汚れた人生

三鹿ショート

汚れた人生

 彼女のことが気になった切っ掛けは、仕事での私の不始末を処理してくれたことだった。

 首になったとしても文句を言うことは出来ないほどのものだったために、私は彼女に泣きながら感謝の言葉を述べた。

 どのような謝礼をすれば良いのかと問うと、彼女は口元を緩めながら、

「罪滅ぼしのようなものですから、気にしないでください」

 その儚い笑顔と言葉が気になってしまい、その日以来、私は彼女のことを目で追うようになった。


***


 彼女を観察していて気が付いたことは、彼女は他者が厭うような仕事ばかりを引き受けているということである。

 当初は私のように感謝の言葉を述べていた人間が多かったが、やがてそれが当然のことと化し、感情の籠もっていない謝意ばかりが口にされるようになった。

 だが、彼女は嫌な顔をすることなく、日々の仕事を捌いている。

 誰よりも早く出社し、先に帰宅している姿を見ていなかったために、何時の日か倒れてしまうのではないかと心配になった。

 ゆえに、せめてもの息抜きとなるように、私は彼女と関わるようにした。

 たわいない話題を提供したり、昼食に誘うなど、多忙な彼女の一助として、私は行動していった。

 断られるかと思いきや、彼女は私の誘いに文句を言うことなく従うばかりで、失礼ながらもまるで機械のようだと感ずることもあった。

 一体、何が彼女をそこまで駆り立てているのだろうか。

 珍しく酔った状態の彼女に訊ねたところ、彼女は怪しい呂律で語り始めた。


***


 彼女の罪滅ぼしに、明確な対象が存在しているわけではない。

 正確に言えば、その相手は存在しているものの、取り合ってもらうことが出来ないために、他者に親切にすることで、罪を贖うことに決めたらしい。

 罪を犯すようになったのは、父親が原因だった。

 彼女の父親は働きもせず、昼間から酒を飲むような人間だったが、それでも彼女の母親は夫を愛していたために、生活を支えていた。

 しかし、夫が不貞行為を働いたことで愛想を尽かし、母親は彼女を置いて出て行ってしまった。

 生活費が無くなることを恐れた父親は、彼女を利用することを思いついた。

 それは、年端もいかぬ彼女に他者を誘惑させ、行為の様子を密かに撮影し、それを材料に脅迫するというものだった。

 父親の目論見は成功し、生活費に困ることはなくなったが、彼女は常に罪悪感に悩まされていた。

 だが、逆らえば父親に暴力を振るわれてしまうために、従うしかなかったらしい。

 その生活は何年も続いていたが、それは父親が交通事故に遭ったことで、終焉を迎えた。

 彼女は父親の脅迫相手に頭を下げに向かったが、それすらも何らかの罠ではないかと恐れられ、取り合ってくれる人間は皆無だった。

 罪滅ぼしをするべき相手が分かっているにも関わらずそれが叶わないために、彼女は他の人間に親切にすることで、罪を贖うと決めたということだった。


***


 酒に酔い、眠ってしまった彼女を自宅に送り届けた私は、彼女のことを不憫に思った。

 話に聞いた父親の娘として誕生しなければ、彼女は普通の人生を送ることができていただろう。

 しかし、諸悪の根源がこの世から消えた今でも苦しめられるなど、彼女があまりにも不幸ではないだろうか。

 ゆえに、事情を知っている私だけでも、彼女の味方で有り続けようと決めた。

 同情しているためにそのような関係を選んだと思われるだろうが、理由はそれだけではない。

 私は、彼女が心から浮かべたような笑顔が見たかったのだ。


***


 私の行動が功を奏したと感じ始めたのは、私に対する彼女の態度が軟化したときである。

 それまで口にしたことが無かったような冗談を言うようになり、私が誘えば早く帰宅するようなことが増えたのだ。

 このまま行けば、彼女が普通の人間として生きる日も近いことだろう。

 そう考えていたある日、彼女は私に告げてきた。

「私に関わることは、止めてくれませんか」

 神妙な面持ちの彼女を見て、私は困惑した。

「何故、そのようなことを」

「あなたと過ごしていると、やるべきことを見失ってしまうからです」

 やるべきこととは、罪滅ぼしのことに違いない。

 私は首を左右に振り、

「きみの父親の被害者たちに申し訳なく思っているだけでも、きみは良い人間である。それを忘れずに生きれば、それで良いではないか」

「それでは、私の気が済まないのです。私が手を貸したことは事実ですから」

 彼女は、父親の犯した罪から逃れることができないらしい。

 決意を新たにしてしまった今、彼女を説得することは難しいだろう。

 腕を組みながら、どうすれば彼女を救うことができるのかと考える。

 しばらく無言の時間が経過していたが、やがて私は、あることを思いついた。

「では、こうしよう」

 私は彼女の手を握ると、

「実は、私は愛情というものを知らずに育ってきたのだ。ゆえに、誰かから愛されることがどれほどのことなのか、分からない。そこで、きみに愛情というものがどのようなものかを教えてほしいのだ」

 私の言葉に、彼女は目を見開いた。

 もちろん、私の語った内容は事実ではない。

 だが、彼女を呪縛から解き放つためには、このような言葉が必要なのである。

 彼女はしばらく私を見つめた後、その双眸から涙を流し始めた。

 それを拭うと、呆れたように大きく息を吐いた。

「あなたも、可笑しな人間ですね」

「私は不幸な人間である。ゆえに、きみに幸福にしてほしいだけだ」

 私がそう告げると、彼女は笑みを浮かべた。

 それは、心の底から浮かべたような、見ていて心地の良いものだった。

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