第4話 救いようがない 前半
大地が現場に復帰して約1ヶ月がたち仕事の感も取り戻し始めた頃、日々の慰労も兼ねて金丸組のみんなでバーベキューをすることになった。
毎年行われているこの行事には各々の家族も参加できるため町から少し離れた大きい公園で開催される。この時期は他のバーベキュー客もそれなりにおり、賑わっていた。
「大地、大地、トイレ」
下っ端として粛々と肉を焼いていた大地の左腕が不意に引っ張られ、目線を下げると足をもじもじさせた達也と同じくもじもじさせて不安そうな和也が立っていた。
はっとして俊彦と香澄を探すが、俊彦は何名かと足りなくなった飲み物を買いに近くのコンビニに行くと出かけており、香澄は先ほど美奈を連れてトイレに立ってまだ戻っていない。状況を整理した大地は二人の頭を優しく撫で、近くにいた同僚に声をかける。
「すみません、この子らがトイレ行きたいみたいでちょっと連れて行って来るので肉お願いしてもいいっすか?」
その同僚が「いいぞー」と大きな声で返事をしたせいで周りにいた人たちも大地と双子に視線を向ける。それに気づいた和也が大地の後ろにさっと隠れる。
少し離れたところにいた一人の中年の女性が近寄ってきて双子に申し訳なさそうに
「ごめんねえ。香澄ちゃんに頼まれてたのに。我慢させちゃったわね」
より一層後ろに隠れた和也の代わりに達也が頭を大きく振る。
「おばちゃんは悪くない」
そういうと達也も大地の後ろに隠れてしまう。
普段大地にはそんなそぶりはあまり見せないが、従来人見知りな和也はもとより達也も知らない大人がいっぱいのせいか人見知りをしてしまっていたようだった。そのせいで誰にもトイレということが出来ず、忙しそうな大地にもなかなか声をかけれずギリギリまで我慢してしまったのだろうことが想像できて申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
「ちょっと俺連れて行ってきます」
再度小さい声で和也からトイレと言われて慌てて二人を抱き上げる。
気をつけてねーという言葉を受けながら、早足で少し離れた公園のトイレに向かう。
バーベキューをしている団体が多いことから女性ほどではないにしろ男性トイレも混んでいた。これ、二人とも我慢できるか?と思いながらも列の最後尾に並び二人を下ろす。
「達也、和也、あと少しだからな」
うんと頷く達也と頷きながらも少し泣きそうな和也。
大地たちが並んですぐ、酔っ払った3人組の男たちが後ろに並んだ。男たちは酔っているせいか声が大きく、双子たちは怯え大地の足に強く抱きつく。
大地もうるさいなと思いながら2人の背を優しく撫でる。そうやって落ち着かせようとしていると3人のうちの1人が慌てたように声を上げる。
「ちょ、ここ禁煙です! 宮島さんやめてください!」
宮島と呼ばれた男は鬱陶しげに自身を諌めた男を睨む。
「元はと言えばお前が、こんな辺鄙な場所予約するからだろ。ったく使えないな」
睨まれた男は怯えたように固まる。もう一人の男が怯える男に肩を組みいやらしい笑みを浮かべ
「まあ、でも女連れてこれるだけあいつよりマシですよ。会社の集まりだからとかいってマジで使えなかったから」
それもそうだとこれまた大きい声で笑い、怯えていた男も明らか作った笑みを浮かべていた。その後も誰を連れて帰るかという下卑た話題に移り、大地はそんな男たちに子供に聞かせる話じゃないだろうと憤りを感じていた。
早く順番が来ないかなと仕切りに前を確認するが、トイレが小さいのかなかなか進まない。
そうこうしているうちに和也がとうとう泣き出してしまった。
それを見た前に並んだ大人たちが慌てて順番を譲ってくれて、お礼を言いながら急ぎ足でトイレに進む。
今の人が出たら自分たちの番だというところでさっきの男たちの怒号が聞こえきた。
「なんであいつらは前行けんだよ。そんな余裕あるなら俺たちだって前行っていいだろ」
宮島と呼ばれていた男が声を張り上げもう一人の男が泣き真似をして、もう一人は居心地が悪そうに俯いている。
その声にさすがの達也も耐えきれなかったのか泣き出してしまい、大地は慌てて二人をかばうように抱きしめ視界から外す。
まだ後方で譲ってくれた人たちと言い争いをしている男たちを無視して、二人をなだめることに集中する。
そんなに長い時間ではなかったはずなのにとてつもなく待っていたような感覚になったタイミングで中に入ること出来た。
2人とも少し漏らしはしていたが、なんとか間に合ったみたいでホッとする。
2人に手を洗わせ、外に出たらあいつらがいるのかとうんざりしながら2人を抱き上げる。
しかし大地のした覚悟とは裏腹に先ほどの男たちはどこかに立ち去ったあとみたいで拍子抜けだった。譲ってくれた人たちに3人でお礼を言いながら会場に戻る。
戻った3人に気がついた香澄が美奈を連れて駆け寄って来る。
「ごめん大地くん。大丈夫だった?」
下ろした2人が香澄に抱きついたのを見ながら「なんとか」と答える大地。
よかったと2人の頭を撫でながらごめんねと2人に謝る香澄。とりあえずひと段落がついたかと先ほどの件を頭の隅に追いやり、それじゃあと焼き係に戻ろうとしたところで先輩の1人に呼び止められる。
「山崎!もうお前はゆっくり食え!悪いなまかせっきりにしちまってよ」
そういうと大地を近場の空いている椅子に座らせ、肉が大量にのった皿を渡してくる。
「老人組はもう肉食えねえから、焼くのは俺らにまかせて食え食え」
ありがとうございますと受け取り周りを見ると比較的若い世代の同僚たちは皆大量の肉と格闘していた。
最初にもらった皿を平らげ3姉弟に見守られながら2皿目も食べ切ろうとした頃、近くのコンビニに行ったはずの俊彦と数名が飲み物を大量に掲げて戻ってきた。
「遅かったな」
ありがとうと飲み物を受け取った親方が、買い物に出ていた1人にそう問いかける。
「ちっと輩に絡まれまして。いやでも喧嘩とかはしてないんで!誓って」
そう答えた先輩は「ほら怪我とかしてないんで」と自身の手を親方に見せる。
それを一瞥した親方はそうかと一言言うと、再度礼を言って手にした缶を開けた。
そんなやりとりを見ていたら、不機嫌そうな顔の俊彦が近づいてきた。子供達もそれに気づきパパだ!ジュースだ!と駆け寄っていく。
するとさっきまでの不機嫌さは何処へやら、いつものデレデレなパパの顔になり子供達にジュースを渡し大地の席の近くに腰を下ろす。香澄にも飲み物を渡し、大地にもついでとばかりにいるか?と聞く。ありがたくジュースを受け取り、同じく飲み物を受け取った子供達が美奈を先頭に他の子供のところにかけていくのを見つめる。
「それで、なにがあったの?」
香澄が俊彦に尋ねると、思い出したように不機嫌が顔に現れる。そして思い出したくもないと言うような口ぶりで話し始める。
「コンビニでさ酔っ払いが3人、トイレに来たんだよ」
酔っ払いが3人というところであの3人組が頭をよぎる。香澄がそれで?と先を促す。
「コンビニのトイレもそれなりに混んでてさ。その列を見たそいつらが、並んでた若い子らに絡んで無理やり譲らせててさ。その時点で俺ら、なんだこいつらみたいになってたんだけど」
俊彦の話から出たときいなかった理由に見当がつき、本当にどうしようもない奴らだと呆れる。
「そいつらが出た時には俺らも買い物終わってたし帰ればよかったんだけど、店員の女の子に絡み始めてさ。その子の手を掴んだりし始めたからさすがに俺声かけちゃって。そしたら1人が俺に殴りかかってきたわけ」
香澄が驚いたように「怪我はないのよね?」と俊彦の体を触って無事を確認する。
「遅すぎて当たらねえよ、あんなへなちょこパンチ」
俊彦の頭をパンと叩く香澄。
「何自慢げに言ってんの。気をつけてよねほんと」
ごめんごめんと謝りながら、話を続ける。
「パンチが当たらなくて、初めてちゃんとこっちを見てビビったぽくて。俺ら4人いたしね」
たしかに大工をやっている職業柄ガタイがいい人が多く、とりわけ今回買い出しに向かったのは強面ででかい人たちばかりだった。それは怖かっただろうことは想像に容易い。さっきのことを思い出してもあの3人組はガタイが良い印象はなかったのもある。
「勝てないと思ったんだろうね。聞くに耐えない暴言いいながら帰っていったのよ」
「そう」
みっともなくそそくさと帰って言ったであろう3人組を想像し、大地の止まりかけた箸が進む。
「まあ、俺らに言うだけならそれだけでよかったんだけど、その店員の子の掴まれた手見たらあざになっててさ。あのまま帰すんじゃなかったって。今思い出してもイライラするわ」
それでもあなたに怪我がなくてよかったわと俊彦の背中を優しくさする香澄。
未だそいつらがいたら殴りかかりそうな俊彦に、さっきのことを伝えたら今にも殴りに行きそうだと、口をつぐんで肉を食べることに集中した。
あの後気を取り直し飲めや食えやで盛り上がり、あっという間にお開きの時間になった。大地は持ってきた食器を洗いに香澄たちと洗い場に来ていた。
「はあ、終わった終わった!帰ろうか」
はいと返事をしようとした時、後ろから怒号が聞こえてきた。
振り向くと、例の男たちのグループが怯えていた男を囲み何やら罵声を浴びさせている。
大地は今日はついてないなとため息をつき、香澄たちにさっさと帰ろうと荷物をまとめ立ち去ろうと声をかける。
「お前も結局あいつとおんなじレベルだな。女の子たちが帰っちゃったじゃねえか」
リーダー的な男が中心に立つ男をどつき、どつかれた男はよたよたと後ずさりする。それを周りの男たちが嘲笑うように笑い声をあげる。
「なんだ? ん? 悔しかったら殴ってみたらどうだ? 柔道部だったんだろ?」
煽るように自分の顔を男の前にだし、ここだよここと指差す。
それでも下を向き黙りこくる男につまらないと言うようにため息をつく。
「あいつも合気道やってたとか言ってたけど、武術やってるやつは腰抜けしかいないんだな。やっぱ男はボクシングだろ」
合気道という言葉で学生時代一緒に祖父の道場に通っていた頃の涼が頭をよぎる。
大地は帰ろうとした足を止め、まさかなと、そんな偶然あるわけないと頭に浮かんだ想像を必死で振り払う。しかし、次に男が放った言葉にそれが確信に変わった。
「お前もう佐々木2号な。逃げんなよ。あいつみたいに」
突然足を止め様子のおかしい大地に、香澄がどうしたの?もう行こう?と声をかけるが大地は縫い付けられたように動かない。
佐々木涼、涼のフルネーム。
ゆっくりと振り返り男たちを見る。
『最近入った後輩がさ柔道部だったらしいんだけど、合気道も少しやってたらしくて。久々に盛り上がっちゃってさ。懐かしいよな』
そういって笑う涼が昨日のように思い出される。
『そいつの名前は』
俯く男を見て、思わずという感じで声に出ていた。
「橋下…」
そんなに大きな声ではなく、聞こえはずもない声が聞こえたのかのように俯いていた男が大地を見る。
『やっぱり柔道部なだけあってガタイがいいんだよ』
涼が楽しそうな顔が笑いかける。
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