第22話:合理的な犠牲

 アスカの協力が得られたのなら、この最悪な状況から抜け出せるのでは、ないかとこの時、ささやかな希望を抱いていたのは、事実だ。しかし、こちらが不利であるのは、変りない。たとえ、最強のアンドロイドが側に居たとしても彼女は、サイボーグである翔太を止める事ができない。こんな不利な状況で俺は…………。 まず最初にしなければならない事、それは、置き去りになっている茜を安全な場所まで退避させる事だ。俺は、茜がとり残されているだろう13番倉庫へと戻って来ていた。アスカは、倉庫の前で見張り役をかってくれた。倉庫の中へ足を踏み入れると予想どおり、茜は、まだ気を失ったままで倉庫のほぼ中心の位置で倒れていた。茜を抱き起こそうとして、俺は、自分の右腕が折れている事を思い出した。


「うっ……」


右腕を動かそうとすれば激痛が走る。しかし、なんとか左腕だけで茜の身体を自分の肩に抱えあげる事ができた。茜の体重は、それほど重くはない。それは、片腕だけで茜の抱えなければならい俺にとっては、救いだった。だが長時間茜を抱えられていられる体力は、俺にはそう残されていない。意を決して茜を抱えたまま、倉庫の出口に向かうと何か凄まじい衝撃音が聞こえてきた。


ズド~ン


「なっ……」


倉庫の入口の前では、翔太とアスカが戦っていたのだ。いや、正確には、翔太のとんでもない破壊力の攻撃をアスカは、かわしているだけ。アスカからは、一度も攻撃を加えていない。ただ、ひたすら紙一重で翔太の攻撃をアスカは、かわしていた。やはりそうなのか。アスカは、人を殺す事ができない。もし、人を殺す意志もって攻撃を行えば、身体の機能が停止してしまうのだとアスカは、言っていた。だから、ひたすら翔太の繰り出す攻撃をかわすしか手がないのだ。


 だが、これでは、いずれ翔太の攻撃がアスカを捕らえるのは、時間の問題だ。翔太の攻撃は、サイボーグ化した鋼鉄の腕を大きく振り回すだけだが、その破壊力は、見る者を驚愕させる。周りにある材木やら、コンクリートの壁は、少しかすっただけでも砕け、千切れ飛んでいく。そんな大降りな翔太の攻撃をアスカは、冷静に見切ってかわしている。しかし、あの破壊力は、一撃でも貰えば、致命的になりかねない。破壊力だけなら、アスカの攻撃力を上回っているのではないだろうか。


「オイ! アスカ、もういい。逃げるぞ!!」


俺がそう叫ぶとアスカは、チラリと目だけを動かしてこちらを見る。その隙をついて、翔太の右拳が狙いすましたように唸りをあげてアスカに襲い掛かる。だが、それさえも見切っている様子でアスカは、スラリと紙一重で翔太の右拳をかわした。


「クソォォォォォ!!! 何故だ!! 何故かわされるぅぅぅ!?」


翔太は、自分の攻撃がことごとくかわせれた事に逆上しているようだ。そして、翔太は、自分の視線をアスカから茜を抱えている俺に移しニヤリと笑みを浮かべた。翔太は、クルリと身体の向きを俺の方へ向けるとアスカを振り切って走り出した。どうやら、翔太は、標的をアスカから俺に切り替えたらしい。先に俺を殺すつもりなのだろう。


「チッ……」


俺は、舌打ちを鳴らして迫り来る翔太を睨みつけた。茜を肩に抱えている以上、素早く動けるはずもなく、ただ近づいて来る翔太の姿を眺めているしかなかった。アスカは、そんな翔太の行動を見て「シマッタ」とばかりに追いかけるように走りだした。翔太の走る速度は、人間の限界を超えたスピードだが、それ以上にアスカのスピードは、俺の常識を超える速度だった。アスカは、翔太の横をすり抜けてあっと言う間に俺の目前に現れた。


「……」

「逃げるぞ……しっかりとつかまっておけ」


アスカは、そう言って茜を右肩に抱え、俺の身体を左肩に軽々と抱え上げた。


「オイ、アスカ」


俺のその声を聞く間もなくアスカは、そのまま飛び上がった。最初は、普通にジャンプをしたのだと思った。しかし、下を見て俺は、それがたたのジャンプでは、無いと気がついた。余裕に6階建てのビルの高さを越える程の高いジャンプだった。


「燐、覚悟してくれ」

「……覚悟……だと?」

「この高さからの着地は、かなりの衝撃になる」


アスカのその言葉は、当然だと思った。ビル6階以上の高さから落下するようなものだ。普通なら、その衝撃で即死してしまう高さである。


「茜の事は、心配するな。衝撃は、伝わらないようにする。だが、問題は、燐の方だ。燐の方が体重が少し重い。なるべく、衝撃は逃がすつもりでいるが……完全ではない。骨の2、3本折れるからもしれん」

「まったく、後先なしに飛び上がりやがって……これ以上、骨折はかんべん願いたかったんだが」

「すまない……燐」

「あやまる必要はない。それしか方法がなかったんだろ?」

「ああ……」


落下と言うのは、それほどなまやさしいモノではない。落ちる高さが高いほど、その落下時の衝撃が大きくなっていく。重力加速度によって、落下する時間が長いほど落下する速度は、加速していく。風が……空気が……実体の無いはずのものが実体を形成する。そんなヌルリとしたものが呼吸する度に入り込んできて、むせかえりそうになる。とてもまともな呼吸なんて出来なかった。


ドン


と、激しい衝撃と共にアスカは、着地を行った。


「うぐぅ!!」


俺の全身の骨が軋むしょうな衝撃。バキバキと胸の肋骨が何本か折れたようだ。


「大丈夫か? 燐」

「うっ……くそ……すげぇ、痛い」


俺がそう呟くとアスカは、俺と茜を身体をユックリと地面に下ろす。そして、後ろを確認するように振り向くとガクリと右膝を地面に落とした。そんなアスカの姿を見て俺は、焦って口を開く。


「アスカ、お前……何処か壊れたのか?」

「大丈夫だ。燐、これぐらいで壊れたりしない」


アスカに平然とそう答えられては、俺は、黙るしかなかった。俺は、うつ伏せに這いつくばったまま少し全身の筋肉に力を入れてみる。


「クッ……」


ほんの少しの力だと言うのに身体中から激しい痛みを伝えてくる。骨折、打ち身、捻挫、裂傷……そんな身体中のケガが一斉に俺に襲い掛かってくるようだ。これでは、まともに歩く事もできない。まして、茜を連れて逃げる事など……。


「そろそろ、本当に覚悟を決める時が来たかもな」

「覚悟……だと?」


俺の言葉に素早く反応するようにアスカは、そう聞いてきた。


「ああ、俺はもうこれ以上動けない。アスカ、お前は……茜を連れて逃げろ」

「何を……言っている?」

「翔太は……あいつは、……俺を殺すまで止まらない」


俺がそう言うとアスカは、ツカツカと近づいてきて俺の身体を掴み力づくで引き上げた。アスカは、俺のむなぐらを掴んだまま俺を睨みつける。


「アスカ、俺を置いていけと……言っているんだ」

「燐、正気なのか? 置いて行けば、お前は殺されるのだぞ?」

「このままでは、3人とも翔太にやられる。俺一人の犠牲で茜とアスカが助かるんだ!!」

「私にお前を犠牲にしろと言うのか?」


その通りだと頷いて見せるとアスカは、とても悲しそうな顔を見せた。今まで見た事のない悲しい顔だった。だが、こうするしか……この現状で一番ベターな選択だと俺は、思っていた。


「合理的な判断だろ? アンドロイドのお前になら、それが理解できるはすだ」

「ああ、だが……その様な事は、二度と言うな! 私は、燐も茜も助けたい。犠牲になるのは、アンドロイドの私一人でいい」

アスカは、怒ったように言うと掴んでいた俺の服を離した。

「何言って……オイ!? アスカ?」


アスカは、俺に背を向けて俺達に迫り来る翔太の姿を睨みつけていた。


「燐、逃げろ。命ある限り逃げるのだ、燐」

「……」


身体が動かない?


嘘だ。そんな事は、無い。だが、動かせば激痛が俺を襲う。ただ、それだけの事だ。動かないはずはない。動くのだ。痛みは、我慢すればいい。俺は、気合を入れ直して、立ち上がる。


「クッ……グォォォォォ!!」


やはり、動かすだけで身体中の痛みが俺に襲い掛かってきた。だが、それを堪えて立ち上がる。生き残る為には、そうしなければならい。


「クソ……クソ……クソ」


朦朧としはじめる意識を繋ぎとめ、茜の身体を左手で抱えあげる。茜の右腕を俺の首の後ろの回して無理やり歩かせる。これなら、動ける。だか、走る事なんてできない。歩く事が精一杯だ。アスカは、俺達を背に迫り来る翔太の方へと走りだした。しかし、アスカは、どうするつもりなんだ。アスカの身体は、翔太と交差する所で、くの字に折り曲がった。翔太が繰り出した右拳がアスカの腹あたりに潜りこんでいたのだ。


「ハッハハハハハ!!!!」


翔太は、叫んだ。翔太は、そのまま右拳を振り上げる。アスカの身体は、翔太の右拳と共に宙へと舞った。これから、どうなるのだろう。俺と茜、アスカの運命は、もう予測できない所まできていた。生き残りたい。その思いとアスカの言葉が俺の心を奮い立たせ、動かない身体を動かす事ができた。アスカは、翔太に何をしようとしたのだろうか。現実は、あまりにも厳しく……俺達の心を蝕んでいく。

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