第6話 勁は筋より発する
「足だけに集中せず、足運びと連動する上半身の慣性に注意しなさい。片側の筋肉に力を込めたらそちら側に体全体が傾くわ。速度と勢いが欲しいなら、上半身と下半身を左右交互に出せば高速で安定する」
『
「走り方、跳び方は真似られるようだけど、突発的な動きについては、まだ足がなかった頃の癖が抜けていないわ。何も考えなくても自然に動けるようになるまで反復を繰り返して、動きを体に染み込ませる必要がある。さ、ラスト一周行きましょう」
ヘイヤーは鍛錬が習慣になっているから、現時点で持久力や瞬発力はもうできあがっていると言ってもいい。また、結晶化による身体構造の強靭化によって、膂力も耐久性能も文句なしの状態だ。ようするに、ハード面では心配ない。後はソフト面——その強靭な肉体を自在に、正確に操るための方法を身に着けさせなければならない。
彼は訓練場内に作った障害物コースをひたすらに走っていた。背の高い構造物や落ち窪んだ壕を飛び越え、かわし、駆け抜けていく。
ノルマを終えたヘイヤーが戻ってきて、首に装着したコーデックを外す。
「あの、せんぱ——ドードー。質問があるんですが」
「なに……」
IDORAについてです、と彼は言い、あたしが足元に突き立てた『黒拍子』の突撃槍を見やる。
「ぼくの強みはフォーマイトを自由に使えることだとジェルボア——
「そりゃ思い上がりってもんだ。『断頭吏官』の襲撃を予測できなかったのはジェルボアの責任だし、ダンが自分のIDORAをお前を守るために使ったのもあいつ自身の選択だからな。ガシュウ、お前はまだ、他人の命に責任が持てる立場にない」
敢えて「先輩」の頃の口調で厳しく言う。ヘイヤーは先日の襲撃の被害を気に病んでいるようだ。
そして、気に病むにしても、自分の力を高める方向に思考が向いているのはまずまず、いい傾向だ。他人に興味がないことを自認していそうだし、実際そうとしか思えないふるまいをする奴だが、存外かわいいところもあるものだ。あたしは槍を手に取る。
「まあ座って。あたしがすることをよく見てて」
ヘイヤーが従う。あたしは槍を掲げ、「
槍の刃が解けてアーム——ウイングが分離し、あたしが着込んだスーツに背骨のように並んだ接続インプラントへと槍が這い登る。足軽の負う
「IDORAを使うということはつまり、内部に組み込まれたフォーマイトに『これこれこのような動きをしろ』という指示を出して、実行されるという一連のプロセスなの。ヘイヤーのそれは普通のIDORAのようにAIを通してはいないけど、原理は同じ。出した命令と、その実行という意味ではね。そして、命令の出し方は一般的に二通り」
あたしが片手を上げると、背に合体した槍からウイングが伸び、連動して持ち上がる。鉄骨を縒り合わせて造形した巨人の手のように、あたしの手の開閉に合わせてウイングが開閉する。
「ヘイヤーが結晶化するときや、さっきあたしがしたような、特定の音声を発音することで特定の動作をさせる方法。これが一つね。もう一方は、結晶化した後のヘイヤーの動きの補助とか、あたしが今しているみたいな、使用者の
「実はぼくは『
「ヘイヤーの場合、結晶化はほとんどぶっつけ本番だったし、疲れてたんでしょう。だから心身の不調が一つ。ダンも多少手加減はしたでしょうけど、それでも負傷やストレスでフォーマイトとのチューニングに不具合が起きることがある。ただしこれは矯正ができるわ。逆に言えば、どんなコンディションでも十全に結晶化ができるようになるのが、とりあえずの目標ね。これができれば腕をもがれようが、眼を潰されようが、IDORAを正常に動作させ続けることができる」
ダンもそうだったでしょ、と言うと、ヘイヤーは一瞬目を逸らした。思い出したのかもしれない。
「あなたは、あんまり音声認識と動作認識とを分けて考える必要はないわね。都合がいいときに都合がいい方を適宜使えばいいと思うわ。とりあえず今は、結晶化するのに発声と動作がどちらも必要みたいだし」
「音声認識の場合、動作をプログラムするにはどうしたらいいんですか」
「普通のIDORAなら特定の音声に対応するコードをIDORA内部の結晶に記憶させるんだけど、あなたの場合毎回結晶の脱化で構成素材が入れ替わるから、たぶん原理が違うわ。詳しくはドクタにでも訊かなきゃ分からないかも」
ぱん、と手を打つ。会話を断ち切るように。
恒例になった訓練最後の
IDORAは既存の誘導兵器やドローン兵器よりも「使用者の身体・精神の延長」という性格の強い装備だ。ゆえに、多かれ少なかれ、操作の精度は使用者個人の身体操作能力に依存する。そういう意味で「自分の思い通りに体を動かす」、言い換えれば「イメージした自分の身体の動きと、実際の自分の身体の動きを一致させる」ことが必須となる。これを第一歩として、イメージの対象を身体の延長、すなわち自らのIDORAに拡大していくというのが、IDORA遣いの基礎鍛錬法となる。
あたしの『黒拍子』のウイングがヘイヤーに延びる。同時に、残ったウイングが蜘蛛の脚のようにあたしの体を支えて持ち上げ、ヘイヤーに這い寄る。
『黒拍子』のウイングは、見た目は細いが強靭だ。『うみうさぎの足』による打擲や刺突、本体の体当たりを受けてもすぐには破壊されない耐久性能と、うみうさぎの結晶が生み出す爆発的な運動エネルギーに拮抗しうるトルクを併せ持つ。
対するヘイヤーは受動的な対応だ。当然の話だが、彼の手足は全部合わせて四本しかない。対するあたしの方は、汎用ウイングとあたし自身の四肢を合わせて三十二本。手数は圧倒的にこちらに利がある。普通に考えれば、受け身になると押し込まれてしまうのは手数の少ないヘイヤーの方だ。それが分かっていながら攻め手に回って来ないのは、何か考えあってのことだろうか。
断続的な金属音を響かせ、迫るウイングを鉈で縦横に弾くヘイヤー。普通のヒトなら目で追うことも反応することもできない速度と密度の攻撃だが、ヘイヤーは『耳』による超感覚と増強された反射速度、そして身体能力を駆使することで、食らいつくことができている。
そもそも至近距離での打ち合いというものは、相手のガードを崩して一発「いいの」を入れることを目的とした攻防だ。一方だけが武器を持っている場合や、明らかに彼我の強度に差があるケースについてはその限りではないが、今のような状況はまさしく打ち合いと言っていい。格闘技も武術も喧嘩も同じだ。今はお互いに決め手を欠いていて、ペアダンスのような攻防が続いている。
あたしが前進、ヘイヤーは後退。概ねそういうかたちで緩やかな円運動を描いていた二人の移動が止まる。ヘイヤーが、訓練場内に設置してある
これは狙いあっての行動か、それとも偶然か。あたしとしては、打ち合いにもそろそろ飽きてきた。
「どうしたの、あなた。このままじゃまずいわよ」
仮面状の結晶板に覆われた彼の表情は読めない。結晶というとなんとなく透き通っているイメージがあるし、実際フォーマイトは色つきガラスのように透明なのだが、何層にも重なっているヘイヤーの外殻は見通すことができない。彼の顔の、生身なら鼻から上にあたる部分はつるんとした緩やかな曲面の結晶体に隠され、その下、口元と顎は鋭い牙状のフォーマイトが上下に固く噛み合わされていて、常時恐ろしげな笑みを浮かべているように見える。ただ一点、左眼の部分だけは正円形の小さな穴が開いていて、その奥には彼自身の眼が覗いている。
アジア人には珍しい、ブラウンにグリーンが混じったような複雑な色。ヘーゼルだ。そのたった一つの瞳から表情を読み取ろうとする。もちろん攻撃はやめていない。規則的なウイングのローテーションにランダムなフェイントを織り交ぜる。複雑なテンポを刻む蛮族の楽器のように、干戈を交える音が交錯する。
ヘイヤーの狙いを考える。壁を背にしたのは、『黒拍子』のウイングによる、瀝青刀の防御範囲を迂回した上で繰り出される、背後からの攻撃を警戒してのことだろう。実際のところ、壁を背にして相手の攻撃方向を限定するというのは、個人レベルの戦術から軍団レベルの用兵術に至るまで、古来より闘争の分野で一定の評価を受けてきた有効手段だ。定石といってもいい。概して防御に割く肉体的労力と精神的負担が大幅に軽減されるし、その分反撃に割く余力もできる。
しかし、枯れた手段であるがゆえに対策も打ちやすい。ましてやこれはIDORA同士の戦いだ。ヒトならざる海の怪物を相手取り、それだけでなく撃滅することを前提としている。それぞれ用法や特性が違うから一概には言えないが、評価を平均すれば、個人で実地運用する兵器としては局所戦闘機に匹敵するレベルの戦力。それがIDORAだ。ゆえに。
IDORA同士の戦闘に、近代戦における常識は通用しない。
あたしのウイングが繰り出した低空の足薙ぎが跳んで避けられる。しかし回避されることは読んでいた。狙ったのは彼の背後の想定掩体だ。銃撃程度ならびくともしない構造体だが、IDORAの攻撃に晒されれば容易く倒壊する。
床に足を着けていないヘイヤーでは、背後から倒れかかってくる建材の破片を避けられない。そうでなくとも、今まで背後を壁に守られ警戒していなかったのだ。これで確実に、奴は体勢を崩す。決めにいく気だった。
次の瞬間。海緑色の長大な板ばねが横方向に弧を描き、あたしの側頭部を凄まじい勢いで打ちつけた。
「——はっ」
遅れて自分の声だと気づく。後頭部で固定したマスクのカーボンバンドがちぎれ、本体ごと明後日の方向に吹っ飛んでいくのが見えた。コンマ一秒未満の時間だが、意識を飛ばされていたようだ。体が横転しようとしている。待機状態だったウイングがオートバランス機能を緊急始動させ、転倒する前にあたしの体を押し戻す。
何が起きたのか分からないうちに、次の攻撃。今度は上方からの打ち下ろし、脳天を目がけた唐竹割りを思わせる軌道だ。ウイングを頭部の防御に回す。
振り下ろされた結晶体の構造物が中空で撓み、それを受け止めるはずだったウイングを避ける。そして。
あたしの無防備な腹部をまともに捉える。
突き刺さるような鋭い打撃ではない。接触箇所は狭いが、全身を揺さぶり突き飛ばすような重たい排撃だ。無理に耐えれば内臓と三半規管にダメージを負う。やむなく、せっかく詰めた奴との距離を取る。八メートル、いや十メートルは離されてしまった。展開したウイングが床に先端を突き刺し削り、ノックバックの衝撃を床に分散・吸収する。
ヘイヤーを見やる。
彼は、鉈を持たぬ片手を使って逆立ちをしていた。さっきあたしを打ったのは、その姿勢のまま放たれた結晶体の義足による、連続した二枚蹴り。その残身を保ちながら、彼はこちらを見ている。このアクロバティックな動きに近いのは、強いて言えばブラジルのカポエイラ、いやむしろ——。
「
なるほど、足を持たず生活していた期間が長かったのだから、足で全身を支えるよりも、手で全身を支える方が得意というわけか。床に散乱した掩体の破片をうまく避け、一本の腕だけで危なげなく体を支えた状態から、ブレイクダンスの要領で正立の姿勢に戻るヘイヤー。
頭を振る。体の奥に、甘く痺れるような感覚がまだ残っている。あたしの着ているスマートファブリック製のこのスーツは、内部に
瞬間、眼前に黒い鉈が迫る。速い。ウイングを回して受け流したり、防御したりする余裕はない。
通り過ぎていく鉈はブーメランのように回転している。それに続く、柄を握っているはずのヘイヤーの腕が見えない。ということは。まずい。他の何より優先して、一番近くにあるウイングを走らせる。
あたしの、首。気道と頸動脈の走るそれを、交差したヘイヤーの義足が締めつける。奴が前もって投擲した鉈は、あたしの視界と意識とをそちらに向けさせるための囮だったのだ。本命はこの
極まって、しまっている。このままではやられる。意識が落ちてしまう。
何とかヘイヤーの足を引き剥がし、彼の両足を押し広げようとウイングを駆動させ、両腕で引っ張る。無理だ。奴の足は万力のように、あたしの首を銜え込んでいる。ウイング一本とあたしの腕だけではとても対抗できない。眼球が頭蓋骨の内側から押し出されるような感覚。視界の端が白く染まってきた。意識を奪われるどころではない。首を骨ごとへし折り、ねじ切る勢いだ。ヘイヤーがそれだけあたしの実力を買ってくれているのは嬉しいが、いや何を考えている。今はそんなことを思っている場合ではない。
意思と無関係に、あたしの両目が上を向きだした。このままでは脳への血流が止まる。やむを得ない。足と首の間に挟んだウイングに指示を出す。
ばぎん、と音がして、あたしの首を圧迫していた義足が折れる。こちらの右腕を抱え込んでいたヘイヤーが支えを失い、大きくバランスを崩す。解放されたあたしはといえば、急に肺に流れ込んだ新鮮な空気で咳き込んでいたが、その好奇を見逃すわけにもいかない。ヘイヤーの体が床に触れるより前に、ウイングでその体を掴み上方に放り投げる。強固な結晶の鎧に覆われた彼に物理的な外傷を与えることは難しく、身体能力も段違いだ。だから、奴がその膂力や運動機能を発揮できない空中に追い込む。
中空に投げ出され、緩やかに回転するヘイヤーと視線が絡み合う。折られた片足のせいで、空中でバランスが取れずにいるようだ。あたしは全ウイングへ指示を送る。
あたしの背面で重ねられていたウイングが開く。その内部に格納されていた多数のレシーバとノズルが露出し、引き絞られた撃針が、薬室に装填された固体燃料の噴進カートリッジの雷管を叩き一斉に撃発する。
破裂音。火花を撒き散らしながら、エキストラクタが多数の
炸薬撃発を動力とした推進装置内蔵型の多関節ウイングの同時・連続点火による、急激で強引な三次元空力機動。それがあたしのIDORA『
瞬く間にヘイヤーに追いついたあたしは、空中で彼の背中側に回る。能動的な姿勢制御手段を持たないその体を檻のようにウイングで包み込み、直下に向けて加速する。
投射形態の『黒拍子』が黒い砲弾のように空中を走り、ヘイヤーを床に叩きつける。彼は、頭部こそかろうじて両腕で守ったようだが、脊髄と三半規管を揺さぶられ激しく痙攣して失神する。
仰臥したヘイヤーの体から「ぎいぎい」「ぴきぴき」という氷河が解けるような音がしている。意識を失ったことで、体表に隆起したフォーマイトの鎧が脱化を始めたのだ。
ドクタからの申し送りで、ヘイヤー、というかガシュウの変異した体質についてはある程度把握している。脳震盪や骨折レベルの負傷なら、長くとも数分あれば十分回復するらしい。ゴキブリのような生命力だが、殺してしまうことを心配しなくていいのは正直ありがたい。実際、IDORAの結晶崩壊機能を使わなければあたしが追い込まれていたはずだ。反省しなければならない。彼の機転と隠し玉を甘く見ていた。
それにしてもいい体をしている。ガシュウの裸を眺めながら思う。幼い頃、本来なら筋肉よりも背を伸ばすべきだった時期からずっと、高強度で高負荷のトレーニングを重ねてきたのだろう。身長が低く、腕が太く、縦横に走る腹筋の割れ目はクレバスのように深く落ち窪み、胸板の厚みなどほとんど肩幅ほどもある。肉体の均整が崩れているし、ばきばきに筋張っているので、決して美しくはない。だが、束ねて絞ったピアノ線を押し固めて成形したような、独特の緊張感と充実感がある。裸の胸元にナイフを滑らせれば、みっしりと詰まったパスタのような筋繊維が傷口から溢れ出し零れ落ちてくる、そんな幻視をしてしまうほどに。
剥離したフォーマイトの破片が寄り集まり、蠢いて、粘菌のように折れた義足に蝟集する。砕け折れた破損個所を補って癒着・硬化し、元のような
ガシュウが意識を取り戻した。あたしは首を振り、彼の肉体から視線をもぎ離す。ガシュウが立ち上がって、自室から持ってきていたらしい着替えのBDUを身に着ける間、妙に気まずい沈黙が二人の間に落ちた。
「いい動きをしてたわね」
背を向けたままガシュウに声をかける。微かな衣擦れの音が止み、鞘鳴りの乾いた音がそれに続く。肉体から分離した結晶ナイフを納刀したようだ。
「え、ああ、まあ。餓鬼の頃やってた喧嘩の応用ですけど」
「
ホッパ、と呟いたガシュウが、ややあって訊き返してくる。
「
「いいえ、あたしの国の北の方の拳法よ。まああたしも習ったことないから、詳しくは知らないんだけど。あれ独学なの……」
「そうですね、誰かに教わったとかではないです」
「『力は骨より発し、
ここで言う「力」というのは戦うときだけでなく、歩いたりものを持ち上げたりするときにも使う人体の力のことだ。もちろん、持って生まれた身体能力如何でその伸びに若干の誤差はあるものの、これはどんな人間でもトレーニングをすればそれなりにはなる。対して「勁」を絞り出すという話になると、これはより本人の素質に依るところが大きい。普段は、というか「普通は」しない動きだから、筋肉をつければできるというものではなく、また身に着けるためのノウハウも口伝ばかりで分かりにくいので、どれだけ反復練習を繰り返しても一向にできるようにならない者もいれば、逆にすんなり「何となく」できてしまう者も稀にいると聞く。
おそらくガシュウが見せた寸勁もどきの完成度の高さは、彼自身の生来の身体的特徴とそれに起因する経験によって偶然培われたものだ。
誤解されやすいが勁は超能力やオカルトの類ではなく、れっきとした技術の一系統だ。流派も多く、色々な種類があるものの、それらに通底した基本として、体重移動や重心制御が大きな鍵を握るという。
さて、多くの人間は移動に足を使うわけだが、ガシュウの場合は腕、というか手だった。一般的には足よりも手の方が精密に動く。ようするに、ガシュウが勁もどきを使える理由の一つは、彼が細やかで力強い重心制御という「普通は」しない動きを生み出すために必要な下地、すなわち勁を生む材料となる肉体を、本人も意図しないうちに練り上げてしまっていた、ということだろう。
加えて、健常者の子供たちと五分の勝負をするためには、単純な叩き合いや体当たりでは分が悪かっただろうことは予想できる。背の低さや移動の遅さ、取っ組み合いのときの抵抗のしにくさ。それらを補うため、相手を跳ね飛ばしたり突き飛ばしたりして、たたらを踏ませるような、あるいは転倒させるような動作を、無意識のうちに会得し習熟したに違いない。
いずれにせよ、結晶の被甲化に由来する超人的な身体能力と超感覚、そして再生能力によって一介の歩兵というには過剰なまでに地力を底上げされたヘイヤーという個の戦術ユニットにとって、勁が打てるということは大きな力になる。一身障者の身分ではせいぜい諍いや小競り合いにしか役に立たなかったであろう技術だが、戦闘員としては必ず武器になるはずだ。
「それはそれとして、ぼくの足が折れたことについてなんですが」
「ああ、それはね——」
あたしたちの使用するIDORAは、例外なく不活状態のフォーマイトを組み込んである。それだけなら、民間や軍の高性能家電や設備の類にも同じものを使用したタイプがあるので珍しくもない。
問題は、「思考を吸収し、伝える」フォーマイト同士が接触したときに何が起こるかだ。結晶と結晶とが接触すると、お互いに対して思考の干渉が発生する。興味深いことに、本来の持ち主であるところのうみうさぎが纏う活性結晶と、人工的に思考を固着・記憶させた不活結晶とでは、後者の方が思考の侵食力が高いのだ。戦略レベルの兵器を除く、即効性のある手段では変形させたり破壊したりすることがほぼできないフォーマイトで身を固めたうみうさぎを屠るために、この現象を応用したのがIDORAというわけだ。
IDORAの、うみうさぎに攻撃を与える部位には、生物学用語で言うところの
「IDORAには全部、その機能が搭載されてるんですか。例えば
「そうね。前提として、
「じゃあ今まで、ダンも先輩も、ぼくに手加減をしてたわけですね」
「まあ、とりあえず最初はそうしないとあなたが使い物にならないから。段階を踏んでいかないと、とは思ってたけど、それも今日で終わりにすべきね。次回からは全力でやりましょう。最終的に相手にするのはIDORA遣いなんだから、その方が実践的だわ」
「そうすると。今さらですけど、ぼくの仮想敵として、IDORA遣いっていうのは相性最悪ってことになりませんか。触れただけでぼくはどこかしら壊されるでしょうし、ぼくには遠距離攻撃の手段もない」
あたしは背面の槍を外して床に降り立った。埃を払い、先ほど蹴られた腹に手を触れる。
「それもまあ、やり方次第でしょうね。正直、あたしもその点に関しては同意見だけど、あんまり弱点ばかり見ていてもしかたないわ。例えば、あなたのその速度と力をコントロールできるようになれば、掠っただけでも並みのうみうさぎくらいなら吹っ飛ばせるし、人間なら言わずもがなね。艦砲射撃や本物の誘導ミサイルなんかと違って、大がかりな設備も必要ない。急な方向転換ができる砲弾みたいな戦い方ができるかも。自分が壊される前に相手を吹っ飛ばして、体勢が崩れたところにさっきの勁もどきか、そのばか重い鉈で一発いいのを入れるとか。そもそも結晶化したヘイヤーの体当たりなんか、まともに喰らったら戦車でも原型残らないくらいぐちゃぐちゃになるんだから、そこは心配しなくていい。とりあえずは敵との接触時間をできるだけ圧縮して、一発で倒せない奴からは壊される前に離脱、破損修復を待ってもう一回突撃、みたいな、一撃離脱方式が現実的かもね」
と、ガシュウが首に装着したコーデックのランプが控えめに光る。あたしの通信機はさっき彼に壊されてしまったマスクに仕込んであったのだが、そちらが通じないせいだろうか。
「こちら訓練所、ヘイヤーです。はい……はい。そうですね、一緒にいます」
ガシュウがコーデックを外し、こちらに寄越してきた。受け取って耳に当てる。
『お疲れ様。私だ、ジェルボアだ』
「は。ドードーです」
『少しくたびれた声をしているね。無理をしないように。まあそれはそれとして、本題に移ろう。彼の様子はどうだ。使えそうかね』
「ええ、それなりには。勘働きも悪くないですし、作戦行動時の動きはあたしたちともう遜色ないですね。後は経験の問題かと。装備の特性上、ロケーションによっては動けなくなるので、海上や泥濘地の作戦行動にはバックアップが必要になるでしょうが」
『分かった。実は近々大規模な攻勢作戦をやる予定でね。目標はRQ社の前線基地だ。できるだけ急いで、彼をものにしてくれ』
「もう投入するんですか、ずいぶんと早い」
『結局、タイミングが一番重要なんだ。ハンプティ・ダンプティはまだ動けないし、ヘイヤーのサポートは君に任せようと思う。君は一番彼と接している時間が長いからね。できるな』
「は。もちろんです」
『よろしい。じゃ、頼むよ。君の働きに期待している』
通信が切れる。あたしはコーデックをガシュウに返して、刺した槍を抜いた。
「これで終わりにする気だったんだけど、事情が変わったわ。もう少し延長しましょう。全力でやるわ」
「えっ」
「ごめんね。まあ残業代として、後で一杯おごるわよ。コーヒーだけど」
こちらを見つめてくるガシュウの表情から、多少の恨みがましさを感じ取る。ずっと彼を見続けてきたからなのか、それとも表情に出るようになってきたのか。
あたしとしては、後者だったら嬉しいのだが。
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