1.06 商人ダッセル

 女性陣が温泉から上がり、子どもたちが綺麗になった母親を褒めている。

 そこに父親が加わって、幸せな家族の雰囲気が周囲に広がっていく。

 ただ、それを血涙を流しながら見ているのは、先ほど<魔物盤>で勝利した彼だ。

 ……見なかったことにして、そっとしておこうかな。それが優しさでもある。


 温泉に入った女性陣は本当に綺麗になった。

 肌はこれからも入り続ければ、もっと綺麗になると思う。

 今のところ一目でわかるのは、やはり髪だな。明らかな変化が見られる。

 指を通すとサラサラと流れるようになっていて、髪の表面が光を反射するほどだ。


 独身男性も含めた男たちが女性を褒めようとして、ソワソワしているのが面白い。

 母親を含める女性陣も早く褒めなさいよという雰囲気を醸し出しているので、見ているこちらがハラハラしてしまう。


 まあ、とにかくお披露目は成功したと思っていいはずだ。

 このままみんないい雰囲気で帰ってほしいね。

 ユイ姉も一仕事したといういい笑顔で汗を拭う仕草をしている。

 ナビィも同じ仕草をしているが、たぶんこいつは何もしていないと思う。

 俺にはわかるんだ……。




 今日は以前知り合った商人さんに会いに行く予定である。

 何か売れるものがないかと悩んでいた商人に、ボードゲームの見本を渡したんだ。

 それを商人――ダッセルさんの商会で複製したものが売れに売れまくった。

 俺とユイ姉はそのボードゲームの売り上げを定期的に回収しているんだ。


 ――まあ、なんだ。なんやかんやあって、あの時は大変だったな……。



 地下ダンジョンから地上へと転移する。一瞬の浮遊感で景色が変わった。

 ここは地上にあるラムール王国の王都キャメルで、とある家の中の一室だ。

 正確には、ダッセルさんが借りている家の部屋である。


 借りているといっても、ダッセルさんはほぼ寝に帰るだけなので家の中に生活感はまったく感じない。

 せいぜい寝酒の酒瓶が数本転がっている程度だ。

 それだって、週に何度か人を雇って掃除してもらっているらしい。

 その人と結婚でもすればいいのに。あ、でも、そうなると転移しづらくなるか。


 ――すいませんが、しばらくは独身でいてください。


 そんな不埒なことを考えながら、部屋の鍵を開けて商会に歩いて向かう。

 俺たちが転移してきた部屋は内側から鍵がかかるように出来ている。

 鍵がかかっているため、誰かに転移を見られることもないし、帰りもこの部屋から転移するので誰にもバレていないはずだ。



 商会に到着すると、いつものように受付に軽く挨拶して奥へと案内してもらう。

 奥にある商会長の部屋で書類仕事をしているダッセルさんにユイ姉が挨拶する。

 お金が関わる取引が俺は苦手で、会話はユイ姉にほとんど任せているのだ。


「こんにちは、ダッセルさん。売り上げを受け取りに来ましたよ」

「おお! ユイさんにハジメさん、いらっしゃいませ! もう少しお待ちください、この書類だけ片づけてしまいますから……」


「はい、座って待ってますね。ハジメちゃん、座ろ?」


 もうこの部屋に来るのも何度目だろうか?

 慣れた動作でそれなりのお値段のソファに座る俺たち。

 ダッセルさんは手元のベルを鳴らして、職員を呼んでお茶を入れさせる。

 今日はお茶請けも出てきたから、書類作業にもう少し時間がかかるみたいだ。



 ほとんど砂糖の塊なお菓子を口の中で転がしてお茶を味わう。

 これで口の中がちょうどいい塩梅になるから、ちゃんと計算しているんだな。

 俺がお茶を味わっていると、ダッセルさんとユイ姉が会話を始める。


「今日も商業ギルドで入金の確認でよろしいですかな?」

「はい。いつものように小銭程度のお金を持ち帰ります」


「大金ですからな。すべて持ち帰るのは危険でしょう。我が家に持ち込んで何者かに侵入されては、それこそ大問題になってしまいそうだ」


「そう、簡単には侵入できないように魔法は仕込んだのですけど……」

「その魔法が問題なんですよ、ハア」


 ユイ姉は<マジックマスター>で、その能力はというものだ。

 既存の魔法とは違い、ユイ姉が考えた魔法は考えた通りにそのまま発動する。

 考えたものが魔法となるため、ユイ姉がもしも暴走した場合には、この辺り一帯を更地にすることができるということでもある。


 ――それほどにのだ。


 普段は魔法で作った猫を王都に散らばせて、重要な情報があれば記録させている。

 そんなとんでも魔法で情報収集をして、家で新聞代わりに読んでいるそうだ。

 ロッキングチェアに座り、膝の上で猫を撫でながら読書するユイ姉の姿は、絵画に描き納めたくなるほどに美しいと思うんだけどな。




 しばらくして、書き終えた書類を職員に渡したダッセルさんが立ち上がる。


「お待たせしました。商業ギルドに向かいましょうか」

「はい。いこっか、ハジメちゃん」


 ユイ姉に促されて立ち上がり、俺たちは馬車で商業ギルドに向かう。

 中央広場に近づくにつれて、周囲が騒がしくなった気がする。

 ギルドの前ではなにか騒ぎがあったのか、職員が交通整備をしている姿も見えた。

 なんだか嫌な予感がするなあ。急に帰りたくなってきたぞ……。


 俺たちの馬車を見つけたギルドの職員が慌てて走り寄ってくる。


「ダッセルさん! 急いでください、お客様がお待ちですよ!」

「私を待つ客? そんな予定は入れていないはずだが……」

「向こうも予定は調べてからきたけど、連絡は入れていないと言ってました」

「こちらの予定を調べた? 連絡は入れていない? どういうことだ?」


「とにかく早く応接室に向かってください! 失礼のないようにしてくださいよ!」


 職員がプンスカと怒りながら、俺たちに急げと言い残して交通整備に戻る。

 何なんだよ、もう。絶対ヤバい相手じゃん。こちらの予定を調査済みとかさぁ。

 ……ユイ姉、帰らない? はい、帰りませんよね。ハア、腹くくるしかないか。



 応接室に入ると、そこにいたのは金髪碧眼が眩しいほどのイケメンだ。

 この国の王子様じゃんか。もうやだぁ、帰りたぃ……。


 あのときのを絶対覚えてるよ、この子。逃げちゃダメかなあ?

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