Phase 09

 静寂が、辺りを包んでいる。私の荒い息遣いだけが聞こえている。正直、この告発は旭川市教育委員会と北海道教育委員会のみならず、北海道警察生活安全部少年課という自分の所属している部署までをも敵に回すかもしれない。そう思いながら、私は自分の心臓の鼓動を落ち着かせる。そして、全てを話すことにした。

「まず、このチャットログを見てください。これは2年B組のグループチャットです。元々綾瀬鈴花さんはコミュニケーションが苦手な子で、このグループチャットにも顔を出さないような子でした。しかし、とあるゲームをきっかけにプライベートでいじめっ子のリーダーである飯島孝彦くんと付き合うようになりました。しかし、それが全ての間違いでした。孝彦くんが鈴花さんに対して自慰動画を要求したのは花火大会があった日、つまり8月19日の夜で間違いないですね。その時、鈴花さんは安田千聖という同級生と一緒にいたという証言を複数の生徒から聞いています。鈴花さんは花火大会の帰りに千聖さんとはぐれてしまい、その後孝彦くんに捕まっていたと聞きます。ここで問題になるのは、なぜ孝彦くんは鈴花さんをいじめる必要があったのかという話ですが、孝彦くんの友人である水島海斗という人物から聞いたところ、鈴花さんと孝彦くんはゲーム内でトラブルを起こしたそうですね。そのゲームは、最近子供の間で流行っている『チーム制バトルロイヤルゲーム』ですが、夏休みの前日に孝彦くんは鈴花さんと一緒に遊んでいました。しかし、鈴花さんのミスの所為で孝彦くんのチームは敗北、思わずチャットで『死ね』と書いてしまったそうです。それから、孝彦くんは鈴花さんを執拗しつようにいじめるようになり、卑猥な画像を送りつけるように要求したこともあったそうです。それが6月の中旬頃です」

「ここからは私、山下栞里が説明します。先程小越瑛美子さんが言った通り、2年B組の中でいじめが発生するようになったのはちょうど6月の中旬頃です。それから、夏休みに入り、飯島くんは度々鈴花さんと会っていました。しかし、飯島くんは他校の生徒を引き連れており、鈴花さんに対して複数の男子で犯そうとしていました。当然、鈴花さんはその場から逃げ出そうとするんですけど、『逃げ出したかったら1万円を置いていけ』と要求していたそうです。そして、あの花火大会の日がやってきます。花火大会の帰りに、飯島くんは鈴花さんに対して自慰動画を撮影するように脅迫します。当然、鈴花さんは拒否するんですけど、友人である安田千聖さんがその場にやってきたのが全ての間違いでした。飯島くんからの言葉を真に受けた千聖さんは自分のスマホで鈴花さんの自慰動画を撮影。このグループチャットへと送信しました。当然、グループチャットは鈴花さんに対する誹謗中傷の嵐で埋まっていました。それから、誹謗中傷を受けた鈴花さんは不登校気味になりました。そして、鈴花さんは母親の勧めで精神科に行くことになりました。診断結果は『いじめによるPTSD』であり、鈴花さんは他校への転校を検討することになります。しかし、私のお父さんが『鈴花さんを転校させたかったらその動画を消せ』と脅迫してきました。お父さんに言われた私は仕方なく動画を削除せざるを得なかったんですが、正直言って手遅れでした。面白がった一部の生徒がショート動画投稿アプリに鈴花さんの自慰動画を転載していたのです。もちろん、その動画はYouTuberを介して全国へと拡散、学校への爆破予告や誹謗中傷も寄せられるようになりました。そして、全てを知った鈴花さんは友人である千聖さんにウッペツ川から突き落とされて凍死しました」

「し、栞里。それは初耳だッ! どうして私に言わなかったんだッ!」

「だって、ですか」

 私と栞里さんの独白で、事態は紛糾していた。あまりの事態に、撮影禁止と言われていたにもかかわらずスマートフォンで撮影する保護者まで出てきた。その動画はやがてSNS上に拡散されて、星蘭中学校と旭川市教育委員会の闇を暴くことになるのだろう。そう思っていると、私のスマートフォンに着信が入ってきた。着信の主は樽見刑事だった。

「小越さん、保護者説明会は大変な事になっていますね」

「はい。しかし、こうなることは想定済みでした」

「そうですか。それより、資料を色々と調べていたんですけど、どうやら第三者委員会の中には、北海道警察署生活安全部少年課の職員もいたらしいですね。もちろん、小越さんじゃないのは分かっています」

「矢張り、そうでしたか。それで、職員の名前は分かるんですか?」

「分かるも何も、あなたの上司じゃないですか」

 樽見刑事からの言葉に、私の心臓の鼓動が高鳴る。私の上司は中田謙介なかたけんすけというのだけれど、彼はいじめを専門に扱っている「いじめ対策本部」の職員である。しかし、中田先輩が星蘭中学校の一連のいじめ問題の当事者? そんな事、考えたくもない。

「私の上司は、中田謙介という名前ですけど……。そこにいるんですか?」

「登壇していますね」

 前を向いて、登壇者を見る。確かに、中田先輩がそこにいた。そして、私は中田先輩に対して質問を投げかける。

「中田先輩。あなたが、今回のいじめ問題を担当していたのは事実なんですか?」

「ああ、小越相談員か。確かに、今回のいじめ問題を担当していたのは紛れもなく僕だ。しかし、なぜ君がここにいるんだ」

「私はただ単に星蘭中学校と旭川市教育委員会が沈黙を貫き通していたのを所轄の刑事が困っていたから、札幌からわざわざこの旭川まで来ました。それが何か?」

「そうか。なら、いいんだが。余計なことを言うと懲戒免職じゃ済まないって分かってここにいるのか」

「そうですけど。あなた、もしかして旭川市教育委員会のじゃないんですか?」

「な、なぜそれが分かったんだッ!」

「最近、少年課で不自然な帳簿を見かけたんですよ。それも、簿を」

「そ、それだけはやめろおおおおおおおおおおおおおッ!」

「いえ、やめません。私は先輩としてのあなたが赦せないんですから」


 私がその帳簿を見かけたのは、鈴花ちゃんが命を落とす1ヶ月前だった。私の仕事は少年事件の担当だけではなく、事務処理を行うのも立派な仕事である。事実、私は日商簿記2級を持っている。警察官と雖も、矢張り事務処理が出来ないと脱税事件に繋がったり不正受給に繋がったりしてしまう。いくらなんでも、警察官がお金にルーズだと滑稽だ。

「えーっと、これは交際費でいいのかな。それにしても、旭川市立星蘭中学校宛か」

「小越さん、お疲れ様です」

「あっ、先輩。こちらこそお疲れ様です。」

「星蘭中学校といえば、最近いじめが問題になっているそうですね」

「そうなんですか」

「はい。私の元に相談が寄せられているんですけど、いじめ問題が発生しているクラスの担任が僕の同級生なんです」

「へえ。何ていう名前なの」

。結構、優しい人なんですよ。まあ、優しくないと学校の先生は務まりませんが」


 そうか! 藤崎夏実と中田先輩は友人関係なのか! 私は、改めて中田先輩に問いかける。

「あの時、私は気になる領収書を見ました。星蘭中学校宛の領収書なんですが、これは一体どういうことなんでしょうか」

 領収書を見せると、中田先輩は焦りの顔を見せていた。

【領収書 12,000円 但し、交際費として 黒本屋旭川店】

「この領収書、本当はんじゃないでしょうか?」

「そ、そんな事はないッ! 僕はただ単にいじめ問題について藤崎先生から相談を受けていただけだッ!」

「これを見ても、そんな事言えるんでしょうか?」

 私は、とあるスマートフォンの写真を中田先輩に見せる。中田先輩は、焦りの顔を見せいていた。

「ふ、巫山戯ないで下さい!」

 スマートフォンの画面には、藤崎先生にキスをする中田先輩の写真が映っていた。この写真は水島海斗から入手したモノだった。海斗くんは藤崎先生に惚れていたようで、色々と写真を撮影するというストーカーまがいの行為を行っていた。しかし、たまたま黒本屋というチェーン店の居酒屋に藤崎先生と海斗くんが居合わせてしまったのが中田先輩にとっての運の尽きだった。海斗くんは決定的な写真を撮影する。その写真こそが、「藤崎先生に対してセクハラ行為を働こうとする中田先輩」の写真だったのだ。海斗くんから聞き出した情報は少ないモノだったのだが、中田先輩を追い詰める点で言えば証拠としては十分だった。

「小越さん。僕は藤崎先生の事が好きだったんですよ。でも、あの夜に居酒屋で2人がキスをしていたところを見てしまってから藤崎先生に対して失望してしまって。しかし、まさか藤崎先生と付き合っていたのが君の上司だとは思わなかったよ」

「そうですか。先輩にはきつく叱っておきます。領収書といえば、もう一つこういう領収書も見ています」

【領収書 8,000円 但し、宿泊費として ホテルクレオパトラ】

「ホテルクレオパトラ? もしかしてそれって所謂幹線沿いのラブホですよね?」

「矢張り、そうですか。尚更中田先輩にはきつく叱っておく必要がありますね。私の方から言っておきます」

 憶測だが、居酒屋とラブホテルの領収書が同じ日だということを考えると恐らく2人は居酒屋でデートした後にラブホテルへと向かったのだろう。その後の事は、考えただけでも吐き気がする。そもそもの話、中田先輩は妻子持ちと聞いていた。これじゃあゲス不倫にも程があるじゃないか。中田先輩の奥さんと子供が気の毒だ。私は、中田先輩をきつく叱った。

「中田先輩、愛する人を裏切る行為は赦されませんよ」

「そうですか。僕は愛する人を裏切ったことになるんですか」

「あの夜、コンドームを着けてヤっていたかどうかは分からないですけど、もしもその時に妊娠でもしていたら、それこそあなたは下種ゲス野郎じゃないですか」

 私は、中田先輩の頬を叩く。正直、警察署の職員が暴力を振るうなんて赦されざる行為なのだけれど、私はもうどうなっても良かった。どうせ北海道警察は腐っている。北海道警察は、過去にも裏金問題があったと聞いた。地元である以上、地元の警察署に就職するのは当たり前の話なのだけれど、今の私はそれが憎かった。


 ――こんな職場、辞めてやる。


 パニック状態の中で、その日の保護者説明会は強制終了してしまった。私と栞里さんが会場をき回したから当然だろう。しかし、失うモノよりも得るモノの方が多かったのは事実だ。私は、栞里さんと話をする。

「保護者説明会、終わっちゃいましたね」

「力になれなくて、ごめんなさい」

「いいえ、栞里さんは何も悪くないわ。むしろ、悪いのはこの学校よ」

「そうですよね。学校ぐるみでいじめ問題を隠蔽しようとしていたんですから当然ですよね。とてもお父さんに会わせる顔がないけど、このいじめ問題が解決したら、じきに離婚してお母さんの元に引き取られますよね」

「その可能性は十分にあります。だから、そんなに落ち込む必要はないですよ」

「小越さん、ありがとうございます。私は私なりにこの学校の闇を暴いてみせます」

「ですよね。私も、少年課の職員としてこの闇を暴きます。互いに闇を暴いた暁には、またあの喫茶店でコーヒーを飲みましょう。もちろん、この喫茶店での付き合いは交際費として処理しておきますから」

 こうして、栞里さんはその場から去っていった。

「それにしても、まさか教育委員長の娘が告発者になるとは思いませんでしたね」

「私は思っていましたよ? 最初から彼女の事は信頼していましたし」

「そうですか……。それより、中田謙介に関する悪事は暴けたんでしょうか」

「もちろん、暴けました。あのいじめ問題に比べたら、屁でもありませんでしたけど」

「なるほど。あなたの剣幕を聞く限り、中田謙介と藤崎夏実は恋愛関係にあって、おまけにラブホテルでヤっていたと」

「そうなりますね。あんな下種野郎、今すぐにでも懲戒免職処分にしてやりたい」

「まあ、落ち着いて下さい。それはともかく、これからどうしましょう」

「私はとりあえずホテルに戻るよ。暫く暇になりそうだし」

「そうですか」

「まあ、暇になると言っても、第2回保護者説明会は恐らくあるだろうし、そこでケリを付けたいですね」

「さすがは小越さん、かっこいいです」

「あら、そう? そう言ってもらえると嬉しいわ」

「もちろん、おだてている訳じゃないですよ。一人の少年課の職員として羨ましいと思っただけです」

「ですよね。それじゃあ、私はこれで」

 私は、そのままビジネスホテルへと戻っていった。そして、一連のいじめ問題についてのプロファイリングを始めた。ふと、テレビの電源を点ける。テレビでは、ニュース番組で一連のいじめ問題についてコメンテーターが議論を繰り広げていた。最初はコメンテーターも「母親が悪い」という風潮になっていたが、北海道ローカルのテレビ局が保護者説明会の様子を取材していたようで、その様子が全国ネットで放送されると「学校と教育委員会が悪い」という風潮に傾き始めた。結局のところ、テレビが正しいとは思わないし、かといって動画サイトの情報が正しいとは思わない。けれども、何が悪いかを決めるのは、自分自身であると改めて思うことになった。


 眠くなってきたので、ベッドの中に入った。自分の心臓の鼓動が、シーツ越しに伝わってくる。寒い中で命を落とした鈴花ちゃんの事を思うと、こうやって生きているだけでも私は幸せなのかもしれない。そして、夢を見た。夢の中で、鈴花ちゃんと話をしていた。私は遺体越しでしか彼女を見たことが無いのだけれど、とても優しそうな子だと思った。こんな子の命を奪ういじめが、私は赦せない。やがて、視界が真っ白になっていく。夢から覚めるのだろうか。夢から覚める前に、鈴花ちゃんが微笑ほほえんだような気がした。それだけでも、私は嬉しかった。


 目が覚めて、テレビを点ける。そして、私は言葉を失った。

「ニュース速報です。北海道旭川市の星蘭中学校のいじめ問題で、いじめが発生したクラスの担任である藤崎夏実さんが遺体で見つかりました。首に索条痕さくじょうこんがあることから、自死と見られています」

 そんな、馬鹿な。自ら命を絶つことによって、この女はいじめ問題から逃げようとしていたのか。そんな事を思っていると、樽見刑事から電話がかかってきた。

「小越さん! 大変です! 藤崎先生が自ら命を絶ちました!」

「それなら、全国ネットのニュースで現在放送されています」

「矢っ張りそうですか。これでまた、事件は振り出しですね……」

「いいえ、藤崎先生が亡くなったことは事件には直接関係ありません」

「ど、どういうことでしょうか?」

「昨日、一連のいじめ問題のプロファイリングをしていて気付いたんだけど、です」

「じゃあ、黒幕は一体誰なんですか?」

「今はまだそれを話すタイミングではないです。そういえば、先程ニュースで言っていましたが、藤崎先生の自死に関連して、今日の夜から緊急の保護者説明会が行われるようですね」

「そうですか。流石にそれは知りませんでした」

「情報の把握に関して北海道ローカルのニュース番組よりも旭川東警察署のほうが遅いって、可怪しくないでしょうか?」

「そ、それは署長の不手際だと思われます……。とにかく、今日の夜、全てにケリを付けるんでしょうか」

「そうですね。ところで、夢の中で鈴花ちゃんに会ったんですけど、彼女も『がんばれ』って言ってくれましたよ?」

「なるほど。きっと天国から見守っているんでしょう」

 今日の夜、全てにケリを付ける。そう誓った私は、そのまま栞里さんのスマートフォンに電話をした。


 ――絶対に、このいじめ問題を終わらせてやる。

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