第21話 イライジャ
……。
……。
どのくらいの時間が経ったのだろう。悔しさ、悲しみから、頭の中は少しづつ前に向き始めていた。これが私の強みなのかもしれない。
この世界に転移して、皆より少しだけ大人なのだ。気持ちの切り替えは、以前より少しだけ早い気がする。
とはいえ、自分では全然子供だなあと感じるけど。ハンナにも甘えてばかりだしね。
――よし。どうすればいいか考えよう。
「へえ。もう立ち直り始めてる?」
え!?
突然の声に後ろを振り向けば、一人の男子が教室の窓辺座っていた。座ると言っても膝を曲げ、細い窓枠に踵を上げ、つま先だけでその体勢を維持していた。まるで鳥が枝に止まっているかのようだ。
窓から入ってきたのだろうか、男の長い藤色の髪が風に吹かれて揺れていた。
「だ、だれ!?」
「ああ、ごめんよ、驚かしてしまったね」
「お、驚くわよ……。だってここ、二階よ?」
「ふふ。泣いて、怒って、驚いて。表情が豊かだね」
「あ、貴方ずっと見ていたの?」
「まあね、殿下があんな顔してやってきたと思ったら、今度は君が。それは誰だって興味が湧くでしょ?」
「し、信じられない……」
眼の前の男もこの学院の生徒なのだろう。ただ、その胸に付けられたバッジの色は私達とは違う。たしか、あの色は三年生か。
それにしたって趣味が悪い。しかも殿下の話を盗み聞きだなんて。それにそんなのがバレたら大変なことになる。
いや、そんな事より誰なのだ? この男の人は。私は警戒しながら男に問いただす。
「貴方は? 名前を言いなさい」
「うんうん。良いねえ」
「よっ良くないわよっ!」
「ははは。イライジャ。イライジャ・ブルーノート。よろしくね。ウィノリタ様」
「ブルーノート……。なんで貴方がっ!」
そう。なんで、イライジャが……。ここに?
いや、同じ学院に居るのだから居るのは別におかしい話ではないが……。
イライジャ・ブルーノート。小説ではヒロインのエリーゼを支える登場人物の一人だ。しかも、その役柄的には殿下にとっての恋のライバルとなる。許嫁が居る殿下の前で必死に恋心を押し殺すエリーゼに、自分の家に来ないかと誘う。
そして、ブルーノート家は我が家と同じ侯爵家でもあり、我がアンバーストーン家と対立する派閥を率いる家柄だった。
悪役令嬢の断罪イベントでは、そういった背景でブルーノート家も動いた。
つまり、私にとっては警戒すべき敵キャラの一人なのだ。そんな人物がなぜ……。
「それにしても、聞いていたのと随分違うじゃないか」
「なんのことかしら……」
「殿下とは相思相愛と聞いていたけどね。パーティーでも素晴らしいダンスを見せたらしいじゃないか」
「あ、あれは……」
「サクラだろ? それでも二人のダンスは素晴らしかったと、その話は僕の学年にまで届いているよ」
「そ、そんな噂話……」
「やっぱり許嫁は破棄するんだ」
「なっ」
――そこまで聞いていたの?
許嫁の解消は私と殿下と二人だけの秘密だ。これはまずい。
「お願いです。その話、誰にも……」
「分かってるよ。ま、うちの親が聞けば大喜びだろうけどね」
「本当にお願い!」
「ふふ。殿下の関わってることを早々人にしゃべれない。だろ?」
「あっ……」
確かにそうだ。私がホッとした顔をしたのを見たのだろう、イライジャは意地の悪そうな笑いを顔に浮かべる。
う……。
この男は実は小説を読んでいるときから嫌いなキャラだ。悪い人じゃないし、イライジャのおかげでエリーゼが救われるシーンだってある。
だけど、こいつは殿下からエリーゼを奪おうと、色々な手を使い二人の邪魔をする。
勿論本人としては、ストーリー上エリーゼが王子と結ばれる可能性も少なかったのもあり、このまま王子に恋をしていてもエリーゼが不幸になるだけだという気持ちで居たのはわかるが。
二人の恋を応援していた立場としては頂けない。
いずれにしても私とは敵対する立場の人間だ。やっぱりあまり相手をしないほうが良いのだろう。
私はくるっと踵を返し、教室から出ていこうとする。だが、イライジャはすぐに私の前に回り込み、行く手を阻む。
「……なんでしょうか?」
「せっかくだからさ、ちょっと話でもしようよ」
「私は、お話することなんてございません」
「そう? なんか悩んでいるんじゃない? 先輩が相談に乗ってあげるって」
「初めてお会いした先輩に相談するようなことはありません」
私はきっぱりと拒絶をする。対抗派閥の侯爵家の子息だ。あまりスキを見せるわけにもいかない。
だが、イライジャは涼し気に微笑みながら手を広げて、おいでよ、とでも言うような素振りを見せる。
「食堂でお友達が待っていますので……」
「大丈夫。殿下に呼ばれたのなら戻ってこないことも想定しているって」
「そんな事……。いいからもう放っておいてください」
「寂しいこと言わないでよ」
「私はちっとも寂しくありません。貴方は何故そんなに私に構うのですか?」
本当にしつこい……。何でしょうこの男は。
段々と語気も強くなり、先輩に話すには強すぎる口調で私は問う。
そして、それを聞いたイライジャは、にっこり笑い、悪魔のような一言を口にした。
「だって。こんな美人があんな悲しそうな顔をしてさ。男として放っておける?」
「なっ……。な、な、な、なんてことを!」
「そうかい? 涙を貯めた絶世の美少女。その憂いを湛えた横顔、俺の人生でぶっちぎりで一番の美しさだよ」
「わ、私は殿下の許嫁ですよっ!」
そう、父親やハンナからは美人だ美人だと言われることはあっても、殿下の許嫁という立場になった私に、そういった褒め言葉を並べる男子など現れた試しはない。
それは当然だ。今の私は殿下の予約した商品のようなものだ。それに手を伸ばす事など不敬な事として見られる。
「それがどうした? 美しいものを美しいという。ただそれだけの事だよ」
それなのに、目の前の男は、さも当然のように美しいと言い放つ。
――なんなの!
なんだかとても恥ずかしくなった私は、顔を真赤にしてイライジャを睨みつけ強引に教室から出ていく。そこを引き際と考えたのだろう、今度は私の前を塞ぐことはしなかった。
ただ、教室から出ていく私に後ろから一声かける。
「また、会おうね」
私は返事をすること無く教室のドアを閉めた。
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