第15話 イヴァンカ

 途中、廊下で出会った上級生たちに尋ね私達はなんとか医務室へ辿り着く。

 医務室にはいると女性の医務官が本を読みながら弁当を食べていた。


「あら、リック? 久しぶりね。どうしたのかしら?」

「ああ、イヴァ姉、良かったちょっと彼女を見てほしいんだ、スープが顔にかかってしまったようだ」

「まあ大変。ちょっと診せて」


 医務官の女性は本を置くと、目の前にある椅子に座るように言う。私は大人しく椅子に座ると私の顔を診る。彼女の名前はイヴァンカ。公爵家の令嬢で貴族としては少し変わり者という設定だった。公爵家という事もあり、殿下とは親戚筋の女性だ。


 そんな女性が学院の医務室で働いているというのも、彼女が変わっている事を表してはいるのだが……。貴族っぽくなく気さくな性格は、学院生達からも慕われている。


「殿下は大げさなんです」

「何を言ってるのよ、目にも入ったのでしょ?」

「え、ええ……」


 ようやく右目も開くようになったが、涙も出ているのか少しぼやけている。


「まあ、痕が残ることは無いと思うけど……」


 そう言いながら、イヴァンカは立ち上がって医療品が収納されている棚をゴソゴソと探る。すぐに治癒膏を手に戻ってくる。

 それを見ていた殿下が尋ねる。


「痕にはならなそうか?」

「赤くはなっているけど、火傷って程じゃないわね。でも、目の方はちゃんとしておかないと……」


 女性の言葉に、殿下はほら見ろといわんばかりの顔で私の方を見る。


「だから言っただろ」

「うう……」


 魔法が一般的な世界ではあるが、そこまで治癒魔法を使える人間は多いわけじゃない。治癒膏は湿布のような大きさの布で、中に治癒魔法の魔法陣が刻んである一種の魔道具だ。

 一般的な魔道具は魔石の魔力を利用して起動するが、治癒膏はそこまでの強い魔力を必要とはしない。治療したい場所に貼り付けることで、その人の常在魔力を直接利用して効果を発揮するという物だ。


 庶民には高価な物ではあるが、私の家は侯爵家だ。普通に子供の頃から何度もお世話になっている治療道具だった。 


「ちょっと我慢して」


 イヴァンカは、水魔法を使いスープがかかった場所を丁寧に洗うと、場所を確認しながら私にそれを貼り付ける。治癒膏に粘着性は無いため、固定するために包帯を巻きつける。


 治癒膏の効果を強めに出すにはコツが有る。子供ころからやんちゃをして、度々治癒膏にお世話になっていた私流のやり方なのだが。

 それは、貼られた時に治癒膏に向けて強めに魔力を集めるのだ。ずっと魔力を集める必要はない。貼られた時だけでで良い。

 そうすることで初期効果がすぐに発現し、治りも早くなると実感していた。


 私が魔力を集中させると、すぐに貼られた部分が軽く熱を帯び始める。そしてじんじんとしていた感覚がすっと引いていくのが分かる。


「あ、ありがとうございます」

「気にしないで、仕事だから。それよりここへ連れてきてくれたリックに感謝しないとね」

「えっと……。はい」

「その『えっと』ってのはなんだ?」

「そんなところ突っ込まないでください」

「素直に感謝する感じじゃないからな。ここに連れてくるのも明らかに嫌がって」

「だって……それは……」


 さすがに理由なんて言えない。口ごもる私を殿下は不満げに見つめる。


 ぐぅ~。


 ……げ。嫌なタイミングで嫌な音が鳴る。無表情のまま殿下の顔がピクつく。


「……まったく。お前は……」

「せ、生理現象です。しょうがないじゃないですか」

「はぁ……。待ってろ」


 そう言うと殿下は医務室から出ていこうとする。この感じだと何か食事を持ってきてくれようとしているのだろうか。流石に殿下にそこまでしてもらうのはまずい。


「だ、大丈夫ですからっ!」

「お前はさっきから大丈夫しか言わないな」

「大丈夫だから大丈夫って言ってるんです。自分で食堂に行けますので」

「駄目だ。まだ休んでいろ。治癒膏だってつけたばかりだろ?」

「もうすっかり良くなりました」

「そんな事あるか! そうだろ? イヴァ姉」


 殿下がイヴァンカに話を振る。そのイヴァンカは苦笑いしながらうなずく。それを見て殿下は「ほら見ろ」と言わんばかりの顔で私が止めるのも聞かずに医務室から出ていった。


 ……。


 私は殿下が出ていった入り口を、呆然と見つめる。


「ふふふ。随分仲がいいのね」

「へ? 誰……がですか?」

「貴女とリックよ。驚いたわ。たしか入学式まで会ったことがなかったのよね?」

「ま、まあ。そうですが……。いえ。まだ全然お互い知らないですし……」

「驚いた。あの子があんな顔するなんて……」


 イヴァンカはさも嬉しそうに言っているのを見ると、少し後ろめたい気持ちになる。私たちの許嫁の契約はきっとすぐに切れるのだから。

 そんな気持ちが顔に出たのだろうか。イヴァンカはいぶかし気に聞いてくる。


「……どうしたの? リックの事、嫌なのかしら?」

「え? 殿下はとても素敵な方です……でもお互いに良く知らないので」

「でも許嫁なら手紙のやり取りはしていたでしょ?」

「えっと……」

「え? してなかったの?」

「そうですね……。お互い年に一度挨拶くらいで……」

「ううん。そっか……やっぱりお互いに知らない相手と知らないうちに許嫁にされてって感じなのかしら?」

「ははは……。そう言う感じですかね?」

「うんうん、でもそれならなお良いじゃない。この学院でお互いを良く知れば」

「ははは……そう、ですね」


 私はもはや笑ってごまかすしか出来なかった。それでもイヴァンカは、私達がお互いに自由な恋愛を求めており、許嫁の関係に拒否感を持っているだけと思ったようだ。

 そういう話はよくある事で、そんなことはお互いに知り合えば問題ないと考えているようだ。イヴァンカはまるで若者の恋路を楽しむかのように軽く笑う。


「そう言えば、二人が許嫁になったのは結構前だった?」

「そうですね、七歳の時でしたので……。もう七年位前でしたか」

「七歳かぁ……。まだあの子が荒れていた頃かしら?」

「え? ……荒れていた?」

「そう……」


 殿下の母親、つまり王妃が亡くなったのは殿下が六歳の時だった。政略結婚的な意味合いもあったのだろうが、その後すぐに王は新しいお妃様を他国から迎え入れた。まだ幼い殿下は母親を失い心も不安定な時期だったのもあり、その事で心を閉ざし、ほとんど口も開かなくなってしまったという。


 心配した国王が、殿下の気持ちが少しでも落ち着くようにとしばらくの間、殿下の母親の実家があるサントバーグの街でしばらく過ごさせた。


 ――サントバーグ……。


 そう、小説のヒロインが王子と出会う街であった。

 

 そこでしばらく暮らすことで、王子の心は少しずつ癒えていった。それ以降毎年夏に成ると王子はサントバーグで過ごすことが習慣となり……。


 小説の主人公はエリーゼだったのもあり、相手の王子のそんな背景までは書かれていなかった。


 私には単純に夏の避暑地で毎年一緒に遊んでいた位に思っていたのだが。その心の傷を癒やしたのがヒロインであるエリーゼなのであるのなら。あの小説の様な二人の結びつきの強さは理解できる。


 ――ウィノリタは始めから勝てるわけのない戦いに挑んだのね。


 この体の主のことを思うと、少し哀れに感じた。


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