第13話「ウバイドの話」
少年の生まれはといえば、白砂漠のどこかの、馴鹿を飼う遊牧民族のテントだったらしい。しかしながら彼が産まれてすぐの頃にはもう、遊牧生活は終幕を迎えていた。彼が一番古く覚えているのは、薄暗い地下の一室で男兄弟達の出掛ける姿を見送ったことである。彼にはたくさんの兄弟がいた。血が繋がっているのかそうでないのかはよく分からない。ただ、皆似たような髪色であったために恐らく同じ血筋の民族であることは確かなようだ。砂漠の記憶を雄弁に語る兄弟もいれば、ウバイドと同じように砂漠の記憶が全くない者もいた。彼は小さな地下部屋に、他の兄弟と、父親や祖父とされる男性複数人と共に狭苦しく暮らしていた。女性はといえば、とうの昔に回収されてしまったと誰かが言っていた。彼らは週に決められた時間、地上に出ることができた。長い長い地下通路を歩き続け、地上に繋がる長い長い階段を登るのだ。地上に出られるようになるためには、労働できるくらいの体格が無ければならなかった。成長が早く他の子どもよりも背が頭1つ抜けて高かったウバイドは、10歳の時に初めて外へ出た。そして彼は、ランプやライト以外の自然光に触れ、瞳に痛みを感じるのだった。初めて生で見た白砂漠はどこまでも広大で真っ白であり、彼にとっては異世界のような奇妙さを醸すものであった。己の出自がこの地であることを頭では理解しつつ、どこか自分の中では一本境界線が引かれているような、そんなむず痒さを感じた。
それからというもの、彼は肉体労働をこなしつつ訓練を積む毎日であった。日々拡張せねばならない地下通路の土運び、生活排水の工事、中・上流階級向けの建築材の生産。そういった労働をこなしていく中で、暮らしの自由をある程度見極めて行った。そしてそれは彼だけではなく、他の兄弟達も同じであった。年長の、砂漠での生活を知っている者が指導者となり、かつて民族で主流であった狩りの手法、弓矢を広め始めたのだ。地下に押し込められたとはいえ、彼らの血に刻まれた狩りへの情熱と己のアイデンティティは決して根絶やしにできるものではなかったのだろう。監視役である職員の目を盗んでは、弓の指導を行うのだった。そして教えられる立場であったウバイドは、元々の才能もあったのだろう。長きの訓練の末に優れた弓の操り手となった。狙った対象物を外すことはないほどまでにその腕は成長していった。彼の青春は、同じ民族の兄弟達との弓の訓練の中にあった。とある日。彼は初めて街に出向く業務をこなすことになった。倒壊してしまったビルの廃材回収である。今までは砂漠や砂漠に面した地域での仕事がほとんどで、地上の街に出向くなど経験がなかった。やけに緊張したのを覚えている。いつもよりも少しだけ綺麗な作業着を選ぶと、他の作業員と共に列を成して現場に向かった。
作業はいつもと変わらずキツい肉体労働であった。散乱する廃材をひとつひとつ運んでは、大きなトラックの荷台に積んでいく。街並みは、初めは美しく驚いたものの、先導する職員の厳しい指導で眺めに浸る暇はなかった。重い金属の柱、ブロックの塊、何かで壊れたのであろう大きな時計。何人もの作業員と共同で行い、その日は終わった。泊まる場所はなく、現場の冷たい地面で雑魚寝であった。わずかに準備されていた夕食では、硬いパンと生臭いバターが支給された。汗と埃で汚れた体を洗い流すシャワーなど用意されているはずはなく、非常に不快な状態で眠らなければならなかった。他の作業員はそれでも早く眠りについたようであったが、ウバイドは若さと好奇心、そして不快な環境に耐えられず、なかなか眠りにつくことができなかった。監視役の職員がどこかへ消えたのを見計らい、ウバイドは一人その場を抜け出した。散歩である。廃材の積み上がった現場を抜けてすぐ、美しい建物が立ち並ぶ通りに出た。流石に夜中であるために、人の気配は全くしない。灯りがついている建物はほとんどなかった。しかし、昼も夜もあまり変わらない空、青い明るさのおかげで、建物の様子はよく見ることができた。レンガが模様のように敷き詰められた美しい地面に、凝った装飾の施された街灯。窓枠や庇にまで変な渦巻きや線が掘り込まれ、労働者階級のウバイドには理解できないような芸術性を孕む建物達。この景色を一生忘れまいと、ウバイドはしばらくその街並みをじっと見ていた。真っ青な空が照らす景色には、砂漠にはない美麗な摩天楼がその高さを競うように伸びているのだった。
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