第6話「歓迎の洗礼」
酒臭い男は、大きなゲップをゲェッと吐き出して口を開いた。
「…あの砂嵐で生還した奴はいねぇってもっぱら噂だったけどよお!どうやらただの噂だって証明されちまったか!ガハハ!若ぇのにどうしたってこの街に来ちまったんだ若造!」
その太い掌がウバイドの肩をバシバシと叩く。あまりの力強さに、ウバイドは少しよろめいた。
「もーおっちゃん!彼は今この街に来たばっかなんだ、それくらいにしてやって!」
キョンはウバイドにも絡みつこうとする男を器用にいなすと、スッと彼から離れた。
「おっちゃん!じゃあねー!またウチの店来てくれよ!ウイスキーボトルまだ残ってんだからさ!」
「お〜金ができ次第顔出すさ〜」
よほどの酒豪なのだろう。足取りはふらふらとしているものの、しっかりと返事はするのだから。その男はキョンにくしゃっと笑いかけると、でっぷりとした腹を前に突き出して左右に揺れながら、人々の背に消えて行った。彼の通った跡は胃酸と酒臭さがなめくじの跡のように空気中に残った。
「…お前さんも大変そうだな」
「へ?なんで?」
「酒飲みの相手をしなきゃいけないんだろう」
「まぁ〜楽ではないな!あの人はここらじゃ有名の酒飲みだからあんな感じだけどよ、ああいう人ばかりじゃないんだぜ?ウチの店Heart Beatの一番の売りはロウ店長の作るおいしい料理!それ目当てに来るお客も多いんだ!」
「なるほどな。」
グゥ〜と呑気な音が鳴る。音の出どころは相変わらずウバイドの腹のようだ。砂漠を放浪して長かったせいか、食事を長らくとっていないことを忘れていた。タイマーのように定期的に鳴るウバイドの腹音。耳の良いキョンは、ウバイドの腹の虫が元気よく鳴いていることにすかさず気がついた。
「おっ!そういえば腹減ってたんだったな!」
「まぁ、少しばかり。」
「うっそつけ!胃が空っぽの音がしたぞ!俺っちの店に来いよ!たーんと、もてなしてあげるからさ!」
「…私は金を持ってないが、大丈夫なのか?」
「げっ…案内代取ろうと思ってたのに!」
「なんだって?」
「な、なんでもない!!俺が言い出しっぺだし、出世払いってことで!」
ウバイドは聞き捨てならないキョンの発言に顔をしかめる。案内代金なんて頭にはなかったが、見知らぬ地で人間に関わるということはそういうことだ。生きていくために誰もかれも必死なのだろう。金を得るためなら、ちょっと小手先をひっかけて後からいくらでも請求できるのだから。キョンは子供ではないと言うし、意外とずる賢い奴なのかもしれないとウバイドは考えた。相変わらず無邪気なふるまいをしているが、油断はならない。
「おーし!Heart Beatにれっつらごー!!」
先程の一悶着などまるで忘れてしまったかのように元気なキョンは、意気揚々と再び歩き出した。人混みも先ほどに比べれば穏やかになっていた。相変わらずの様々な生活臭や生物の臭いが混ざった異臭は、ウバイドの鼻を刺激し続けた。
***
キョンの進む方向は大通りに沿っていて分かりやすい。ウバイドは道なりに並んでいる古絨毯の縁の、汚れた装飾を踏まないように気をつけつつ、さっきよりも大股で歩いた。道ゆく人々は、ウバイドのような身なりを見慣れないのだろう。珍しそうにその白装束をジロジロと見ては、その着衣主が視線に気づくと咄嗟に目を逸らすのであった。彼を連れて歩く赤い少年は絡みつく視線など気にも留めていないように、大袈裟に腕を振りながら市場を楽しそうに闊歩する。ふと空を見上げれば、白砂漠にいた時には深い青に染まっていたはずの天井が、血のように赤い空へと変わっていた。昼も夜もないこの世界で、空の色が変わることはそう多くない。Parlor Voodooはその名の通り、呪術じみた不気味な輩がゾロゾロと集まる場所だと気づいたのは、ウバイド自身が市場を抜けた後だった。賑わいを成り立たせていたのは、キョンのようなゾンビと同類の、彼自身がまだ出会ったことのない異形、異種の存在かもしれないと考えては、まるで夢の中にいるような浮遊感にも近い感覚を肌に感じるのだった。
街角にやってくる。
カタンカラン
重々しい木製の扉に所々表面の剥げたベルがぶつかり、鈍く乾いた音を立てる。扉を開ける細く緑がかった腕はもう何度もその戸を開けてきたのだろう、全て分かり切ったルーティンであるという様子で建物の中へ入っていく。入口を入ってすぐに段差があり、1/3程度低くなっているようだ。木材の床は擦り切れているようだが、照明が薄暗くよく見えない。キョンは大声で誰かに呼びかけると、従業員用の小さな扉へ入って行ってしまった。飲食店であるからして恐らく厨房に向かったのであろう。
「(…思ったよりもしっかりとしたレストランという感じなのだな)」
ウバイドは静まり返るその建物の内装をゆっくりと見回した。
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