第2話 運命を変えろ!
午後六時五十分。
僕は三辻空音さんが交通事故で命を落とす現場で彼女がやってくるのを待っていた。
十分前からポツポツと降りだしていた雨は、あっという間に本降りになり、アスファルトを叩きつけて煙っていた。
「傘、持ってくればよかった」
雨が降ると分かっているのに、焦るあまり傘を忘れてしまっていた。
おかげでプールに落ちたかのようにずぶ濡れだ。
五月末とはいえこの時間は冷える。
ましてやずぶ濡れなので、凍えそうだった。
今からでも傘を買いに行こうかと思ったが、その間に空音さんが来たら取り返しがつかない。
七時半頃に事故が起きたと聞いていたが、正確な時間までは知らなかった。
七時半とは事故発生時間なのか、救急車が来た時間なのか、はたまた彼女が命を落とした時間なのか……
空音さんの命を救うためなら、寒いくらい我慢出来る。
「空音さんはまだ来ないか……」
事故現場は十字路の交差点だ。
どの方向から空音さんが来るか分からない。
だから常に四方向を注意深く見る必要があった。
ただでさえ街頭が少なく見通しが聞かない上に大雨で視界が最悪だ。
ちなみに事故は猛スピードで走ってきた車がスリップして歩道に突っ込むというものである。
つまりこの場所で見つけては遅いのだ。
その手前で捕まえ、この交差点に近付けないようにしなければならなかった。
顔にかかる雨を手で拭いながら必死に空音さんを探す。
行き交う人に不振がられながらずぶ濡れになること三十分。
「あっ!」
遂に空音さんがやって来た。
僕は慌てて駆け寄る。
「空音さんっ!」
「え? 佐伯くん? どうしたの!? ずぶ濡れだよ!?」
「空音さんを待ってたんだよ」
「私を?」
空音さんはビックリした顔で僕を見る。
そりゃそうだろう。
たいして会話したことないクラスメイトが、ずぶ濡れになりながら待ち構えていたのだから。
「お誕生日、おめでとう。これを渡したくて」
鞄からプレゼントを渡す。
ちなみに鞄の中も雨でびちゃびちゃだった。
「私の誕生日、知ってたんだ! ありがとう」
ずぶ濡れ待ち伏せという不審者丸出しの僕なのに、空音さんは嬉しそうに喜んでくれる。
屈託なくて明るい彼女の性格に強く惹かれていたことを思い出す。
「開けていい?」
「どうぞ」
中を見て空音さんは目を丸くして驚き、次の瞬間大笑いする。
「これ、折り畳み傘じゃない! 傘持ってるならさせばいいのに!」
「いや、それはプレゼントだから」
「あははは! 佐伯くんって、すごく笑いのセンスあるんだ」
別に狙った訳じゃないけど、結果として笑ってもらえてよかった。
こんなにすんなり渡せて、しかも喜んでもらえるなら一周目から渡しておけばよかった。
今更ながらに後悔する。
「ありがとね。佐伯くんずぶ濡れだから傘かしてあげる」
そう言って彼女は自分がさしてきた方の傘を渡してきて、自分は僕がプレゼントした方の傘をさす。
「いや、今さら傘さしても意味ないからいいよ」
「それもそっか。でも、ほら。雨降ってるのに傘さしてないと変だから」
空音さんは僕に傘を握らせ、交差点の方へと駆け出す。
「あ、ちょっと待って!」
「ごめん。いま急いでるの。また明日ね! プレゼントありがとう! 大切にするね」
「そっちに行かないで!」
交差点に行っては駄目だ。
僕は慌てて追いかける。
その瞬間──
キキキキーッッ!!
交差点に猛スピードの車が突入してきて、水溜まりでタイヤを滑らせる。
「危ないっ!」
無我夢中で空音さんの手を握り引っ張る。
ブレーキ音を響かせながら、車が横滑りしていた。
僕は彼女を抱き締めて安全な方へとダイブする。
「きゃああああぁっ!」
空音さんの悲鳴、衝突する車の音、ガラスが割れる音。そして焦げ臭い香り。
激しい音が止んでから立ち上がる。
車は電信柱に衝突して止まっていた。
「大丈夫、空音さん」
「う、うん。ありがとう、佐伯くん」
「怪我はない?」
「うん。佐伯くんが守ってくれたから」
「よかった……」
安堵のあまり、その場に座り込む。
もはや雨に打たれるのなんてどうでもよくなっていた。
三辻空音さんは、死なずに済んだ。
ずっと心を悩ませていた不幸を回避することが出来た。
「きゃっ!? 佐伯くん、脚から血が出てるよ」
「ん? ああ、こんなの擦り傷だから大丈夫だよ」
「だめ! ちゃんと治療するからうちにきて!」
「いやいや。本当にどうってことないから」
「怪我人なんだから言うこと聞きなさい」
空音さんもずぶ濡れだ。
Tシャツがピタッと肌に密着してちょっと気まずい格好だった。
「歩ける?」
「うん。問題ない」
「うちは近くだから」
断れそうもないのでそのままお言葉に甘えて彼女の家へと向かった。
ご両親は娘がいきなりずぶ濡れの男を連れて帰ってきたのでビックリしていた。
当然のリアクションだ。
空音さんが事情を説明すると、こちらが恐縮するほどご両親は感謝してきた。
取り敢えず風邪を引く前にお風呂に入るように言われる。
空音さんが毎日入っているお風呂かと思うと、三十過ぎの癖にドキドキしてしまった。
まあ今は二周目の十六歳なんだけれど。
「佐伯くん、湯加減どう?」
「わっ!? 空音さんっ……」
お風呂のすりガラスの向こうに空音さんのシルエットが映り、慌てて湯槽に浸かる。
「お父さんの服だけど置いておくから。着替えてね」
「悪いよ、そんなの」
「濡れた服に着替えたら意味ないでしょ」
ガラス戸の向こうで空音さんが笑う。
本当に何度聞いても心地よい笑い声だ。
お言葉に甘えておじさんの服に着替えさせてもらう。
その後、たいした傷じゃないのに空音さんは丁寧に手当てしてくれた。
「はい、完成」
「ありがとう」
顔を上げてニコッと微笑むと、空音さんのミドルボブの黒髪が揺れた。
尊い彼女の命を守れたことがなんだかとても誇らしかった。
────────────────────
初恋の人の命を守れた佐伯くん。
そしてちゃっかりと空音さんの家に上がり込む。
一周目にはなかった青春の幕開けです!
未来を変えたくないのに人命救助なんてして大丈夫なのでしょうか?
次回、さっそく運命の歯車は大きく動き出します!
お楽しみに!
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