Phase 05

 私は、旭川市の教育委員会に娘の相談をすることにした。もちろん用件は「鈴花に対するいじめ問題」だった。

「あなたが、旭川市の教育委員長ですね。娘さんのいじめについての相談に来ました」

「ああ、あの件か。分かっている。こちらで何とかするよ」

「本当ですか!? 話が早いと助かります」

「そうだな。まずは、動画を見せてもらえないか」

「分かりました」

 私は、娘のスマホを教育委員長に見せた。少し惨めだと思いつつも、娘を守るためならどんな手段を使っても構わないと思っていた。

「ほう……」

「それで、何か解決方法は無いんですか?」

「動画をよく見ると、私の娘が映っているな」

「娘?」

「そう、娘だ。娘にはキツく言っておくから、今日はもう帰りなさい」

「あ、ありがとうございます……」

 教育委員長の娘が、いじめの当事者? 正直、そんなこと信じたくなかった。けれども、それが事実だとしたら大問題だ。とりあえず、私の娘にはこの事を黙っておくことにした。


「栞里、そろそろ受験勉強をしたほうが良くないか」

「そんな事勉強しなくても、私は常にテストで90点以上取っていますから」

「しかし、北大を目指しているんだろう? 教育委員長の娘として、矢張りそれなりの高校と大学に行ってもらわないと困るんだ」

「はいはい、分かりました。勉強しまーす」

「そうだ。その心意気だ。ところで、あの動画は削除したのかね?」

「動画?」

「お前が拡散したという卑猥な動画だよ」

「まだ、消していないけど? それがどうしたの?」

「これ以上ウチの仕事を増やしたくないから、動画を消すようにしてほしいんだ」

「そっか。じゃあ、削除するね」

【動画を削除しますか →はい いいえ】

【動画を削除しました】

「私は旭川市教育委員会の教育委員長だ。娘がいじめの当事者だとバレれると大変まずい。変な揉め事を増やされても困るからな」

「はいはーい。これで、お父さんの仕事に傷が入らずに済むね」

「よく出来る娘で助かるよ」

 これで、何もかも「無かったコト」にできた。もちろん、あの母親が再び相談に来ることも視野に入れておかないといけないけれども、今はそんな事を考えている暇はない。仮に、一連のいじめ問題が外部に流出したらいじめの当事者である子供の将来のみならず、我々旭川市教育委員会にも罅が入ることになる。それだけは防がないと。

 翌日。私は再び教育委員会へと向かった。しかし、教育委員長の様子が余所余所よそよそしい。一体何があったのだろう。もしかして、教育委員長の娘のことで何かあったのだろうか。そんな事を聞いても野暮なので、私は直接教育委員長に話をすることにした。

「あの、先日はありがとうございました」

「また君か。帰ってくれ」

「そ、それはどういうことでしょうか!? 私は鈴花のいじめのことで相談に来たのですよ!」

「その件だが、少々都合が悪くなってね。私じゃ相談できなくなった」

「ふ、巫山戯ふざけないで下さい! こちらは娘を守りたい一身で相談に来ているんですよ!」

「しかし、こちらの事情も察してほしい。だから、この件で相談するのはもうナシだ」

「そ、そんな……」

 こうして、私は教育委員会から門前払いを喰らってしまった。それにしても、都合が悪いとはどういうことなんだろうか。確かに、人間都合が悪くなる事はある。しかし、あまりにも唐突すぎて私は困惑してしまった。

「お母さん、顔色が悪いよ?」

「鈴花、よく聞いて。これはあなたを守るための大事な話だから」

「お母さん?」

「実は、鈴花の事を考えてここから転校しようと思って。さっき、教育委員会へと話をしたけれども、門前払いを喰らってしまった。もしかしたら、鈴花いじめの当事者の中に教育委員長の娘がいるかもしれないの。鈴花、教育委員長の娘に対して何か心当たりはない?」

「そう言えば、今のクラスになった時に山下栞里という子が言っていたんだけど、栞里さんの父親がどこかの偉い人っていう話を聞いていた。最初はそんな事どうでも良かったんだけど、もしかしたら教育委員長の娘かもしれない」

「そう。ありがとう。少しでも情報は多いほうが良い。明日、私は転校届を学校に出してくるから。もう少しの辛抱だからね」

「ありがとう、お母さん」

 鈴花を守りたい。その一身のためなら、転校も辞さない構えだった。そして、私は星蘭中学校に対して転校届を出すことにした。

「2年B組の担任、藤崎夏実で間違いないでしょうか? 私は2年B組に在籍している綾瀬鈴花の母親の綾瀬ひかるです」

「ああ、ひかるさん。三者面談の時はお世話になりました。それで、今日はどんなご用でしょうか?」

「突然の話で申し訳ないですが、鈴花さんを転校させたいと思いまして……」

「転校? 確かに、最近鈴花さんが不登校気味なので少し気にかけてはいたのですが……」

「それで、教育委員会に相談しにいったんですよ。そうしたら、門前払いを喰らってしまって……」

「ああ、教育委員会ね。それなら、私も情報を聞いているわ」

「そうですよね。どうせ藤崎先生は子供の味方ですもんね。そして、

「そ、そんな事はありませんよ。もちろん、いじめは許されざる行為ですが、それによって生徒の将来にきずがつくと困ります。それに、星蘭中学校がっこうの信頼の失墜に繋がったらこまるじゃないですか」

「学校の先生が、私利私欲のために動いていたんですかッ!」

「もう帰ってください! 私には関係ない話ですから!」

 そうやって藤崎先生と揉め事を起こしている時だった。警察から緊急の電話がかかってきた。

「藤崎先生! 旭川東警察署から電話です!」

「け、警察が私に何の用でしょうか?」

「とにかく出て下さい!」

「わ、分かりました……」

「もしもし。星蘭中学校の2年B組の担任である藤崎夏実です。警察が私に何の用でしょうか」

「ウッペツ川の橋梁きょうりょうに、お宅の生徒の生徒手帳が落ちていました。もしかしたら、誰かが川に飛び込んだ可能性が高いと思います」

「生徒手帳には、なんと書いてあったんですか?」

「それが……『2年B組 綾瀬鈴花』と書いてありました」

「えっ……」

 その言葉に、藤崎先生は動揺している。もし娘の命がこんなところで絶たれたら、それこそさいの河原だ。私は、早まる心臓の鼓動を落ち着けつつ、藤崎先生の話を聞き続けることにした。

「それで、鈴花さんは見つかったんですか?」

「いえ、現在川で捜索をしているんですけど見つかりません」

「そうですか……見つかったら早急に教えて下さい」

「分かりました」

「藤崎先生、大丈夫でしょうか……?」

「いえ、自分の生徒がこんなところで命を絶たれると、それこそ教師として瑕がつきます! でも、今は警察からの連絡を待ちましょう」

「そうですよね。その方が正しいと思います」

 こうして、私と藤崎先生は警察からの連絡を待つことにした。


 数時間後。再び警察から電話がかかってきた。

「もしもし。鈴花さんが見つかったんですか?」

「はい。見つかりました。ただし、見つかりました」

「そ、そんな……」

「う、嘘でしょ……」

 私と藤崎先生は、警察からの悲痛な電話に沈黙してしまった。娘が凍った状態で見つかった?そしてもうこの世にいない? そんな事、信じられないし、信じたくもない。どうして、こんなことになったのだろうか。もしも時が戻せるのなら、生きていた娘に会いたい。そう思いながら、私は鳴り響くパトカーのサイレンを聞いていた。

 突然千聖ちゃんから呼び出された私は、ウッペツ川のほとりへと向かった。北海道の川といえば石狩川が有名だけど、ウッペツ川は石狩川の支流ではなく旧流にある川とされている。それにしても、こんな時間に千聖ちゃんから呼び出されるなんて、何があったんだろう。もしかしたら、いじめに対する謝罪なのだろうか。もしも千聖ちゃんだけでも私の事を許してくれたら、それは嬉しかったのだけれど。

「鈴花ちゃん、来てくれたのね」

「うん。千聖ちゃんからチャットもらっていたから」

「今日はね、鈴花ちゃんにいじめのことで謝ろうと思って」

 これは何かの罠かもしれない。そう思いつつも、私は鈴花ちゃんと川の畔で話をすることにした。

「鈴花ちゃん、花火大会の事は覚えてる?」

「もちろん。悪い意味で覚えているよ。孝彦くんに暴力を振るわれて、何か得体の知れないモノを下着の上に当てられた。そして、その時の動画を千聖ちゃんが撮影して、クラスのグループチャットに拡散した。それから、私の人生は狂い始めた。みんなからいじめを受けるようになって、千聖ちゃんですら私の事をいじめるようになった。でも、どうして今更千聖ちゃんが謝りに来てくれたのかよく分からない」

「あの時動画を撮影したのは正直って申し訳なかったと思っている。私も孝彦くんに脅されていたから。でも、まさかあそこまで拡散されるとは思っていなかった、スマホって、あんなに怖いモノだったんだなって」

「私の苦しみ、分かってくれた?」

「そうだね、分かった。じゃあ、そのまま苦しんで死ねッ!」

「きゃああああああああああああああっ!」

「あとは、この動画を拡散してと……」

 私は、千聖ちゃんに背中を押されて川の中に突き落とされた。川の水は冷たくて、今にも躰が凍りそうだった。溺れそうになっていた私は、命からがら川の近くの公園へと向かった。でも、躰の感覚は既に壊死えししていた。


 お母さん、ごめん。私はもうこの世にいちゃいけない存在なんだ。犯されて、自慰行為をネット上に晒されて、それで友達からの信頼も失った。クラスの男子から暴行を受けて、青痣が瞼の下にできている。こんな顔、他の子に見せられないよ。もちろん、自傷行為をしたこともあった。けれども、私の心の傷は癒やされるどころか深くなるばかり。神様、こんな私でも、天国に行けますよね。

 寒い。この時期の夜は、外に出ちゃいけないって聞いていた。でも、苦しまずに死ねるのなら本望だ。どうせ誰も私に気付いちゃいない。吹雪で視界が白くなる。手足が凍っていく。もう、手足の感覚なんて無いに等しいんだけど、辛うじて動かすことはできる。できれば、もう少し目立たないところで死にたい。だから、私は公園の遊具のトンネルの中に入った。心臓の鼓動が遅くなる。視界が、ぼやけて見える。天使が、私の元に舞い降りてくる。


 ――こんな私でも、天国に行けるんだ。

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