第4話
翌朝、ひんやりとした空気の中で、ぶるりと身を震わせて鳴海は目覚めた。どうやら、あのままうつらうつらと眠ってしまったらしい。布団も敷かずに寝入ってしまったのだから、寒気がして当然かもしれない。だが、自分で取り出した覚えのない掻巻が掛けられているのに、気付いた。
誰かが、鳴海の様子を見て掻巻を持ってきてくれたのだろう。そして、文机の横にはあの破れた着物があった。
そっと広げてみると、ほつれたところは綺麗な縫い目で再び縫い合わせてある。破れた痕跡は、目立たなかった。さらに、芳之助から借りた羽織には、ぴしりと火熨斗が当てられている。
そこへ、昨夜声を掛けておいた女中がやって来た。
「おはようございます、鳴海様。お召し物を……」
そこで、女は口を噤んだ。
「まあ、どなたかが既に繕ってくださったのですね」
明らかに、ほっとしている。失礼な、と思いながらも、鳴海はうむ、と曖昧な返事をした。
「では、私はこれで」
女中は引き下がろうとして、もう一度まじまじと着物の縫い目を手に取って眺めた。
「それにしても、見事な針目ですわね。失礼ながら、大谷家の女性の方々の手とは思えません」
「そうなのか?」
思わず、女中の言葉に釣られて鳴海は問い質した。まずいことを言った、とでも言うように、女中は首を竦めた。
「内緒にして下さいませ」と前置いてから、彼女は簡単に説明してくれた。どうやら、大谷家の女性は家風の如く、大らかな性格の女性が多いという。それらの性格からか、針仕事も機能的には何ら支障がないものの、たまに手直ししたくなるものも混じっているのだそうだ。ただし主筋に対して直言するのは失礼に当たるから、あまりにも目に余るものは、女中がそっと手直しすることもあるのだと言う。
那津が不器用なのは知っていたが、それ以外の女性たちの繕い物の出来不出来については、気づかなかった。さすが同性の目は違う。
「あら、お目覚めになったのですね。朝餉が出来ていますから、早くお召し替えなさいませ」
ずかずかとやってきたのは、玲子だった。なるほど、確かに大らかな性分である。
ついでなので女中に着替えを手伝わせ、男帯を締めて義経袴をつけると、気分も引き締まった。女中は再度鳴海に向かって頭を下げると、台所を手伝うために水屋への廊下を曲がって姿を消した。
それにしても、この仕立をしてくれたのは、誰か。女中の言葉から推測するに、心当たりのある人物は、一人しかいなかった――。
「――で、一人ではこの店に入りづらいから、私を出汁にしたわけですか」
呆れたように店先で呟いたのは、衛守である。今日は六の日で藩の公休日であるから、鳴海も衛守も、非番なのだった。二人が今やりあっているのは、中島
女性に苦手意識があるとは言え、さすがの鳴海でも、今回のりんの細やかな気遣いには何かしら応えてやりたいと感じた。そこで、りんが喜びそうな女性向けの品物を選びに来たのである。だが、六年も鳴海から距離を取っていた上に、年の差は大きい。りんに何を贈ったらいいいのか、鳴海は途方に呉れた。そこで、比較的りんに近い年頃の娘と交際中の衛守を、連れてきたというわけである。
「義姉上に感謝の念を伝えるのに、贈り物をするというのはいい心掛けですよ。ですが、私だって女性の好みに通じているわけではないんですからね」
大の男二人が、女性用の華やかな小物を前にしてああだこうだと言い合っているのは、なかなか滑稽な絵面だった。
「こんな面倒なことをしないで、義姉上を直接お誘いすればいいではないですか」
「馬鹿。りんは俺より九歳も下なんだぞ。端から見れば、どう見たって良女を廉わす不逞の輩ではないか」
鳴海は、衛守を睨みつけた。
鳴海の容貌は、お世辞にも優しげとは言い難い。しかも、日頃から武芸で鍛え上げているから、筋骨隆々の体躯と来ている。男から見ればそれが魅力的に映るのだろうが、そんな鳴海が一回り近くも齢が離れたりんを連れた図は、どう想像してもいたいけな女性を騙す、悪人のようだった。
それに引き換え江口家の血を引く衛守は、男にしては小柄であり、顔立ちも鳴海より遥かに穏やかである。少なくとも鳴海が直接りんを連れてくるより、衛守を連れて助言をもらったほうが、よほどましというものである。
「兄上って、結構見栄っ張りですよね」
衛守も、負けじと鳴海を睨み返した。衛守は普段は穏やかなくせに、幼い頃から共に育ってきたからか、鳴海に対して割とずけずけと遠慮のないところがある。
そこへ通りかかったのは、上崎家のアサだった。例の、衛守の想い人である。
「衛守様。鳴海様。ご機嫌麗しゅう」
そう述べて軽く頭を下げるアサを見て、衛守が愁眉を開いた。
「丁度良かった。アサ殿、今日はこの後用事は?」
「いいえ」
アサは、首を横に振った。
「兄上が義姉上に贈り物をしたいというから、一緒に見立ててくれないかな」
なるほど、そういうことか。鳴海は、思わず唸った。確かに、男二人で選ぶよりも、女性の目の方が間違いない。
鳴海の唸りに一瞬びくりとした様子のアサだったが、恋人である衛守が一緒ということで、安心したのだろう。にっこりと笑ってみせた。
「鳴海様の奥様というと、確か……」
「江口家の、りん様だ。まだ二十一とお若いし、我々が選んでも、感覚が合うかどうかわからないから」
その口上は、鳴海より余程こなれている。道理で、衛守の方が恋路に関しては通じているわけだと、鳴海は腑に落ちた。だが、何となく面白くない。まったく、小さい頃は鳴海の後をついて回ってばかりいたくせに、いつの間に女性を口説く技を身に着けたのだろう。
「分かりました。任せて下さいな」
アサは、男たちを店の中に誘った。
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