第15話「孤独の半獣」
一面に広がる純白の大地。全ての始まりの地であり終わりの姿でもあるその砂漠は、大昔からあるようであり、ひょんな出来事で突然現れたようにも思える。その歴史を知る者は、少なくとも砂漠にはいなかった。静寂の中でただ聞こえてくるのは砂の斜面を滑りゆく風と、枯れた木の枝やタンブルウィードの塊が擦れる音である。砂山の麓、なだらかな砂丘の上。ぽつんと丸くなる、独りぼっちの生命体がいるようだ。星の光に照らされて、その毛並みは銀色に輝いている。自分の体を隠すように、両手両足を縮こまらせて眠る彼は肩を小さく上下させては寝息を立てていた。雲ひとつなく風も非常に穏やかなひと時。散々眠り続けていたのだろう。その小さな生き物はゆっくりと目を覚ました。長いまつ毛の奥からは青い宝石のような瞳が覗いている。彼は起床してすぐに立ち上がった。すんすんと空気の匂いを嗅ぎ、周りに人がいない事を確認すると安堵したように肩の力を抜いた彼のシルエットはといえば、2本の脚を持ち2本の腕を持つ人型であった。しかし一方で人と呼んでしまうには異質な点がいくつかあった。まず、彼の下半身は毛むくじゃらである。四足動物のように長い踵と短い脹脛からは、草食動物の面影が感じられる。乾燥にも寒さにも耐えられるような、柔らかく強靭な毛皮から真っ白な毛が綿密に生えていた。足先には大きな蹄が付いており、砂の上は一見歩きづらそうである。しかし地面との接着面が広いのであろう。体重の分散が効き、難なく歩けるのであった。次に頭である。顔は端正で、髪の毛はといえば艶やかさを保っている。しかしながら生えたままの長さであるために、独特なウェーブや絡まった部分が目立っている。銀色の髪は、下半身の毛と同じ色だ。よく見れば、上半身にも似たような色の毛がうっすらと生えている。その毛質といえば、寒さから身を守る強靭さは感じさせない、子猫の産毛のようであった。それが人としての彼自身の体質なのか獣としての体質なのかは判別不明であるが、頭蓋骨から生えているのであろう太い角は、トナカイの其れによく似ていた。まだ完全に生えきっていない角であるが、現状でもやや重そうである。太い一本の角に、枝分かれするように分岐した形状は鹿のそれとも似ている。ただ硬いだけでなく、角全体がやや丸みを帯び薄い細毛で覆われているという点で特徴的な角であった。少年はただ丘の頂上に立ち、ゆっくりと周囲を見回した。
「……」
地平線には、月が半分顔を出している。地平線をひと舐めするかのように、月は水平方向に動いている。半獣の少年は、その景色をじっとりと眺めていた。砂が風で舞い上がり、彼の肌を掠める。そんなことはもう慣れっこだと言うように、彼は微動だにしなかった。やがて月を見るのも飽きたのか、半獣の子どもは手を腰くらいの高さに広げた。深く息を吐き、息を吸う。己の肺の膨らみを確かめるかのように、長い時間をかけて呼吸を続けた。穏やかだった天候はゆっくりと曇っていく。彼を中心に、小さな雲が出来た様だった。かなりの低速で渦を巻き始めた雲は砂を巻き込み凶暴さを増していく。ただ、今回は嵐とは程遠い出来事であった。風の強さも然程ではない。のこのことトカゲやヘビが紛れ込んでも、くるくるとその場でダンスを踊る程度であろう。半獣は少し試したかったのである。己の力が如何程か。彼は戸惑っていた。訳もわからず砂の真ん中で、空気のベッドに包まれている瞬間が夢ではないことに気づき始めたのである。彼は至って穏やかな心の持ち主であった。自分に起こっている現象がなんであるのか、言語化することも理解することもまだまだ時間がかかりそうであるが、この広すぎる砂漠において孤独である彼はこの上なく暇なのである。どうすればあの状態、いわば柔らかな空気に包まれていっとき孤独を忘れられる瞬間に行き着けるのかを知りたがった。そしてそれを試す時間は無限にあるのだった。ふと記憶が蘇る。これまで何度も経験し、同じ夢ばかりだと思い込んでいたあの砂嵐の中で、一度だけ誰かが訪れた様な気がする。自分ではない第三者が近くにいた気がするのだ。彼は思い出そうと力を緩めた。くるくると彼の周りを回っていた砂達は、さーっと音を立てて着地していく。砂が落ちていく様子は月に照らされ、砂の一粒一粒が月明かりで輝いていた。自分を訪れた何者かを思い出すために、ビデオテープを巻き戻す様に記憶の隅々まで探してゆく。確かにあの時一瞬、目が合った。頭の中で、誰かと目が合った瞬間の記憶が再生される。青い瞳に、銀髪の大きな人間。服装はよく覚えていないが、紛れもなく自分ではない第三者である。そうだ、あの瞬間だけは自分は孤独ではなかった。少年は気づいた。そして嬉しく思った。胸の奥で温かい何かがぽかぽかと迫り上がってくる。それは首を通り頭の中でぱっと花開いた。僕は一人ではない!大声で叫びそうになる。少年は思った。再びあの大きな嵐を起こせば、また人間に会えるのではないかと。しかし何度挑戦しても、彼は自分の意思では小さな風の回転しか起こすことができなかった。その焦ったさに、彼は頬を自ら口の内側で噛んで気を紛らせるしかなかった。風の流れを角先で感じる。その大きな大気の流れはきっとこの砂漠を越えて、どこか遠くの知らない誰かにも届いているのだろうか。もし届いていれば、この砂漠でたった一人の半獣は、一人ではないのかもしれない。壮大な感覚で無理やり孤独を慰めては、今日も一人で空を見上げるのだった。
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