第8話 悪魔の殻と寝る女
「駄目だね。アタシでもこれは無理」
「はあ。そんなにっすか、ドクタ」
「そんなにだね。やんなっちゃうね、ほんと」
男が子犬のような瞳をこちらに向けてくるので、どうにかしてやれないかという未練がましい思いが湧いてくる。しかし無理なものは無理だ。何度もシミュレーションし計算した上で出した結論は覆らない。
こいつの腕は治らない。少なくとも、もともとついていた腕をくっつけてやることはできない。
「
ハンドアウトのカルテを投げてやる。ベッドに身を横たえた男は、無事な左手だけでそれを器用に受け取った。
「あんたらしくもないっすね。そういうこと、断言するの嫌いなのかと思ってました。あと処刑人じゃなくて『
「どうでもいいって、んなこと。アタシがいじれない奴の名前覚えててもしゃあないっしょ。あとアタシが断言を避けるのは
「……じゃ、何か別のアプローチできませんか。義手とか」
「んんん。それもまああんたがよけりゃね。ありものならすぐ用意できるし、新造でも何日かありゃ作ってやれるんだけどさ」
問題は、IDORAとのチューニングだ。特にこいつの操る『
IDORAというものは
よくアタシのことを
ともあれそういうわけで、被験者の死亡や廃人化は困る。だからあまり無茶はできないし、まして相手がよりによってダンともなればアタシとしても慎重になる、という話がしたいわけだ。
なにしろこいつときたら、アタシ自身無茶を分かっていて、断られる前提で言っているあくまで興味本位の提案を、ほいほい聞いて実行に移そうとするのだ。信頼されているのはありがたいが、常識的に考えて断るべき部分は断ってくれないと調子が狂う。そんな風に自分のことを棚に上げてむしろ心配してしまうアタシもいる。
「そういえば、ドクタ。ヘイヤーの方はどうですか」
「ああ、あんたが教えてるうみうさぎの坊やね。どう、ってのは……」
「興味ありますか、あいつに」
まあ、ないと言えば嘘になる。IDORAなしでフォーマイトを操れる体質というのは前例がない。おそらく地上にあるどこのデータベースにも載っていないはずだ。そもそも、いわゆる
「
「天才ですか」
「体質って意味じゃ、その通りだよ。そもそも感染後に、体内に保菌したフォーマイトを結晶化して生成できるのはヒト以外の生物だけだし、それにしたって随意運動じゃないからね。今まで観測された誰とも違う、異質で飛び抜けた順応性だよ。加えてあの回復力——」
ダンと演習でやりあった後の彼を診ての正直な所見がそれだ。フォーマイトの外殻がパワードスーツのように外付けで動きを補助しているとはいえ、彼自身の生身の肉体も、代謝機能から燃焼性能まで、かなり底上げされている。目下のところアタシは、体内に保菌されたFOAMウイルスがナノマシンのようにはたらいているのではないかという仮説を立てている。
脊椎を折られても、呼吸器や内臓を潰されても死なない。しかも窒息状態になったら、酸素を体組織内で合成する機能まで持っている。負傷は数十秒から数分で無傷の状態まで回復してしまう。一回やってみたから実証済みだ。
「あの子を壊す——少なくとも行動不能の状態をそれなりの時間、継続して維持するなら、一撃で胴体から脳を切り離すか、コンマ以下の時間のうちに、体内のFOAMウイルスを一匹残らず全殺しにするか——あるいは真空に何日も放り出すか。そのくらいしかないだろうね。それくらい生き汚い体質だよ、あれは」
「……ちょっと恥ずかしくなってきますね。俺、あいつに大口叩いちゃったんで」
「兵士としては素人なんだろ。鍛えてやればいいじゃんか。それに、あの子を守ったのはあんたさ。言ったろ、脳が飛んだらどうなるか分からないって」
聞く話では先の襲撃において、『断頭吏官』は奴の首を刎ねようとしたそうで、それを防いだのがダンの『逍遥星』だという。保護対象がいて、使える球が一個しかない状況でRQ社の正規戦闘員を相手にして、犠牲にしたのが腕一本。もちろん巻き添えになったスタッフは気の毒だが、それに関してはダンの責任というわけではない。贔屓目なしに、よく保った方だと思う。
「目的はなんでしょうか。RQの奴ら」
「ん。アタシはそういうの疎いんだけど、まあ、十中八九あの坊やだね」
「きな臭いすね。どう考えてもあいつの能力——というか、体質絡みでしょう。社長から何か聞いてませんか」
「新入りがちょっと特殊な奴、っていう申し送りは受けてるけどね。あの野郎、
ダンが少し目を泳がせ、起き上がってこちらに向き直った。腕を失ったばかりで、気を抜くと上体が傾いでしまうらしく、見ているのが痛々しい。
「ドクタは、南極会戦以前から社長と知り合いでしたよね」
「まあ、一応ね。アタシはまだ学生だったけど、統一軍の研究所から招集かかったから。アタシが研究員兼生体工学アドバイザ——技術スタッフで、ジェルボアの方は、最終階級が特務の尉官。一応どっちも統一軍の軍人だったよ」
「軍人……社長って何歳なんですか。だいぶお年に見えますけど」
「あいつあんなだけど、まだぎりぎり三十代だよ」
「えっ」
それきりダンは言葉を失う。まあそうだろう。ジェルボアの今の外見年齢は、だいぶ鯖を読んで見積もっても六十代というところだ。
「あの頃はいろいろ切羽詰まってて、だいぶやばい研究が実装運用されてたんだよ。何しろ人類滅亡の瀬戸際って言われてたからね。特務の連中なんか特に、メカニクス方面でもバイオ方面でも、どこかしらいじられてる。アタシもいろいろやらされたし、やったよ」
南極海戦終結後、起業にあたって声をかけてきたのはジェルボアの方だ。本人は気にしていないと言ったが、あいつの改造を手掛けたのは外ならぬアタシだったし、多くの兵士たちの人生を歪め終わらせた罪滅ぼしの心算もあって、ついてきた。
TP社発足からもうすぐ二十年。統一軍時代の頃も含めると、この会社でジェルボアと付き合いが一番長いのはアタシということになるだろうか。
「根回しの巧さで他の組織とのパワーゲームに乗っかって、ここまでのし上がってきた野郎だからね。情報流出点を絞ってんのよ」
でもドクタは信用されてますよね、と言葉を引き継ぐダンに肩を竦めて答える。
「どうだか。ま、アタシの技能に関しちゃ信用してくれてんだろうけどね。誰も信頼はしてないはずさ。秘書の女の子いたでしょ。あの子でもたぶん信頼はされてない」
たぶん彼女はジェルボアの右腕になることを望んでいる。異性というよりは父のようにという意味で、あいつのことを慕っているからだ。しかし、あいつはそういう、他人の真心に頼みを置くことができない気質だ。信頼したいと思ってはいるようだが。
「ドードーですか。今、あいつにヘイヤーの監督お願いしてるんすよ。ほんとは俺の仕事ですけど、俺今動けないので」
「へえ、そうなんだね。そういえば彼女、しばらく見ないね」
「ヘイヤーが入社するよりかなり前から一年近く、特別任務で出てたんです。俺も助けてもらうまでしばらく見なかったっすね」
実を言えば二か月ほど前、アタシは彼女と一度会っていて、彼女のIDORAを調整した。彼女の操る
「ともかく。社長について詮索はあまりしない方がいいよ。本人に直接訊けりゃ別だけど、あれが素直に答えるとも思えないしね」
「つっても今、他にすることないんすよ。俺の戦線復帰、いつ頃になりますかね。近々大規模な作戦があるみたいで、間に合うようならやりたいんです」
「そうさね……」
少なくとも以前と同じしかたでダンが『逍遥星』を十全に使えるようになるのは、まだだいぶ先になるだろう。当座、試作品の高機能筋電義手を使わせてやってもいいが、それならいっそインプラントしたAIデバイスの方には手を加えず、義手の方にウェアラブルコンピュータなり組み込んで管制システムを補助させてやった方が、こいつができることも増えるかもしれない。
「アタシの試作品をとりあえず試してみて、調整して……まあそっちはすぐできるだろうけど、『逍遥星』のチューニングとリハビリ期間は担当医として確保させてもらうから、最低でも二か月は欲しいね」
ダンの顔が一瞬曇る。作戦には間に合わないのだろう。ちょっと期間を盛り過ぎたかもしれない。ダンは要領を掴むのもそれなりに得意なので、本来なら少なくとももう半月は縮められるはずだ。
しかしそれでいい。今はあの頃とは違う。戦えるようになり次第、戦線に逐次投入するなど言語道断。数字の上ではいち戦力ユニットに過ぎないとはいえ、兵士の本質は生きた人間だ。継続し、安定して戦えるように、環境を十全に整えて送り出してやるのが、アタシのような技術屋の責任の持ちかただろう。少なくともアタシはそう思っている。
南極会戦の頃は、ときにはアタシと同年代の少年少女をできあいの装備で送り出さざるを得なかった。人類種の存続のためという大義名分のもと、あのときは無理やり自分を納得させて仕事をしたが、後で死ぬほど後悔した。立場と能力の適正が違えば、アタシも同じような形で使い潰されていたかもしれないのだ。悪魔に魂を売りむざむざ生き延びて何とか辿り着いたこの世界で、同じ轍を踏んでたまるものか。
それに。ダンについては、思うところがないわけではない。
子犬のような目をした青年を横目に思う。
実はこいつももともとは、ジェルボアを危険視した統一軍残党が送り込んできた、彼への手練れの刺客だったのだ。十年近く前になる。本人は覚えていないが、少年志願兵としてTP社へ入社してきた子供たちに紛れ、彼の寝首をかこうとしたらしい。
らしい、というのは、社長から伝え聞いたことだからだ。フォーマイトの記憶保持特性を応用した脳血液関門を通過する常在性ナノマシンを、『逍遥星』のAIデバイスを組み込む際に同時投与し、当該記憶回路の阻害を誘発するように仕組んだ。施術の責任者はアタシ。依頼してきたのは当のジェルボアだった。
自分の命を狙った人間とはいえ、兵士としての能力と心構えが整った優秀な人的資源をわざと手放すのはもったいない。そもそも雇用した時点で労働力を受け取る権利は事業主の自分にあるのだし、手に入ったリソースは最高の形で有効活用させてもらう。
あいつはそんなことを嘯いていたが、アタシは実はそれだけではないのではないか、と疑っている。あくまで嘘ではない、もっともらしい理由の裏に真意を隠すのはジェルボアの常套手段だった。鉄砲玉として片道切符だけ持たされ、幼いテロリストに仕立て上げられたダンという少年兵への哀れみが含まれているのだと思う。
少なくとも、作戦の終わった鉄砲玉は、目的の成否を問わず処分されてしまう。アンダーグラウンドな軍事・諜報活動においては定石だ。ジェルボアのそれとは違うやり方だが、これも情報流出点を絞る一つのアプローチと言える。
そうなってしまうことを黙認するよりは、自分の手元で彼を手駒として縛りつけてでも生かしている方が、ダンという少年にとってまだましなのではないか。
そんな葛藤があった末の落としどころなのではないかと邪推してしまう。記憶を操作することはもちろん健全とは言いがたいが、そうしておけば
もちろんこれはアタシの期待を含んだ見解だが、おそらく当たっている。アタシたちの世代、それも戦争帰りの人間には通底して、そんな甘さがあるのだ。それは南極会戦という戦争を忘れられないアタシたちが、これ以上魂を擦り減らさないための防衛機制と言い換えることもできるかもしれない。
「もう休みな。労災案件なんだから、大手を振って休めるよ。照明、落とすよ」
「はあ。分かりました。でもドクタもちゃんと寝てくださいよ。隈できてますし」
「余計なお世話だよ、ほら。もう切るよ」
ほどなく規則正しい寝息が聞こえてくる。図体はでかくなったくせに、相変わらず犬みたいに従順で素直な子だ。
くぐもった通信の音。デスクに積み上げた資料を崩して床にばらまき、端末を手に取る。「ティーポット」は大きな艦だし、いちいち伝令を歩かせていたんじゃ業務に支障が出る。だから備え付けの通信設備以外に、管理職以上の人員には簡単なスタンドアロンの端末が配られている。
噂をすればなんとやら。狙いすましたかのようなタイミングで、ジェルボアからだ。
「もしもし」
『やあ。私だ。今忙しいかい』
「んにゃ、今ダンを寝かしつけたとこ。急ぎなの……」
『いや、そうでもないが、ことと次第によってはそうなる。ダンの調子はどうだい』
「本体の怪我は大したことない。もう治ってるようなもんだね。ただRQ社の置き土産が痛い。だからIDORAの操作はまだできないけど、方針だけはそれなりに定まったとこだよ」
『そいつは上々。で、今度の攻勢作戦までには彼、治りそうかい』
「作戦ってのはいつ。本人もやる気みたいだけどさ」
『猶予は今から一か月強の予定だ』
「ふうん。あんたが言うなら、間に合わせてやることもできるよ。ちょっとばかし強行軍にはなるけど、体の方は問題ないからね」
『いや、違う。今回の攻勢作戦にダンは参加させない。だから君にお願いしたいのは、彼の足止めだ。無理に出撃しないよう、見張っていてもらいたい』
「はあ。そりゃ、どういう……」
『ダンには作戦後にやってもらうことがある。彼にしかできないことだ。だから温存しておきたい。今回の作戦は口火だ。いよいよ始めるぞ』
「なるほど。戦中は観察と後片付けばっかだったもんね、あんた」
『ああ、だがもう見てるだけはごめんだ。今度こそ僕の差配で盤を転がしてやる。根回しもやった。機も見極めた。想定し得る最高のタイミングだ』
「気合入ってるとこ悪いけど、向きじゃないね、あんたも。アタシにゃよく分かんないけど、あんたがいろんな奴に妙な情けをかけなきゃ、そんな爺になるまで待たなくてもよかったろうに」
『甘さはお互い様だろカプリーヌ。僕ほどじゃないが、君だって歳を取ったよ』
二度と口にするなと釘を刺したのに、アタシの本名を言いやがる。
「いい年して、大人になれてないのはあんたの方ってこと。未練がましいし、いい加減見苦しい。もうろくに動けないくせにまだ諦めてないの」
『このときのためにずっとやってきたんだ。それに未練は男の甲斐性とも言うぜ。それと前に頼んだやつ、もう使えるか』
「それを言うなら未練じゃなくて浮気でしょ。あんたほど浮気しない男も珍しいけど……うん。観測システムの再構築と管制のセッティングは終わってる。だけどあんたもブランク長いんだし、うまく使えたとして、マックス片手で数えられるくらいだね。時間があれば設備はどうにか延命してやれるけど、それよりあんたが保たない。寿命が惜しけりゃ濫用しないこと」
『十分だ。感謝してるよ』
これからジェルボアが挑むのは、彼の夢だ。彼自身を含む多くの人の命と思惑を巻き込んで駆動する巨大な反応炉。その莫大なエネルギーで以て振り回すのは、現在の人類社会そのもの。臨界してしまえば何もかもご破算だ。
多くの人が傷つき、死ぬだろう。しかし、こいつはやめない。会社と人生を賭けた大博打だ。死ぬほど用意周到で臆病なこいつがやるというからには、少なくとも自殺などではない。確信を持って、勝ちにいくつもりなのだ。
『そういえば、キャットに声をかけたよ』
「え。冗談でしょ。特にあんたとあんなに仲悪かったのに。あいつがこっちにつくわけない」
『食わせる餌ならある。それに奴も、根っこは僕や君と同類だ。今だって変わらない』
「だからよ。これだけ緊迫した海を、つく陣営も決めずにあっちこっちふらふらしてるような根無し草が、今になって本気で味方になると思うわけ……」
『あいつがウチにつかないのはボスが僕だったからだよ。それにそう捨てたもんでもない。僕には真似できないが、ああいう立ち回りができるのがあいつのすごいとこだし、あれはあれでかなりクレバーなやりかただ。本人に言う気はないけどね』
その一言を言わないから、こいつとキャットは友人になり損ねたのだ、きっと。
かつて輸送部隊にいた血の気の多い大男を思う。
『それで、本題なんだが。君のマシンに資料を送ったから、ダンの復帰に使ってくれ。いずれ必要になる』
「やっぱ何か追加すんの。そんなことだろうと思って、マージンは取ってるから大丈夫だと思うけど」
『結構歯ごたえがあるが、必須のプログラムだ。さすがの君でもちょっと手こずるかもよ』
「煽んないでよ。やる気になっちゃうでしょ」
端末の向こうで彼が笑んだのが分かる。戦中はいつも仏頂面だったこいつだが、この二十年でそこそこ笑うようにはなった。
歳を取ると小さなことにこだわらなくなり性格が鷹揚になると聞くし、実際の年齢は爺どころかいいとこ中年くらいではあるものの、肉体の年齢に精神が影響を受けることもあるのだろうか。いずれにせよ、こいつの人当たりがよくなったのはいいことだ。そうしなければ会戦後の世界を生きてこられなかったというのもありそうだが。キャットを引き込むなど狂気の沙汰と思えるが、もしかしたら今のこいつとならあの男もうまくやれるのだろうか。
まあ、無理だろうな。アタシは喉の奥で溜息を噛み殺した。こいつのことだから、言葉通り何か方策を考えているだろう。
さて、この段階になってジェルボアが寄越してくるものとは何だろう。ポップアップをタッチし、ラップトップの液晶にファイルを映し出す。
「……ねえ、これって」
『君が想像してる通りのプラグインだ。君ならできるだろ』
「そりゃ……いやそうじゃなくて。こんなのどうやって手に入れたの」
『キャットだよ』
驚いた。もう動いているのか。こいつの手が早いのはいつものことだが、それにしたって思いきりがいい。どんな餌を用意したのか、向こうもよく迅速に動いてくれたものだ。
「あんた、もしかして死ぬ気なの」
『いや。知ってるだろ。ダンならそいつも使いこなせるだろう』
「そりゃそうだろうけどね……ま、やるだけやってみるわよ。ちょっとだけ時間もらうわね」
『了解だ。いい成果を期待しているよ。じゃ』
通信が切れる。アタシはといえば、早くも新しいおもちゃに夢中になっている。
アタシが
そして過大な要求も大好きだ。ソフト面でもハード面でも、無理難題上等。むしろそういうのに燃えるタチを自認している。
そういうアタシの性分をジェルボアはよく分かっている。スクラップ・アンド・ビルドというやつ。実地で組み合わせをあれこれ考えて、各モジュールの構成を改め取り付けたり外したり。そうして確保したクリアランスに目的物をねじ込む。創造性や目新しさはないが、これはこれで独自の魅力を持った作業だと思っている。
あれだけ外道な真似をしておいて、こうなりたくはなかったけれど仕方なかった、と言うと、自分勝手に過ぎるだろうか。責任転嫁が匂い立つ主張だろうか。
飛び級とはいえ国の金で一等内地の大学院まで出ておいて、やっていることは民間のいち企業の産業医兼メカニックまがいのしがない技術屋。それが現在のアタシだ。しかし言い訳をさせてもらうなら、アタシをこんな体たらくにしたのだって、各国が共同管轄していた統一軍の旧上層部にほかならないのだ。個人的には人の生死に関わらない、机上の空論としての生体工学をずっと研究していたかったし、もしも南極会戦がなければ今だって、どこぞの研究所でそうしていたはずだ。
しかしアタシが学生になったばかりの頃には既にうみうさぎとの戦線は逼迫していて、各方面で少しでも使える人間は誰であれ、遊ばせておく余裕はなかったらしい。各国が優秀な頭脳を供出し合ってどうにか理論を完成させ、実装まで漕ぎつけたのが現在の主力装備であるIDORAだ。今から思えばそっちに配属されていればまだましだったかもしれない。だが、アタシが放り込まれたのは後方の研究開発部門でなく、新型兵器・新戦術の実地試験を請け負うことが専門の
アタシの才能というか趣味、もっと下世話な言い方をすればフェティシュ。あらゆるモノを素材と解釈し、人間とそうでないものとを継ぎ接ぎする才、そしてその行為への偏愛。千篇一律の戦争末期症状として、統一軍本部お抱えの技術者が次々に送ってくる、脳味噌に蛆が湧いたかのような人を人とも思わぬ新兵装の数々を、これまたグロテスクな仕様書とにらめっこして調整し、被験者の肉を、骨を、神経を、脳を切り開き、生体部品を制御装置を植え込みあるいは切り飛ばし縫い合わせて、どうにか使えるかたちまで仕上げ戦線に実装・運用し、データ整理の後本部に報告。そんな急ピッチでやるスクラップ・アンド・ビルドにアタシは天稟があったし、そうした自身の行為から、理性では理解できない酷くラディカルな快楽すら感じ取っていた。
白状すると、生理的興奮に近い充実感があった。アタシが手ずから組み上げ完成させた、タンパク質とフォーマイトで鍛造された怪物のような改造兵士たちが歪ながらも滑らかに動作し、出撃していくさまを見るたび、造物主にでもなったかのような半ば誇大妄想めいた快感にアタシは震えた。あるいは死の淵に迷いなく身を躍らせる少年少女の在りようが、アタシの人間性を揺るがしたのだろうか。人体に有害な副作用は多くあれど、いわば天然のバイオコンピュータであるところの新素材フォーマイトは、その浅ましい欲望を助長し肯定してくれる存在だった。
アタシがそんな渾名で呼ばれるようになったのもその頃だった。何しろアタシは当時、月のものが来たばかりというくらいの歳で——その年頃の少女にそんな、あまりにあまりな渾名がつく時点で、アタシ自身の様子がよっぽど常軌を逸していたのだと今なら分かる。そう呼ばれるのもしかたがないくらい、会戦中のアタシはフォーマイトと、それがもたらすテクノロジーの変容に魅せられていた。そういう自覚はある。
二十年前、南極会戦が薄氷のそれとはいえ人類側の勝利に終わった直接の要因は他にあるが、そこに至るまで戦線維持の下支えをしていたのはアタシのような技術者であり、アタシたちの手で改造され戦線に送り出された末使い潰されていった兵士たちだった。それがアタシたちに課された仕事だった。そして仕事は仕事だ、たとえ人道に悖ることであっても、人類という種が存続するためのコラテラル・ダメージだ。責任を持ってやり遂げなければならない。そんな最後の逃げ道に取り縋って、アタシは事実、自身の最深部から湧き出す仄暗い快感から目を逸らし続け罪を重ね続けた。
あの海で、少年少女を含む兵士たちの屍山血河の上に築き上げた楼閣で、人類社会はどうにか延命した。今再び多くの血が流されようとしている。その出血は、今度は人類社会のためではなく、あの海で散った者と散ることができなかった者の夢に注がれる燃料となるだろう。
もう一度、あの黒い青春が戻ってくる。あの戦場がやってくる。
二度と溺れることのないようにと理性で厳重に蓋をし鍵をかけたアタシの胸の奥で、つんとした異臭を放ちつつ確かに甘い、リコリスのような愉悦がとぐろを巻き、蠢動を始めている。
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