第16話 素敵な訪ね人

 ガタゴトとドアが不自然に開く。

 ベッドの上からカーテンの隙間からチラリとそちらを見ると、私が大量に盛ったトレーを両手で持ち、必死に足でドアを開いて入ってこようとする殿下がいた。


 イヴァンカが慌てて近寄り、ドアを開ける。


「な、なにこの量。リックも一緒に食べていくの?」

「違う。こいつ一人でこれを食うらしい」

「え? うそでしょ?」

「……俺も目を疑った……」


 ドアを開けたまま話す二人の声が耳に届く。私はそれを聞きながら顔を真っ赤にして今すぐにでも逃げだしたい気分に陥っていた。


 二人はそんな私の気持ちをよそに、カーテンを開けてベッドの脇までテーブルを運んでくる。殿下がそこへ食事のトレーを置き、チラッと私を見る。


「あ……。ありがとうございます」

「かまわない。俺は授業があるから行くぞ」

「は、はい……。あ、私も――」

「お前は休め」

「で、ですが」

「良い、先生には伝えておく」

「すいません……」


 殿下は私に食事を届けると、役目は終わったとばかりに出ていこうとする。私がじっとその姿を見つめていると、扉を開こうとした殿下が何かを思い出したかのように振り向く。


「ああ……」

「なにか?」

「エリーゼの事だが……」

「大丈夫です。わざとじゃないのも分かっています」

「そ、そうか……。悪いな」


 そう言うと殿下は申し訳無さそうに医務室から出ていった。


 私はそんな殿下を苦笑いしながら見送ると、再び食事を取ろうとする。


「何? ……今の」

「え?」


 私達の一部始終を見ていたのだろう。イヴァンカが不思議そうにつぶやく。


「エリーゼって?」

「えっと。スープをこぼしてしまった学生の子です」

「それは分かるわ、でもなんでリックが謝るわけ?」

「え? えっと。エリーゼさんは。他の学生の子に足を引っ掛けられたのです。ほら、庶民で入学してきた子ですので、その……」

「いじめられてる、というわけね」

「いじめと言うか……。まあ、そういう感じなのでしょうか」

「……ふうん」


 確かにエリーゼは被害者の一人であるので、私がエリーゼを恨んだりしないようにと殿下が気を使うのは別におかしくない。

 ただ、殿下はそれに対して、「悪いな」と謝りの言葉を口にした。王家の人間が、庶民のために頭を下げるなんて言うことは普通じゃない。特に王家の親族であるイヴァンカ様なら、その違和感はより強く抱くのだろう。


 私の説明でも、その違和感を納得させられないのはわかっては居たが。イヴァンカは何かを察したようにそれ以上何か言うことは無かった。




 私は結局殿下に言われたとおり、そのまま寮に戻る。

 大げさに包帯を巻かれているために人に見られるのが恥ずかしかったが、授業中ということもあり誰も居ない学院の廊下を忍び足で寮まで帰った。


 部屋のドアを開けるとリビングの椅子に腰掛け、編み物をしていたハンナがお手本のような二度見で私のことを見る。そして二度目に私を見たとき、慌てたように駆け寄る。


「ウィナ! どうしたのよっ!」

「大丈夫。大丈夫だから大騒ぎしないで頂戴」

「しないでって、何を言ってるのですか。とても大丈夫には見えませんよ」

「お昼にスープが飛んで顔にあたったのよ。火傷になるかもって治癒膏貼ってもらっただけなの。包帯は固定してるだけなのよ」


 そう言うと、ハンナはようやく落ち着きを取り戻す。

 せっかくの早引きだ。私は制服を脱ぎ捨てるとベッドに飛び込む。そんな私をみてハンナは眉を寄せながら、脱ぎ捨てられた制服を拾い集める。


「……たしかに元気に飛び込みましたね」

「ベッドに倒れ込んだのよ」

「……元気そうなら勉強などしてはいかがですか?」

「怪我人の私はベッドで養生をしないと」

「……大丈夫そうですよ?」

「う……。傷口が傷む……」

「本当に?」

「ええ。間違いないわ」


 私は枕に顔をうずめたまま断言した。


 ……。


 横でぶつくさと何かを言ってくるハンナを無視し続け、布団の上でゴロゴロと素敵な時間を過ごしていた。

 何もしないということは、何もしないという意志が必要なのだ。眠気が全くやってこない私はとうとう屈する。


「ハンナ。少し毛糸分けて頂戴」

「そんな暇なら勉強をすればいいのに」


 ぶつくさ言いながらもハンナは毛糸を分けてくれる。私はそれを輪っかにして指に引っ掛ける。いわゆるあやとりだ。

 子供の頃に遊んだくらいだったため、色々と忘れては居たが、かすかな記憶を頼りに遊ぶ。自分としては、日本人だった自分のアイデンティティーを守る大事な儀式だった。


「ねえねえ。ほら。箒」

「はいはい。すごいすごい」


 もう何度も私のあやとりを見ているハンナは、驚きもしないし。もはや見もしない。


 コンコン。


 その時部屋のドアがノックされた。ハンナが出ようとするが、私はそれを制してベッドから飛び降りてドアに向かった。


「ウィナ。アマリアだ」


 私の足音が聞こえたのだろう。ドアの向こうからアマリアの声が聞こえる。私はすぐにドアを開けた。

 ドアの向こうには私の包帯の巻かれた顔を見て驚くアマリアと、その後ろで小さくなったエリーゼの姿が見えた。


「だ、大丈夫なのか?」

「うん。もうなんとも無いわ」


 エリーゼは私の顔をみて明らかに動揺している。慌てて大丈夫だからと包帯を取って見せようとするが、包帯の留め具が上手く外れずひどい状態になる。


「落ち着け。今とってやるから」


 そんな私を見かねたアマリアが私に手を伸ばす。私は自分で外すのを諦めおとなしくとってもらう。


「うん。問題無さそうだね」

「でしょ? 大げさなのよイヴァンカ様も。だからエリーゼさんも気にしないで」

「だけど……。本当に申し訳ありませんでした」


 推しのヒロインが申し訳無さそうに頭を下げる。これじゃあ本当の悪役令嬢になってしまったような気分じゃないの。慌ててエリーゼに近寄りその手を取る。


「貴女は転んだだけ。私はたまたまそこに居た。でしょ?」

「でも……」

「ほら。そんな顔しないで。さ、二人共中に入って」


 うーん。エリーゼの手はすべすべでとても気持ちがいい。私はその手を取って中まで招き入れる。

 

「ハンナ。ほら、こないだ買った焼き菓子、まだあるわよね?」

「はい、大丈夫ですよ」

「よかった。じゃあ、紅茶をお願い。アーリーモーニングが良いわね」

「あ、すいません。アーリーモーニングは切らしてまして。……今はスターダストティータイム、ブライトサマーとかでしょうか?」

「うーん……。そうね。じゃあ、ブライトサマーでお願い」

「了解しました」


 エリーゼは下の階の狭い部屋しか見たことが無かったのだろう、私の部屋に驚いているようだ。それでも理由はともあれ、私にとってはあのエリーゼが自分の部屋に来てくれたのだ、ちょっと異様なテンションで張り切ってしまっていた。


 そんな私を見てアマリアは苦笑いをしながら、エリーゼに声をかける。


「ね、言ったとおりでしょ? ウィナはあんなんで怒ったりしないって」

「はい……。でもやっぱり」

「何やってるの二人共。さ、お茶会しましょう♪」


 うん。嬉しくて仕方ないってこの事ね。

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