第3話「チャーミング」
「君………だぁれ?」
「…それはこっちのセリフだが」
ウバイドは急に砂から出てきな謎の人物に対し、頭が真っ白になっていた。なぜならば、彼はこれまで砂から人が出てくるという現象を経験したことがなかったからである。そして、彼は驚くことにも慣れていなかった。珍しい物事に対して驚愕してはいるものの、持ち前の表情筋の硬さと客観的視点のおかげでつい冷静な言葉が口を出る。
「あぁ……上に座ってしまって申し訳なかった」
「え!いやいや、ぜーんぜん大丈夫!俺、ぴんぴんしてっから!」
先ほどまであれほど怒っていた筈の少年は、急に表情が明るくなり元気よく飛び跳ね始めた。怪我がないことを彼なりに伝えようとしているのだろうか。表情も柔和に変化し、砂を飛び出してきた直後の吊り上がった眉毛はもとからそうであったかのように柔らかい曲線を描いている。少年は人懐っこく口を開いた。
「俺はキョン!はじめまして!」
元気よく名を名乗る少年の目は、物珍しい宝石でも見つけたかのようにキラキラと輝いている。
「…私はウバイドだ。少々道を迷っていてな。」
「ウバイド、よろしくな!迷子なのか!?もっと早く言ってくれよ~!知ってたらあんなに怒鳴ったりしなかったのにさ!最近、知らねーがきんちょが悪戯仕掛けてくるんだ!全く嫌になるぜ。まぁ、こーんな広い白砂漠で迷子じゃない方がおかしいさ。落ち込むなよ。」
「落ち込んではいないが…」
コロコロと変わる表情はまるでそういうおもちゃのようであった。ウバイドが相槌を打つ間もなく、キョンは早口で話し続けている。聞いてもいないような話がポンポンと出てくるので、ウバイドは少し戸惑った。
「それにしても、こんな砂漠を一人で歩いてんのか?すっごいぜ!」
「あ、ありがとう。そういうお前はどうして砂の中になんかいたんだ?」
「俺?ああ、俺ゾンビでさ!」
「ゾ、ゾンビ?」
突拍子もない単語に、更にウバイドは戸惑った。砂から出てきて自分はゾンビだと主張する子供なんて、初めて見たのだ。これまでどんな突飛な冒険をしてきた男たちでも、こんなに変なことを言う奴を誰がまともに相手するだろうか?気が狂っているとでも思われそうな、イカれた発言である。しかし、ウバイドはこの広すぎる白砂漠で唯一出会うことのできた人物である少年を、まともに取り合う他なかった。
「死体とか化け物か何かの…人を食う、ゾンビか?」
「あ、っちがうちがう!俺は誰も食ったり襲ったりしないぜ!」
キョンは手のひらを激しく振り、ウバイドの言葉を否定した。
「元気で綺麗好きでチャーミングなゾンビ!つまり、良いゾンビってこと!怖がらないで~」
「はあ……」
「俺の体って放っておくとじわじわ腐っていくんだ。腐ると何かと不便でさ。匂いも出るし動きは鈍るし、とんでもない!」
「た、大変なんだな」
「だからね、サラッサラでかっぴかぴに乾燥した白砂漠の砂でおいらの体を休ませてるってわけ!キッチンとかで乾燥剤入れとくと調味料とかが腐りにくくなるだろ? それといっしょ!」
「(調味料の類と同じ扱いで良いのか…)」
「って訳で砂に埋まってたんだけども、その上に君が座ってきてさ!いつものガキ達の仕業かと思って怒っちゃったワケ!許してな!」
「あ、ああ。私は気にしていない。私が先に座ったのだからお互い様だ」
「ありがとー!」
弾丸のように話し続ける少年のおかげで、なんとなくではあるが頭の整理ができてきた。だがウバイドは一通りキョンの話を聞いて、変な気分だった。世の中には話を聞いて直接現場に居合わせて頭で理解はできるものの、真に納得はできない現象があるのだと知った。
「そういう君はどうしてこんなところにいるんだよ!好きで迷子になったわけじゃないだろう?」
「ああ……そうだな。」
ウバイドの喉はもう乾燥しきっていて、声を出すのも一苦労だった。自分でも聞いたことがないガラガラ声が自分の首から出てきていることに気づき咳払いをすると、この変な少年に事情を説明しようと再び声帯を震わせた。
「私はとある部隊に所属して白砂漠の探索業務に従事していたんだが…少々嵐に巻き込まれてな。」
「あ!最近話題の砂嵐だろ?俺の知り合いが良く話してるのを聞くぜ!」
「そうなのか?嵐の風に吹き飛ばされて、私は気づけば一人だったのだ。他の仲間とははぐれてしまった。」
「へぇ!仲間探しとは気が合うぜ。俺もBuddyを探してるのさ!」
「…Buddy?」
「そう、バディ!信頼できる仲間って意味さ!」
キョンはやけに爛々とした瞳を輝かせて、ウバイドの目を見つめる。ぼんやりと黄緑色の皮膚に浮き出た血管に、ドクドクと不気味な色の血液が流れている。キョンの不思議な形の寝ぐせは、風船のようにやや膨らんだように思える。
「ほう、それはいいな。私も是非見つけたいものだ。」
「それはそうとお腹すかない?長旅で食べ物もお腹いっぱい食べれていないだろ?」
そうキョンが言い終わらない間に、ウバイドの腹から素直な音色が響き渡った。腹の虫がうずいている。ウバイドは照れもせず、ただ地平線を見つめていた。
「ああ。腹が減ったな。どこかオアシスのような、人の集まっているところはないか?」
「もっちろんあるぜ!俺っちの愛する大好きな街が!うまい飯、新鮮な酒、ちょっと臭い寝床!」
ただでさえ元気でやかましい口調であるにも拘らず、更に声のボリュームを上げたようである。キョンは再び上下に跳ねだした。
「案内するぜ!“Losers’ Heaven”へ」
キョンは大きく腕を上げ、砂漠と空の境界線を指さした。ぼんやり浮かび上がる建物群が、濃い青色の空に蜃気楼の如く立ち上がっている。その様子は不気味なこと、この上なかった。ウバイドは”Losers’ Heaven”という街の名前など、これまで聞いたこともなかった。
「砂漠の果てに、街があるとは……」
キョンは軽い足取りで歩きだす。ウバイドはその不思議な街の存在と、自称ゾンビの不可思議な少年の姿をゆっくりと目で追う。近寄りがたい街の風貌とは反対に人懐っこいキョン。行ってはいけない場所のようであるが、どこか迷い込んでしまいそうな恐ろしさを放っている。その名の通り本当に天国なのだろうか。
「おい、来ないのか?」
キョンのカラッとした呼び声にはっと気が付いて、ウバイドはぼやけた焦点を彼に会わせた。少し鼓動が跳ね上がる。
「あ、ああ。勿論、伺わせてもらうさ」
ウバイドはキョンの進む方向へに歩き出した。この疲労感もそのうち解消されると思えば、街の安全性や不気味さなどどうでも良いような気もした。キョンの動きに従って、砂の表面の埃が舞い上がっている。さっき遭遇した嵐が起きた場所と、今歩いているこの穏やかな気候の砂漠が同じ場所だとは、砂漠に住み慣れていた筈のウバイドでもぎょっとするのだ。”Losers’ Heaven”とはどんな場所なのだろうと想像を膨らませていた。
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