Phase 10

 栞里さんのスマートフォンに電話をかけると、直ぐに繋がった。しかし、担任の教師の自死もあって栞里さんは少し焦っている。それは、電話越しにでも伝わってきた。

「栞里さん、良いかな」

「良いですけど……。藤崎先生が……」

「今は藤崎先生の事は関係ないです」

「そうですよね……。それで、私に何の用でしょうか?」

「今日、緊急の保護者説明会があるそうね」

「確かにあります。ちなみに今日は緊急休校措置を取っているみたいで、私たち生徒は自宅待機をせざるを得ない状態になっています」

「でも、緊急保護者説明会には出てくれるよね?」

「もちろんです。小越さんの為なら私は協力しますよ」

「そうね。その心意気を持っている生徒がいるだけでも、私は嬉しいわ」

「じゃあ、今日の夜、校門で待っています」

「分かりました。では、私はこれで」

 こうして、私は栞里さんとの電話を終えた。栞里さんは、いじめグループのメンバーとして後悔している部分も多いのだろう。だからこそこうやって私に情報提供をして、自分の父親の悪事を暴こうとしていた。それは、自分の父親に対して歯向かう行為でもあるのだけれど、結果的に栞里さんがやっていることが正しいのだろう。そして、緊急保護者説明会を待つ間、私はプロファイリングの最終段階へと入っていた。


 やがて、夕方になる。冬の北海道は午後4時を過ぎるともう暗くなってしまう。その分、明るくなるのは早いのだけれど、私はこの冬の夕暮れ時が昔から嫌いだった。それは、自分が孤独になってしまうという懸念もあったのだろうけど、矢張り心のどこかで闇を抱えていたのかもしれない。そんな事を思いながら、私は星蘭中学校へと向かう。体育館の前には、パトカーとテレビ局のカメラマン、そして週刊誌や新聞の記者までいた。新聞記者は地元の地方紙のみならず、全国紙の記者もいた。それだけ、このいじめ問題が悪い意味で注目されているのだろう。そして、私は音楽室で栞里さんと合流した。

「栞里さん、来てくれたんですね」

「はい。外出禁止令は出ていたんですけど、今日で全てを終わらせると聞いたら、居ても立っても居られないじゃないですか」

「本当に、栞里さんは頼りになる。いじめの当事者だった過去を捨ててまで私の味方になってくれたのは嬉しいです」

「えへへ。それはともかく、プロファイリングの資料を見せて下さい」

「分かっています。これがこの学校に巣食すくう悪性腫瘍の正体です」

 そのプロファイリング資料が吉と出るか凶と出るかは知らないけれども、少なくともこの学校を蝕む悪性のがん細胞は切除できるかもしれない。私はそう思っていた。いじめというのは「悪性の癌細胞」であり、それが積み重なると「悪性腫瘍」になる。

 その腫瘍は厄介なモノで、星蘭中学校や旭川市教育委員会、そして北海道警察という複数の要素が絡み合って、結果として手遅れになってしまう。

 そもそもの話、鈴花ちゃんが自ら命を絶った時点で悪性腫瘍の摘出は手遅れと言っても過言ではないのだけれど、せめて星蘭中学校に巣食う癌細胞だけは切除したい。だからこそ、いじめの当事者である山下栞里という人物を癌細胞の抗体にして、星蘭中学校から癌細胞を切除する。それが今の私の使命だ。私は、なんだか医療ドラマで見かける天才外科医になった気分だった。


 緊急保護者説明会が始まった。相変わらず、保護者による撮影及び録音は禁止されており、テレビ局や新聞といったマスコミも体育館への出入りが出来ない状態になっていた。しかし、私は体育館のステージ裏に忍び込んで、緊急保護者説明会を盗み聞きしていた。

「一連のいじめ問題によるストレスで、2年B組の担任である藤崎夏実が自ら命を絶った。これは学校としてもあってはならない事だ。しかし、我々はいじめ問題に関して沈黙を貫き通したい。これ以上騒ぎになっても困る」

「いじめ問題がクラスの担任にまで波及して自ら命を絶っているんですよ! それでも教育委員会は隠蔽を続けるんでしょうか!」

「教育委員会は今すぐ解体を求める!」

「辞めろ! 辞めろ! 辞めろ!」

 罵詈雑言が飛び交う中で、私はタブレット端末にまとめたプロファイリングを改めて確認していた。このプロファイリングが、全てを終わらせる鍵になるのだから。そして、紛糾する緊急保護者説明会の中で、私はステージ裏から飛び出してきた。

「ちょっと良いでしょうか」

「ぶ、部外者の立ち入りは禁じているはずだぞッ! どうしてステージ裏から出てきたんだッ!」

「そんな事、今は関係ないじゃないですか。私は北海道警察生活安全部少年課の小越瑛美子という相談員です。厳密に言えば、もうすぐ北海道警察から懲戒免職処分を受ける予定になっているんですけどね。それだけ、私は命がけの告発をしようとしているのです。ほら、栞里さん、出てきなさい」

「はい。いじめが発生した2年B組の生徒、山下栞里です。父は山下尊といって、旭川市教育委員会の教育委員長を務めています。父が犯した罪は大罪です。これまでにも自分が気に入らないからという理由で生徒を自主退学させたり、部活で結果が残せなかったからという理由で体罰を強要させたりしていました。その部活はサッカー部で、私の同級生である水島海斗くんが所属していました。それでは、水島海斗くんに話をしてもらいましょうか」

「ここからは、僕、水島海斗が説明します。僕は、星蘭中学校のサッカー部に所属していました。しかし、道大会で結果を残せなかったという理由で顧問から体罰を受けました。この腕の傷痕が、その証拠です」

 私は、水島くんの腕をまじまじと見る。確かに、動物の斑点のような模様が腕に付いていた。恐らく煙草たばこの火による根性焼きだろう。しかし、それが教育委員長の命令だとしたら赦されない。

「サッカー部の顧問は煙草を吸っていて、主将を務めていた僕は何度もその火を腕に押し付けられました。つまり、この傷痕は根性焼きによる傷痕です」

 水島くんの証言で、保護者は一斉にざわつく。当然だろう、星蘭中学校にはいじめ問題だけではなく体罰問題まであったのだから。

「僕も、ストレスのけ口として鈴花さんをいじめるようになりました。いじめは悪いことだと分かってはいたのだけれど、藤崎先生からと言われました。それから、僕は鈴花さんを性的暴力で犯すようになりました。その証拠は、小越さんから見せてもらいましょう」

 水島くんからの言葉を受けて、私はタブレット端末を見せる。当然、そのままじゃ画面は小さいから、プロジェクターに接続して画面を大きくした。スクリーン越しに、下着を脱がされた鈴花ちゃんと、下半身を露出した水島くんの動画が映し出される。この動画は流石にグループチャットでも拡散されておらず、2年B組の生徒の一人が撮影していた動画を提供してもらった。撮影していた生徒によると、体育館の用具室の中で喘ぎ声と悲鳴が聞こえたから隠し撮りをしていたところ、それが猥褻わいせつ行為だった。危機感を覚えた生徒はその動画を旭川東警察署に提出したのだけれど、警察はそれを削除していたらしい。警察の方も、恐らく悪戯いたずらかフェイク動画だと思っていたのだろう。これは旭川東警察署の痛恨のミスと言っても過言ではない。

「こ、これは本当なのかね!?」

「本当です。フェイク動画でもありません。しかし、この動画を通報した生徒はその後いじめを受けて不登校になっています。怒らないから出てきなさい」

「はい……。僕があの猥褻動画を撮影した張本人です。小越さんの方から名前明かさないようにと言われているので、『名無し』とでもしておいて下さい。僕は、バスケットボール部に所属していました。その日の部活が終わって後片付けをしようと思ったら、用具入れの方で声がしていました。最初は学校に迷い込んだ猫の声だと思っていたんですけど、どうも様子が可怪しい。それで、声のする方へと向かったら、水島くんが女の子を犯していました。恐らく、コンドームは着けていないでしょう。犯されていた女の子が、後にいじめで命を落とすことになる綾瀬鈴花さんだとは思ってもいませんでした。あの時僕がもっと早く気付いていれば、鈴花さんは命を落とさなかったのに……」

「名無しさんは何も悪くないわ。悪いのはよ。ほら、出てきなさい、

「は、はい……」

 樽見刑事とは旭川に出向いてからずっと捜査に協力していた関係だけに心苦しい判断だったのだけれど、矢張り北海道警察の本部の職員として告発せざるを得なかった。樽見刑事は、げっそりした顔で体育館のドアを開けてこちらへと向かってきた。

「僕が、旭川東警察署として一連のいじめ問題の証拠隠滅を行っていた張本人です」

「樽見刑事、どうしてあんなことをしたんですか?」

「僕はキャリア上がりの刑事で、いずれは札幌の本部で勤務することも視野に入れていたんですよ。でも、移動距離の関係で旭川東警察署に勤務することにしました。もちろん、キャリア上がりの刑事が田舎町の所轄の刑事として働いている。それは、本来あってはならないことなんですよ。そんな中、僕に本部への昇進のチャンスが巡ってきました」

「それが、星蘭中学校で発生したいじめ問題の解決だったんですね」

「そうです。でも、僕は何もできなかった。それが悔しくて、生徒の一人から提供されていた動画を削除したんです。そして、。実は、鈴花さんから署の方に相談は受けていたんですよ。もちろん、鈴花さんの母親も同席でした。しかし、鈴花さんの母親が『娘が発達障害で、それを理由にいじめられているかもしれない』と発言したところ、署の空気が重くなってきたんです。恐らく『発達障害だったらいじめられて当然』という風潮が、署内にあったのでしょう。それで、僕はそのまま鈴花さんと鈴花さんの母親を門前払いにしてしまいました。だから、あの凍死体の犯人は、僕のようなものです」

「確かに、樽見刑事がしたことはコンプライアンス違反です。しかし、鈴花さんを死に追いやったのは間違いです」

「そ、それはどういうことでしょうか?」

「これが、鈴花さんが遺した最後の手紙です。私が代読します」

 私は、暗い顔で鈴花さんが遺した手紙を読み上げた。正直言って、この手紙を読み上げるのは辛かった。けれども、これが星蘭中学校に巣食う悪性腫瘍への特効薬なのは分かっっていた。だから、私は手紙を読み上げることにした。


【お母さんへ 私、今日死のうと思います。私は、父親がいない中で5年間ずっと暮らしてきました。しかし、離婚してから私の様子が可怪しくなってしまったので、私は精神科へ連れて行かれました。診断の結果、私は『発達障害』と言われました。その時点で生きる価値のない私は死ぬべきだったのだろうけど、お母さんは私を『死にたいという感情』から救ってくれましたね。でも、中学校に入ってからいじめられるようになりました。『鈴花はキチガイ』、『鈴花は特別な子だから、先生からも贔屓されているんだ』、『あんなヤツ、学校に来るなよ』……あの時、私はスマホを持っていなかったから、そんな罵詈雑言を言われているなんて思ってもいませんでした。でも、スマホを買ってもらってからクラスのグループチャットに入ると『来るなよ』とか『ゴミ』とか言われました。それから、クラスの男の子から猥褻な行為を受けるようになったり、仲のいい友達からもシカトされたりするようになりました。そして、あの花火大会の日に私の中で『糸』が切れたような気がします。自慰動画を撮影するように強要されて、仲のいい友達がそれを撮影して、クラスのグループチャット内のみならずネット上でも拡散して、私は学校に行きづらくなりました。お母さんは転校を考えてくれましたけど、結局藤崎先生が取り持ってくれなかったようですね。こんな私、生きる価値ありませんよね。だから、今日死のうと思います。お母さん、生まれてきてごめんなさい。次に生まれ変わるなら、普通の子として生まれてきたいです。14年間、ありがとうございました。さようなら 鈴花】


「これが、鈴花さんが遺した最後の手紙、所謂遺書です。先日自死で亡くなった母親のひかるさんによると、鈴花さんはこの手紙を置いて、マイナス15度の外の中に出ました。表向きは『千聖さんから今日会えないかと連絡があった』とのことですが、本当は死にたかったのでしょう」

「小越さん。それじゃあ、あの飛び込み動画は……」

「あの時、

「でも、動画には千聖さんの手が映っていますよね?」

「恐らく、千聖さんは鈴花さんの自死を止めようとしたのでしょう。しかし、感情的になって鈴花さんに対して『死ね』と口走ってしまった。今日、千聖さんから全てを聞きましたが、彼女は反省しているそうですよ」

「反省しているって、何を反省しているでしょうか? 結果的に千聖さんが鈴花さんに対して『死ね』と言ったことが自死の原因じゃないですか」

「あの時千聖さんが鈴花さんに対して『苦しんで死ね』と言ったのは事実ですが、千聖さんは生理でイライラしていたそうです。だから感情的になった。そして、千聖さんは鈴花さんの背中に手をかけた。恐らくウッペツ川へと落とすためでしょう。しかし、千聖さんは思いとどまって背中を押すのを止めた。それは自分の中に『負い』があったからだと思われます。ただ、残念だったのは千聖さんからの『死ね』という言葉に傷付いて鈴花さんが自ら川の中に飛び込んだことでしょう。千聖さんはその様子を動画で撮影していましたが、スマートフォン片手じゃ何もできない。だから、鈴花さんはそのまま川に流されたのでしょう」

「そうだったんですか……。そんな事も気付けない僕は刑事失格ですね……」

「恐らく、一連のいじめ問題について樽見刑事に対して署の方から処分が下されると思います。今は、処分の内容を待ちましょう」

「警察の人間が出てきたと思ったら、とんだ茶番劇に付き合わされる羽目になった。一体、何がしたいんだッ!」

「この旭川という街に巣食っている悪性腫瘍を、切除しに来ました。もちろん、それは旭川市教育委員会であり、旭川東警察署でもあるんです。もちろん、北海道警察や北海道教育委員会にも問題はあるかもしれないですけど、一番悪いのはなんじゃないでしょうか」

「君、少年課の小越瑛美子と言ったな。私は星蘭中学校の校長、井上篤胤いのうえあつたねだ。今回の件で迷惑をかけてすまなかった。確かに、今回のいじめ問題は私の責任だ。したがって、私はこの学校の校長を辞職したいと思う。それで罪をつぐなえるのなら、それで良いのだが」

「いいえ、それだけで罪を償えるとは思いません。あなたは学校を、先生を、そして生徒を護る存在として校長を務めている訳じゃないですか。そんなあなたが、長根の左団扇ひだりうちわだけで校長にのし上がり、そして星蘭中学校を腐敗させていった。それは紛れもない事実です。残念ながら、あなたに対する誹謗中傷はインターネット上を中心に広がっています。自業自得だと思いますよ」

「そうか……自業自得か……」


 こうして、星蘭中学校のいじめ問題は「星蘭中学校の校長の辞職及び旭川市教育委員会の首脳陣の総辞職」という形で幕を閉じることになった。しかし、それは後味の悪いものでもあった。恐らく、星蘭中学校だけでなく私にも北海道警察から何らかの処分が下るのだろう。


 ――そう思いながら、私は1週間の謹慎きんしんを自主的に行った。

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