第23話:契約
どうして、翔太は……あれほどの殺意を俺に向けるのだろうか。確かに翔太は、俺を恨んでいるのだろう。しかし、だからと言って今まで今日ほどの殺意を向けられた事は無かった。もしかして、翔太は、アル・デュークにその殺意さえも操られているのでは、ないだろうか。アスカの身体が宙を舞った。それは、俺にとって信じられない事だった。あのアル・デュークのアンドロイドに対して無敵を誇ったアスカがそう簡単に翔太の攻撃を喰らうはずが無いと思っていたのだ。翔太の突き上げられた拳と共に宙を舞ったアスカの身体は、弧を描き吹き飛ぶとそのまま地面に叩きつけられて、ゴロゴロを俺の目の前まで転がってきた。
「オイ!! アスカ!?」
俺がそう叫ぶと、アスカの身体は、何事も無かったようにムクリと起き上がった。いや、何事も無かったはずはないのだ。アスカの腹には、真っ赤な血がセーラー服に滲み出ていた。それだけに留まらず、アスカの足元には真っ赤な血溜りが出来ていた。アスカは、腹を押さえるがその血は、止まる気配すら見せずに流れ続けている。
「アスカ、大丈夫なのか?」
「気にするな。ただの擬似血液だ。私は、アンドロイドだから気にする必要は、ない」
アスカは、平然とそう言って、流れ出る血液が邪魔だと言わんばかりに右手で拭い取ろうとする。俺は、ふと翔太の方に視線を向けた。そのままの勢いでこちらに攻めてくると思ったが、翔太は、荒い呼吸を繰り返し今までの素早い動きとは、うって変わりノソリと鈍重な動きでこちらに向かってくる。あれほどの人間離れした動きを繰り返していて息が上がらないはずかないのだ。たとえ、サイボーグ手術を受けていたとしても生身の部分が存在するかぎり何時か息が切れる時がくる。翔太のあの鈍重な動きは、まさにそれを示しているのでは、ないだろうか。これは、チャンスかもしれない。
「アスカ……動けるか?」
「ああ」
「走れるか?」
「問題ない」
「今のうちに逃げるぞ」
「燐? 今逃げたところで……」
アスカは、納得できない様子でそう言葉を返してきた。アスカの言いたい事は、解る。だが……。
「態勢を立て直すには、逃げるしかない。今は、少しでも時間が欲しい」
「燐……解った」
アスカは、頷くと茜と俺を肩に抱え上げて走りだした。俺は、何も言わなかったがアスカは、理解していたのだろう。俺が一歩を歩くたびに全身の痛みに耐えないといけない事を。だから、何も言わずに俺と茜をその肩に抱え走りだしたのだ。
「アスカ? 走りながらでいい。俺の質問に答えてくれ」
俺がそう言うろアスカは、目だけを動かして俺の顔を見る。
「どうして、あの時……自分から翔太の拳を受けたんだ?」
「……違う。あの時……私は、あの者を殺そうと思った。燐、お前を助けるには、それしかないと……そう思ったのだ」
「……」
「だが……身体が動かなかったのだ。やはり、私の意志とは、別の処で規制が掛かるようだ」
「まったく、よくそんな無茶を……」
アスカがこれほどの無茶をするとは、思って居なかった。アスカは、俺と茜を護る為に自分が行動不能になる事を覚悟して、翔太に一撃を与えるつもりだったのだろう。しかし、その前にアスカの身体が硬直してしまったと言うのだ。それほどまでにセムリアが定めた「人間を殺しては、ならない」と言うルールは、強制力を持っているらしい。それは、確かにアスカは、翔太を攻撃できないと言う証明であり、アスカでは、奴を止める事が不可能である事がハッキリしたのである。ならば、人間である俺が翔太を止めるしかないのだろうか。サイボーグ化手術を受けた翔太に俺の攻撃が届くとも思えない。まして、この負傷した身体で生身の翔太でさえ勝てるとは、考えられない。絶対絶命とは、こう言う事を言うのだろうか。何か勝算があればいいのだが、今の状況を考えみても……とても勝てるアイデアなんて思い浮かばない。
「アスカ、他に翔太を止める方法は、思いつかないか?」
俺は、少しの可能性でもすがり付くようにアスカに聞いてみた。
「……」
「何か……良いアイデアでもあれば……」
「一つだけ、方法がある…………」
アスカのその言葉は、俺には意外だった。確かに俺がアスカにアイデアの提供を求めたのだが、そんなに直ぐに出てくるとは、思っても居なかったのだ。
翔太の追跡を振り切ったところで、立ち並ぶ倉庫の影に俺達は、身を潜めて居た。
「燐、あの者の追跡から振り切ったが……それも一時的なものだ。……見つかるのも時間の問題だ」
アスカは、真っ青な顔色でそう告げた。アスカの顔色が悪い。おそらく、血を流しすぎたのだろう。いや、今もアスカの腹部から擬似血液は、流れ続けている。まるで、全ての血液が出てしまうまで止まらない勢いだ。擬似血液の出血は、アンドロイドであるアスカには、命取りにならないとはいえ何か機能的な事に影響を与えているのかもしれない。
「解ってる。……さっき、アスカは、翔太を止める方法が一つだけあると言ったな?」
「ああ、だがそれは……あまりお勧めできるものではない」
「それでも方法が存在するのなら……聞かせてくれ」
俺がそう言うとアスカは、諦めたように頷いた。
「燐、私は、観測用アンドロイドだ。人間達の生活や文化を観察する為に作られた」
「……」
「人間の文化を観察するには、人間社会に溶け込み、人間と同じような生活を行い、人間と同じような価値観を持つ事が一番なのだ」
「それは、そうだろうが……」
「セムリアは、人類にとって異星人。文化も違うし考え方も違う。セムリアは、人間の倫理や価値観が理解できない。人間の文化を観測する私がセムリアの価値観で動く事は、あまり意味がない。人間の道徳、価値観を学び取らなくてはならない」
「……それが翔太を止める方法と……どう関係があるんだ?」
「最後まで聞け! 私はな……燐を仮のマスターとして人間の道徳や価値観を学び取っていたのだ。私のようなアンドロイドには、一人の人間を……自分のマスターに選ぶ機能が存在する。それは、人間の文化に適合する為にある機能だ。人間の道徳、価値観をそのマスターから学んでいくのだ」
「……」
「我々アンドロイドにとって、マスターの命令は、絶対だ。人間を殺しては、いけないと言うルールを超えて、マスターの命令を実行する事ができる。マスターが人を殺せと言えば、私は、人を殺せるのだ」
アスカは、少し悲しそうな顔を俺に向けて言った。人を殺す事ができるだと。つまり、俺がアスカのマスターと言うやつになり、命令すれば翔太を殺す事ができるのだと言うのだ。
「それで俺を……マスターに?」
「だが、私は、そんな事を燐に強制するつもりは無い。私のマスターになると言う事は、セムリアの尖兵になると言う事だ。燐……お前は、人類を裏切る事になるのだ」
人類を裏切るなんて、大げさな話だと思った。だが、セムリアの尖兵になると言う事は、セムリアの命令に絶対服従すると言う事だろうか。セムリアは、人類に友好的だと言うが。
「それしか方法がないと言うのなら、俺は、お前のマスターとやらになってやる」
「燐、よく考えろ。私のマスターになれば、もう後戻りはできない。ここで死んだ方が良かったと後悔するかもしれない」
「そんな……こと。セムリアは、人類に友好的なんだろ?」
「友好的であると言うだけだ。人類の味方ではない。セムリアも目的の為に手段を選ばないのは、アル・デュークと同じだ」
アスカは、真剣な表情でもう一度考え直せと俺に迫る。セムリアは、人類の味方ではない。その言葉が俺の心にズッシリと重くのしかかる。そんなセムリアの尖兵になると言う事は、もしもの事態に俺は……人類を裏切る事になると言うのだろう。しかし、この状況で茜やアスカの命を護るには、それしか方法がないじゃないか。俺は、人類を裏切る事ができるだろうか。
「アスカ、それでも俺は……」
「燐、いいのか? 私は、一生お前の側を離れないぞ」
アスカは、一歩踏み出して俺に近づく。
「ああ」
「燐、お前は、人でありながら人では無くなってしまう……それでも?」
「望むところだ」
「燐、お前は……人類を裏切る事になっても後悔しないか?」
アスカは、さらに一歩踏み出して俺の胸に軽く右手を添えた。
「俺は……茜とアスカ……お前を助けたい。人類を裏切る事になっても俺に出来る事があるのなら、なってやる。アスカ、お前のマスターとやらになってやる!!」
俺がそう言った時、アスカは、とても悲しそうな表情で俺の身体を労わるように仰向けに地面に寝かしつけた。そして、仰向けになった俺の身体に馬乗りになるようにアスカは跨った。俺の腹あたりに腰をおろして、アスカは、上から俺の顔を覗き見る。腹を圧迫された事で折れた肋骨あたりに激痛がはしる。それでも俺は、その痛みを堪えて……今アスカの行動になるがままになっていた。
「燐……これは、私がお前をマスターと認める為の契約だ」
「何をするつもりだ?」
「怖がる事は、無い。直ぐに済む」
「……」
アスカは、俺の頭を両手で押さえ込むと顔を近づけてきた。もう少しでお互いの唇が触れ合う距離で
「燐、本当にいいんだな?」
と、アスカは、念を押す。
「ああ、覚悟はできている」
今だにアスカの腹から止む事の無い擬似血液が俺の全身を濡らしていく。そして、俺の唇は、アスカの唇に塞がれた。一瞬……何が起こったのかと思った。いきなりキスをされるとは、思ってもなかったのだ。しかし、アスカのその行為は、それだけに留まらなかった。アスカの口の中から何か硬いモノが押し込まれてきた。アスカの舌がそれを俺の口の中に押し込もうとする。俺は、突然の事にそれから逃げようとしたが強い力で俺の頭は、押さえ付けられたまま身動きすらとれなかった。俺は、その硬い物質を飲み込むしかなかったのだ。
「うっ……」
ゴクンと飲み込んだ事を確認するとアスカは、俺の頭を押さえつけたいた手を離し顔を上げた。
「なっ……何を飲ませた?」
「契約だ。それは、お前の胃壁に定着する。セムリアを裏切れば、それは毒素となってお前の身体を内側から焼きつくのだ」
「クソ、そう言う事かよ」
アスカが俺に飲ませたものそれは、セムリアの尖兵として強制するものだ。裏切れば、即死させられる……良く出来たシステムだ。
だがこれで……俺は。
「燐、契約は成立した。これよりお前は、私のマスターだ。さあ、私に命令しろ。あの者を倒せと、私にお前の心の叫びを聞かせてくれ!!」
アスカは、叫ぶ。アスカは、俺の命令一つで翔太を殺す事できる。俺は、この日……この時、アスカのマスターになったのだ。擬似血液の鉄臭い淀みの中で俺は、アスカと契約した。例え、人類を裏切る事になっても俺は、茜とアスカを護りたかったのだ。
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