第12話「キョンのお話」


 今日も彼方此方で煙が上がるLosers’ Heavenの街角に、元気にスキップをする少年が1人いた。鮮やかな赤だったであろう中華風の服には、汚れがところどころ付着してその色をくすませている。キョンはご機嫌な様子で新しい店を開拓しているのだった。


「おっじゃまっしまーす!!」


 元気よく入店する。その店は、小さな食堂であった。小太りのおやじが厨房で大鍋を振るっている。キョンは自慢の大きな寝癖をぴょんぴょんと弾ませながら、勝手にカウンター席に座った。


「おじちゃん!!俺腹減った!!なんか食えるもんある?」


「…見て分からんか?食堂だぞ!食えるもんしかねぇよお!」


「おお!じゃあじゃあ!この店で一番うんまい料理をくれよ!」


「毎度!」


 小太りの親父はエプロンの紐をぎゅっと縛ると、オーブンの重々しい扉をガバッと開けて何かを入れた。数十分後。キョンは水をちびちびと飲みながら、彼には高すぎるカウンター席の椅子に大人しく座り足をバタつかせていた。


「一丁上がり!」


「うおー!!」


 おやじがドンと、キョンの目の前に大皿を置く。熱々の皿の上には大きな骨付き肉が乗っていた。じゅわっと脂が染み出して、皿に旨味のスープを生み出している。湯気はもくもくと天井に上り、壁紙にまたひとつ匂いを付けた。


「うんまそう!!」


「だろ?」


 両腕を組んだ親父は自慢げにそう答える。


「いっただっきまーす!!」


 大きな口を開け、キョンは無作法に肉にかぶりついた。肉の焦げ目をガリッと噛み、思い切り骨から肉を引き剥がす。見事に噛みちぎられた肉の末端からは、新鮮な肉汁が弾け飛んだ。


「どうだ?うまいか?」


 興味津々におやじは問う。キョンはもぐもぐと口いっぱいに頬張った肉を噛み、ごくりと飲み干した。その喉の音からして、人間にとってはさぞ美味いだろうなと誰でも察せられるほどだった。…すると、みるみるうちにキョンの顔は青ざめていく。ただでさえ薄く緑がかった皮膚のキョンが青くなったのだ。キョンは両手で口を抑えた。


「おい、どうしたんだってんだよ?」


 みるみる顔色を悪くした少年は小刻みに震えた。我慢が効かなかったのであろう。キョンは胃袋に一度収めたペースト状の肉を、思い切り吐き出したのである。飛沫は親父の顔に飛び、彼の嘔吐物はカウンターにべったりと付着した。おやじは血管を額に浮きだたせてぷるぷると震え出す。その顔は般若のように皺皺になり、目玉はぎらりと光った。


「おまえ…よくも吐きやがったな!!」


 キョンの襟首をぐうと掴み持ち上げると、彼の座っていた椅子ががたんと音を立てて倒れた。キョンは混乱で目を白黒させている。嘔吐物をよく見ると、彼の奇妙な胃液が肉と共に出てしまったようだ。蛍光ピンクの彼の胃液は不気味にカウンター席を汚している。ゾンビである彼の胃液は強烈で、一般的な人間の思う胃液とは異なる性質を持っていた。


「この野郎、お前を煮てやろうか!!!…って、なんだあ!?」


 親父は再び大声を出した。それもそのはず、キョンの吐き出した胃液のかかった部分から煙が出ているのである。蛍光ピンクの液体はテーブルを構成する様々な素材を溶かし始めた。キョンの正面のカウンターが消えていき、どす黒い液体の水溜まりが形成されていく。


「ってことは…俺の顔も!?!?」


 親父は勢いよくキョンを床に叩き付けると、急いでトイレに向かった。トイレに付属する洗面台の前に立ち、鏡を見つめる。そこには目をまん丸くした彼の顔と、まるで焼き印をしているかのように黒い斑点にまみれた顔があった。


「ぐあーーーー!」

 

 彼は急いで蛇口をひねると、ざぶざぶと顔を洗う。


「あのー…おじさん、俺…今日金持ってねぇや!!ごめん!!!」


 キョンは大慌てで椅子から飛び降りると、あっという間に食堂を後にした。彼の背後から、食い逃げだとか出禁だとかいう怒号が聞こえてきたが、彼は走ることと、今日の話が広まらないことを祈るのに夢中だった。


***


「…ってことがあったんだよ!その後にブティックに入ったんだけどー」


「も、もういい、分かった、お前はもう気軽に店に入るな」


「そんなこと分かってるやい!!」


キョンはほっぺをぷーっと膨らませる。

 

「…そんなに危険な体液なら、どこかの医者か何かに診てもらった方が良いのではないか?」


「この街に医者なんざいねえよ!普通の唾液とかは大丈夫なんだけど、たまーに色が変な時があって…血とかも色が変な時に触ると危ないんだ。」


「へぇ。自己管理できなくもないということか?」


「じこかんり?できない!!!」


「じゃあだめじゃないか。」


「あ!!」


キョンは思い出したかのように大声で叫んだ。急に叫んだために、ウバイドは肩をビクつかせる。


「なんだ急に。」


「まともじゃない医者ならいるかも!!」


「…はぁ?」


「RyuRyu-Cってやつ!」


「…さっきぼったくりホテルだとかなんとかで話していた人か?」


「そう!!あの人なーんでも知ってるんだ!!ウバイドが言ってた酷い砂嵐の話も、RyuRyu-Cから聞いたんだっけ!」


「へぇ。そうなのか。」


「明日会いに行ってみる!?」


 キョンは思い切り自分が入っていた冷蔵庫の扉を開けると、勢いよく飛び出してウバイドの目の前に登場した。鼻先が触れるか触れないかの位置まで近づき、目を輝かせている。


「ま、まぁ私は別に行っても行かなくとも、どちらでもいいが…」


「じゃあ行く!!!けってーい!!」


 キョンは嬉しそうに膝を曲げたり伸ばしたりして、上下に揺れた。今にも踊り出してしまいそうな勢いである。


「RyuRyu-Cの所にはでっかい冷蔵庫が何台もあるんだ!!!お前が長話して時間を引き伸ばしてくれれば、俺は極楽気分を味わえる!!」


「私が話す前提なのか。」


「いいじゃん!砂嵐のこととか沢山聞けば!お前の探してるバディ…じゃなかった、お仲間の居場所とかももしかしたら知ってるかも知れないぜ!?」


 キョンはいつの間にかウバイドの座っているベッドの上に上がり、ジャンプしている。トランポリンのように跳ねているせいで、布団の埃やダニが宙を舞った。


「…確かに、一理あるな。」


「だろ!?」


 ウバイドの前向きな返答に浮かれたゾンビは、思い切りベッドを踏み台にすると、勢いよく天井にぶつかった。鈍い音がして落下する。天井にはぽっかりと穴が空いていた。


「…はぁ。この宿も出禁になるかもな。」


「そんなあ!!!」


 情けない声をあげて倒れ込む異形の少年の突飛な行動の数々を目の当たりにして逆に冷静さを取り戻せているウバイドは、自身の意外なタフさに感心するのだった。ベッドの上でひっくり返った虫のように両手両足をバタつかせるキョンの振動が、布団越しに伝わってくる。


「んじゃあさ!次はウバイドの番だよ!」


「…ああ、どこから話せばいいのか」


 ウバイドは手を顎に当てると、静かに語り始めた。キョンは暴れるのをやめ、ひょっこりと布団の上に足を組んで座っては興味深く銀髪の青年の顔を覗き込んだ。

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