第19話 ベッツィ

 ベッツィが出ていった後も、私はあまりのことに頭がついていけず、洗面所でしばらく呆然としていた。そのため、教室に戻ったときにはもう、次の授業が始まる直前だった。

 先生に頭をさげ、そっと教室の後ろの方へ行くと、アマリアが気づかわしげにこちらを見る。


「大丈夫か? 顔色が少し悪いくないか?」

「ごめん大丈夫。ちょっと授業に遅れそうだったから走っちゃって」


 本当に私はアマリアに心配ばかりかけている気になってしまう。ここのところ誤魔化してばかりだ。



 ふう……。


 駄目ね、色々と頭が整理できない。ベッツィは何を言いたかったのだろうか。エリーゼはもちろん良い子だ。そんな事は私のほうが分かってる自負はある。そして、エリーゼにも優しくしているつもりだ。


 昨日だって謝罪に来たエリーゼとお茶会だってした。完全に歓迎の気持ちでだ。まあ本人はあまり楽しそうでは無かったけど。嫌なことをしたつもりはない。


 でもあのベッツィの言葉を考えると、私が何かをしているとしか思えない。


 うーん。……訳が分からなくて頭がどうにかなりそう。


 私は両手をこめかみに当ててグリグリとマッサージをする。目を閉じ。何かを忘れていないかと考える。考える。考える……。


 ……あれ。


 食堂のイベントってどんなんだったっけ。


 足を引っ掛けられて。転んだエリーゼを殿下が優しく立ち上がらせてくれる。うん。そういうイベントだ。足を引っ掛けたモブの子が殿下に睨まれて真っ青になるんだ。


 ……それだけ、だった?


 全てじゃないが、イジメの裏には大抵悪役令嬢が居たはずだ。でも、今回は私は指示もしてないし。テリーとドリューは多分大丈夫なはずだ。


 少しずつ記憶とともに嫌な予感が首をもたげる。


「アマリア。そう言えば昨日。エリーゼの足を引っ掛けた子、分かる?」

「ん? ああ。ジャクリーヌって言ったかな?」

「ジャクリーヌ……。性は分かるかしら?」

「いや、ちょっとそこまでは。ごめん」


 ……ジャクリーヌ。もしかししたら手紙が来ていたかも。でも、覚えていないわ。テリー達なら分かるのかしら……。


 私は前に座る二人に、後ろからそっと声をかける。


「テリー。ちょっと良いかしら?」

「大丈夫です。なんでしょうか」


 実際は授業中なので、あまり話をするのはどうかと思うが。今はそれどころじゃない。私から話しかけられたテリーは小声で何かと聞いてくる。


「その、ジャクリーヌさんって知ってるかしら?」

「ジャクリーヌ様、ですか? 当然知っていますよ」

「当然なの? ……えっと。どこの方かしら?」

「何言っているんですか。ジャクリーヌ様は、ルドバーン伯爵令嬢ですよ?」

「ルドバーン……!」


 ルドバーン伯爵。間違いない。


 ジャクリーヌ・ルドバーン。彼女も我がアンバーストーン家の寄り子の一人だった。



 ……。


 同じ寄り子と言っても、テリーやドリューとは違う。二人の家はアンバーストーン侯爵領内で私の父の配下の貴族として領地の管理を手伝う家だ。貴族ではあるが自分の領地を持たない寄り子である。


 一方で、ルドバーン家はれっきとした領地を持つ伯爵家だ。

 王国内の貴族はそれぞれ派閥があり、実は一枚岩ではない。そのうちの一つの派閥の頭首が私の父、アンバーストーン侯爵であり、その派閥の配下の貴族の一つとしてルドバーンがある。


 つまりだ。ジャクリーヌ・ルドバーンは、寄り親の令嬢である私の手足の一つとして認識されてしまう可能性があるということ。いや、実際に入学式のパーティーでのダンス。そして授業で殿下が近くに座ること。そういった状況を見ていれば、殿下に近寄る平民に対して、より攻撃的になるのは当然なのかもしれない。


「ああ……」


 私は思わず机に突っ伏してしまう。


「ど、どうした?」

「アマリア……。寄り子の娘が、イジメをした場合。寄り親の娘に責任はあるのかな?」

「な、なんのことだ?」

「ジャクリーヌさんの事……」

「もしかしてアンバーストーン侯爵の派閥なのか?」


 アマリアの言葉に私は力なくうなずいた。


 甘かった。テリーとドリューさえ押さえれば大丈夫だと思ってた。

 小説ではどうだったか。ベッツィがトイレの個室に入っている時に、悪役令嬢の仲間たちが何か悪いことを話していたのを聞いてしまうシーンはあったが……。正直どのイベントでの話かはよく覚えていない。


 しかもそれがテリーとドリューの二人だった場合は、そこは回避出来るつもりでいる。だが私の話したことのない生徒までは無理だ。


 ただでさえ身分による格差の大きいこの世界で、あれだけの美貌と頭脳、そして殿下から気に入られているという環境で、エリーゼにヘイトが集まるのは避け難い。


 そして、それを行動として動く時、私と面識が無い人たちでさえ、「許嫁であるウィノリタ嬢に失礼」というのを盾に動くことも容易に予想できる。


 まずい……。


 知らないうちに私の悪役令嬢レベルが上っていきそうな予感がする。このままだと私の不幸フラグまで立ちかねない。

 せっかく殿下が許嫁の解消を受け入れてくれたのに。


「アマリア……」

「ん?」

「エリーゼを守ってあげて……」

「エリーゼを?」

「うん……。皆、殿下には私という許嫁が居ると思ってるから……」

「確かに、少し目立っているな、でもウィナはあまり気にしていないように見えるが……」

「私はね、私は気にしてないけど……。気にする人が多そうで。ジャクリーヌも結局そういうのが原因じゃないかって」

「……なるほど。そうだね。少し気にかけてみるよ」

「ごめんね。本当は私がちゃんとしていないと……」

「ま、こういうのは難しいよね」


 寮でも特別室に入れているのは私とアマリアだけだ。つまり同じ学年の女生徒の中では、私とアマリアの家の格が他より高いということだ。

 階級が強く影響する貴族社会では、アマリアの目が光っていればかなりの効果があるはずだ。勿論、私も出来る限りのことはするつもりだけど。


 そう信じるしか無いのだろう。


 食べても太れない私の体のように、良い子で居ても逃れられないヘイトという物があったらどうしようもない。

 私はどうしたら良いものかと頭を悩ませていた。

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