてキキとして、生きていきたいです」

 腕時計が時をきざんでいる。

 ふるえる私の手を、先生の大きな手が包んだ。私ははっとした。温かかった。

「今までよくがんばりましたね」

 救われたような気がした。涙が今にも込み上げそうになる。

 だけど、先生は私の腕時計を外して、ゴミ箱に放り込んでしまった。私はあっけにとられた。

 ほの暗い保健室で、先生がにこりと笑う。

「病院を紹介しますから、これから少しづつキキらしさを取りのぞいていきましょう。初めはつらいかもしれませんが、じきに慣れます。あなたもきっと、立派なブーバになれますよ」

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ブーバとキキ 半ノ木ゆか @cat_hannoki

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