Phase 02

 北海道という大地はひたすら広い。札幌から旭川まで130キロメートルもかかってしまうぐらいだ。私は本州の土地勘が良く分からないのだけれど、本州に換算すると東京から静岡県の中間ぐらいだろうか。そんな事を思いながら、ひたすらパトカーを走らせる。札幌勤務の私にとってはちょっとした小旅行かもしれない。2時間ぐらい走らせると、ようやく旭川の街が見えてきた。

 連絡をもらっていた旭川東警察署に行くと、先程の電話の声の主とおぼしき刑事が入口で待っていた。

「小越さん、お疲れ様です。僕が旭川東警察署の刑事の樽見正晴です」

「そうですか。改めて紹介しておくと、北海道警察生活安全部少年課の小越瑛美子です。こちらこそ、よろしくお願いします」

 樽見正晴と名乗る刑事は、私と同じぐらいの年齢だっただろうか。整った髪に、丸い顔。声はハキハキとしていて、とても聞き取りやすいと思った。私は少年課の職員にも関わらず、同僚の警官からよく「君は声が暗い」と言われてしまうので、正直樽見刑事が羨ましいと思ってしまった。そう思いながら、私は署内へと入っていく。旭川東警察署は札幌にある警察本部と違ってこぢんまりとした印象を感じた。しかし、例の事故の影響からか、少しピリピリとした空気を感じていたのは事実だ。

「とりあえず、これが今回の事故による遺体の写真です。制服を着た状態で亡くなっており、校章から星蘭中学校であることは明らかです。一応、星蘭中学校の方にも連絡を取っているのですが、いじめ問題の発覚を恐れているのか電話が繋がりません。これは少年課の方から何か言ってもらったほうが良いのではないのでしょうか」

「そうですね。私が直接声をかけてみたほうが良いでしょう。早速、星蘭中学校まで案内してもらえないでしょうか」

「分かりました。それと、万が一の場合にはしばらくの間小越さんには旭川こちらに滞在してもらうことになります」

「それぐらい、今回の事故が厄介とでも言いたいのでしょうか?」

「それは……正直僕にもわからないです」

「ですよね」

 私はパトカーに乗せられる。基本的に、今回の事故の捜査の主導権を握っているのは少年課ではなく旭川東警察署なので、私は付添人と言ったところだろうか。星蘭中学校は閑静な住宅街にあり、とても事件が発生するとは思えない場所にあった。私は、中学校の門を潜る。少年課として小学校や中学校におもむくことはよくあることだけれども、矢張りこの瞬間が一番緊張する。そして、私と樽見刑事は職員室へと案内された。

「僕は、旭川東警察署の刑事、樽見正晴です」

「私は北海道警察生活安全部少年課の小越瑛美子と申します」

「少年課の職員ならともかく、なぜ刑事がこんなところに用があるのかね」

「この遺体の生徒について、心当たりが無いかと思いましてずっとそちらの方に連絡していました。しかし、一方に返事がないので少年課の職員と共にこちらの方から来ました。その方が、言い逃れも出来ないでしょうし」

「そうか。なら仕方ない。少年課がいるから話すが、その遺体はウチの生徒で間違いない」

「そうですか。名前やクラス等も教えてもらうと幸いです」

「名前は綾瀬鈴花あやせすずか。クラスは2年B組だ。2年B組の担任は藤崎夏実ふじさきなつみという。詳しいことは、そこのデスクにいる彼女に聞いてみるんだな」

「分かりました」

 教頭先生の言葉を元に、私は2年生のデスクへと向かった。黒縁の眼鏡にポニーテール。清楚せいそな女教師が、うつむいて座っている。

「あの、あなたが2年B組の担任である藤崎夏実さんで間違いないでしょうか?」

「はい……そうですけど……私に何の用ですか?」

「私は北海道警察生活安全部少年課の小越瑛美子です。一度、綾瀬鈴花さんの担任であるあなたとお話がしたいと思いまして……」

「あの遺体の件でしょ。私が話すことなんて何もないわ。詳しいことは、2年B組の生徒たちに聞いてみて」

「生徒をまとめ上げる存在である教師が、生徒の遺体について黙るんですか?」

「放っておいてよッ! 私は何も関係ないって言ってるじゃないのッ!」

 どうやら、藤崎夏実は激昂げきこうしているようだ。デスクを激しく叩いて怒りに震えていた。

「小越さん、これ以上聞いても無駄だ。ここは彼女の言う通り2年B組で事情聴取をすべきだ」

「ですね。樽見刑事の言う通りにします」

 こうして、私と樽見刑事は2年B組へと向かった。2年B組は、とてもいじめがあるような雰囲気ではなかった。もしかしたら、クラス全体がグルになって「何か」を隠している可能性が高かったのだけれども、今の自分にはそんな事は関係なかった。しかし、私はとある「異変」に気づく。教室の片隅に置かれた机の上に、一輪の花が挿された花瓶が置いてあった。恐らく、綾瀬鈴花の机で間違いないだろう。私は、花瓶が置かれたテーブルを見渡した。思わず、目を覆いたくなるような落書きが、油性ペンでそこに書かれていた。「死ね」「殺す」「泥棒猫」「バカ」「うんこ」「肉便器」「ビッチ」……中学生の落書きにしては、少し陰湿なオーラをあの机から感じた。もしかしたら、いじめがあったのは紛れもない事実かもしれない。とりあえず、私は学級委員長と思しき赤縁眼鏡の女生徒から話を聞くことにした。

「君が、学級委員長かな?」

「そうですけど……。どちら様?」

「ああ。僕は旭川東警察署の樽見正晴という刑事だ。隣にいる女性が、生活安全部少年課の小越瑛美子という職員だ。とりあえず、君から話せることを小越さんに話してほしい」

「私の口から話せることは色々あるけれども、ここじゃ場所が悪い。近くに喫茶店があるから、そこで詳しい話をしませんか?」

「まあ、この場所じゃいじめの首謀者にも情報が漏れ出す危険性が高いからね。君の判断は正しいと思うよ。では、放課後に改めて校門の前で待っているから」

「分かりました」

 学級委員長と名乗る女生徒は、とてもいじめをするような生徒には見えなかった。むしろ、優等生的なオーラをかもし出していた。もしかしたら、彼女は貴重な情報源になるかもしれない。そんな事を思いつつ、私と樽見刑事は放課後を待つことにした。

 数時間後。放課後のチャイムが鳴った。恐らく、あの学級委員長もこちらへ向かってくるだろう。そんな事を考えていると、学級委員長がこちらへ向かってきた。

「あの、さっきの刑事さんですよね。私の名前は山下栞里やましたしおりと言います。星蘭中学生の2年B組の学級委員長をやっています」

「改めての紹介になってしまうけど、僕が旭川東警察署の樽見正晴だ」

「私は北海道警察生活安全部少年課の小越瑛美子です。山下栞里というのですね。よろしくお願いします」

「こちらこそ、よろしくお願いします。早速だけど、近くの喫茶店に行きましょうか。本来なら私たち星蘭中学生の生徒だけでの入店は禁じられているけれども、刑事さんたちがいたら大丈夫ですよね」

「そうですね。学校に対して情報が漏れる心配もありませんし、良い提案だと思います」

 こうして、私は樽見刑事、そして山下栞里と共に中学校の近くの喫茶店へと入っていった。店内は、昔ながらの喫茶店といった感じであり、コーヒーのいい匂いが立ち込めている。私はその匂いにつられて、とりあえずコーヒーを注文した。

「それで、2年B組でいじめがあったっていうのは事実なんですか?」

「はい。確かにいじめがありました。ターゲットが綾瀬鈴花さんだったことも知っています。最初は男子が鈴花さんのペンを取り上げるという悪戯いたずらだけだったんですけど、次第にいじめはエスカレートしていって、男子生徒は強姦紛いのことや自慰行為の強要などをさせられていました。もちろん、暴行も受けていました」

「なるほど。じゃあ、動画サイト上にリークされていた動画も事実であると?」

「えっ、あの動画がネット上に拡散されているんですか!?」

 山下栞里は、冷や汗をかいて動揺している。もしかしたら、彼女もいじめグループとして綾瀬鈴花をいじめていた可能性が高いのかもしれない。でも、今はそんな事よりも学級委員長としての山下栞里に話を聞く必要がある。私は、話題を変えた。

「少し気まずい雰囲気になっているから、話題を変えます。実際、綾瀬鈴花さんってどういう生徒だったんですか?」

「大人しくて真面目。よく言えば優等生。悪く言えば地味というか、そんな子でした。私は小学校の時から彼女を知っているのですが、どうやら父親がいない家庭で育っているようで、随分ずいぶんと苦労されていると聞きました」

「そうですか。今から、鈴花さんの家に行っても良いでしょうか?」

「多分、大丈夫だと思いますけど……」

「では、今から僕たちは鈴花さんの家へと行ってきます」

「ですよね。私に聞くよりも直接当事者に聞いたほうが早いですもんね。今日はありがとうございました」

「いえいえ、こちらこそ」

 

 ――山下栞里は、嘘を吐いているのではないのか?

 

 私はそう思いながら、喫茶店を後にした。そして、山下栞里からもらった情報を元に綾瀬鈴花の家へと向かっていった。

 綾瀬鈴花の家は小さなアパートの2階の部屋だった。恐らく、母親がここにいるのだろう。私は、ドアのチャイムを鳴らした。

「すみません。北海道警察生活安全部少年課の小越瑛美子と申します。綾瀬鈴花さんの母親はいらっしゃいますでしょうか?」

「はい……私が綾瀬鈴花の母親、綾瀬ひかるです。一体警察が何の用でしょうか?」

 ドアを開けると、綾瀬鈴花の母親が出てきた。矢張り、母親は酷くやつれていた。娘をうしなったことによって心身共に深い傷を負っているのだろうと思った。私は、綾瀬ひかると名乗る母親と話をすることにした。

「娘さんのことでお聞きしたいのですが……」

「す、鈴花ならとっくにあの世に行っているわよッ! 出ていってッ!」

 当然だけど、ひかるさんはパニック状態に陥っている。警察が来たのだから当然だろう。気の毒だとは思いつつも、私は話を続けた。

「ひかるさん、お気持ちは分かりますが、少し私たちの話に付き合ってもらえないでしょうか? あの晩、一体何があったのでしょうか?」

「あの晩って、鈴花が死ぬ前の夜のことですか?」

「そうです。鈴花さんの遺体が見つかったのが今朝けさ。鑑識課による死亡推定時刻の判断が明朝みょうちょうの午前4時頃ですから、鈴花さんが外を出てから遺体として発見されるまで、約6時間もの間が空いていることになります。ですので、昨日の夜に何があったのかだけでも教えてもらえると有り難いのですが……」

「仕方ないわね。全部話すわよ。昨日の夜、私は外出していた。もちろん、鈴花には『仕事があるから外出する』と連絡してあった。でも、鈴花は様子が可怪おかしかった。なんというか、壊れた人形のような、そんな顔をしていたのは確かよ」

「ひかるさんは、鈴花さんが学校でいじめられている事をご存知でしたか」

「そんな様子はありませんでしたけど……。でも、最近鈴花の様子が変だったのは少し気になっていました。鈴花は絵を描くのがとても好きで、中学校でも美術部に所属していました。可愛い作風で、時折私の絵を描いたりもしてくれていた。でも、最近鈴花の描く絵が少し怖いというか、何か可怪しかったんですよ」

「どんな感じでしょうか?」

「まあ、なんというか……妖怪のような絵を描くことが多かったんですよ。そして、絵の隅に『死にたい』とか『もうダメ』とか、何かそういう言葉が走り書きされていたんです」

「その絵、見せてもらってもよろしいでしょうか?」

「スケッチブックは残してあるし、良いですけど……」

 私は、ひかるさんから鈴花さんが遺したスケッチブックを見せてもらうことにした。確かに、可愛い絵が多いのだけれど、「ある時期」を境に作風はどんどん暗くなっていく。そして、ひかるさんが言っていた通りスケッチブックの隅には「死にたい」とか「ごめんなさい」とか、そういう走り書きがされていた。

「児童相談所には相談したんですか?」

「相談はしていません。もしかして、私を児童虐待の当事者として疑ったりしていないでしょうね? 私は鈴花を虐待したことがありません。寧ろ、離婚した父親が鈴花を殴ったり蹴ったりしていました」

「離婚の時期はいつぐらいでしょうか?」

「今から5年前ぐらいです。結婚して子供を授かったうちは幸せだったんですけど、十数年前に起こったリーマンショックを境に父親は会社を辞めざるを得なかったんです。そして、だんだん父親からのDVが酷くなってきて、鈴花が被害に遭うことも度々ありました。小学生になって少しは父親も変わってくれると思ったんですけど、矢っ張り変わりませんでした。そして、鈴花が9歳の時に離婚を決意して今に至ります」

「そうでしたか。随分と辛かったでしょうね……」

「だから、私は鈴花を殺したりはしていません。分かってくれますでしょうか」

「その気持ちは分かりました。では、改めて話しますが、最近の鈴花さんの学校での様子とかは話してくれていたんでしょうか?」

「言われてみれば、学校での話はあまりしていなかった気がします。その時点で私も気づくべきだったんでしょうけど、いかんせん仕事が忙しすぎて……」

「スマートフォンとかはどうでしょうか?」

「そう言えば、娘のスマホとかはあまり気にしていなかったです。一応遺品として遺してありますので、良ければチャットログとか見てもらえないでしょうか?」

「分かりました」

 こうして、私はひかるさんから鈴花さんのスマートフォンを見せてもらうことにした。ちなみに、ロックこそかかっていたけど案の定誕生日が暗証番号だったので直ぐに解除できた。

「今どき中学生でもスマホ持つんですね」

「当然です。札幌でも中高生によるスマートフォン関連のトラブルはよく相談される事が多いんですけど、大体が『スマホいじめ』だったり『卑猥ひわいな動画の拡散によるリベンジポルノ』だったりします」

「そうですか……」

「小中学生にスマートフォンの正しい使い方をレクチャーするのも我々少年課の仕事ですからね。それでも矢っ張り親や教師からの相談は絶えないんですけど」

「なんだか、小越さんといると勉強になることが多いです。僕はキャリア上がりの刑事ですから、そういう世俗には疎いんですよ」

「なるほどねぇ。北海道警察でキャリア上がりだったら、札幌に配属されても良いはずなのに、どうしてこんなところを選んだんですか?」

「僕、実家が旭川なんですよ。だから、少しでも近い勤務先が良いなって思って。特に北海道は広いですからね」

「それはともかく、チャットログを見てみましょうか」

「ですね。故人には少し悪いですけど、見せてもらいましょう」

 そんな事を言いながら、私は鈴花さんのスマートフォンのチャットログを見ることにした。チャットログは、いかにも今どきの中学生といった感じであり、特に友人と思しき少女とのやり取りが微笑ましいと思った。しかし、「2年B組」と書かれたグループチャットを開いた瞬間、私の背筋は凍りついた。


 ――そこに書いてあったのは、とても中学生のチャットとは思えない内容だった。

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